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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月18日(金)11時53分4秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.18
ルカによる福音書
15:25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざ
わめきが聞こえてきた。
15:26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
15:27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたとい
うので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
15:28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さん
に仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、
わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありま
せんか。
15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食
いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
15:31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
わたしのものは全部お前のものだ。
15:32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていた
のに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
+++++
放蕩息子の後半の部分です。ここには財産を使い果たした弟への赦しと祝宴
をねたむ兄の姿が書かれています。もし、あなたがこのお兄さんの立場だっ
たら、どう感じますか?もし、この弟が大成功して有名になって帰ってきた
としたら、どうですか?
もし、成功して帰ってきた弟なら喜んで「歓迎」というのであれば、それは
「機能論的人間観」と呼ばれる考え方で応対していることになります。もち
ろん、それは悪いことではありません。でも判断基準が「できるから居ても
いいよ」という感覚です。「できるか、できないか」が分かれ道です。
ところがお父さんは、「死んでいたのに生き返った、いなくなっていたのに
見つかった」ということで喜んでいます。つまり、「居てくれる」こと自体
がお父さんの喜びなのです。お兄さんに対しても「お前はいつもわたしと一
緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と言って存在そのものを喜ん
でいるのです。それを私は「存在論的人間観」と呼んでいます。相手に対し
て、できるできないに関係なく「いてくれてありがとう」「いてくれて、う
れしいです」という発想です。これは当時の宗教社会には欠落していました。
そして、今のわたしたちの社会にも本当に深刻なほど欠落しているような気
がします。どこにいても「できるかな?居ても大丈夫かな?」とおどおどし
ながら生きているのは辛いことです。居場所がない感じだからです。イエス
様は父なる神様の私たちへのケアの心を教えています。そこには存在を喜ぶ
心があふれています。兄は、父のすぐ近くにいるのに、そういう見方が理解
できなかったようです。ひがみと自己主張、自己憐憫のかたまりになってし
まっているのです。第2の放蕩息子がここにいました。
祝福を心からお祈りします。

+++++++++++

【空の中の真実:コヘレトの言葉】
7:5 賢者の叱責を聞くのは/愚者の賛美を聞くのにまさる。
7:6 愚者の笑いは鍋の下にはぜる柴の音。これまた空しい。
7:7 賢者さえも、虐げられれば狂い/賄賂をもらえば理性を失う。
+++
誰でも褒められれば気持ちが良いものだと思いますが、コヘレトは明確に「賢
者の叱責を聞く」ことの大切さを訴えています。
賢者かどうかわからないとしても「叱責」は耐えながら聞いておく必要があ
りそうです。
「人は、そういうふうに見ているのだな」「自分の足りないところはここだ
な」という本当に大切な部分が確認できることが多いからです。賢者の叱責
はきちんと理由がわかり、感情だけで難癖をつけているのはないことがわか
ります。愚者の叱責とは、がみがみ言うだけで一貫性もなければ、根拠もあ
いまいです。
でも叱責される相手を選べませんから、どんな叱責であれ、回数が増すとと
ても辛くなります。言い訳のひとつも言いたくなります。叱責してくれる人
への「賄賂」の有用性も感じられる文章が続いていますね。
叱責より賛美のほうが嬉しいのが人情ですが、その際の注意事項として箴言
の言葉を贈ります。「 27:2 自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。
自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ。]
自画自賛をやめ、あまり評価されることばかりを考えないで、精一杯生きる
決意が必要です。
祝福がありますように。


  関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月17日(木)21時50分19秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.17
ルカによる福音書

◆「放蕩息子」のたとえ
15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の
分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立
ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は
食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人
は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物
をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の
雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に
対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」
と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く
離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、
接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに
対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来
て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つか
ったからだ。』そして、祝宴を始めた。
***
これは「放蕩息子」と呼ばれているたとえ話の前半の部分で、弟息子につい
てのお話です。
この弟は父から離れ、父からの財産を使い果たしてしまい、よれよれになっ
て初めて父親の寛容さや優しさに気づき、そこに戻っていくという話になっ
ています。そして、父親はこの息子を喜び迎え、赦し、大宴会を開くという
流れが書かれています。どう考えても、優しすぎる感じがしますが、イエス
様は、この父親の姿の中に父なる神様の姿を表明しているのです。放蕩息子
と自分の姿を重ねることができるでしょうか。どちらかといえば、不真面目
な生活を送ったことがある人は重ねやすいかもしれません。私は真面目でし
たから弟のような人は嫌いですという方、後半をぜひ楽しみにしていてくだ
さい。あなたの姿がでてくるかもしれませんので。それにしても、弟息子の
驚き、喜び、それにもまして父の喜びが伝わってきそうなお話ですね。レン
ブラントの「放蕩息子の帰還」という絵がありますが、ふと、思い出しまし
た。
父なる神は、あなたの帰還を待っています。
祝福がありますように。

++

【空の中の真実:コヘレトの言葉】

7:1 名声は香油にまさる。死ぬ日は生まれる日にまさる。
7:2 弔いの家に行くのは/酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終り
がある。命あるものよ、心せよ。
7:3 悩みは笑いにまさる。顔が曇るにつれて心は安らぐ。
7:4 賢者の心は弔いの家に/愚者の心は快楽の家に。
++++
「名声」と「香油」がヘブル語の語呂合わせになっているのですが、香油は
外見を良くするための化粧品、名声は良い人格をあらわす言葉。したがって
外見を良く見せることよりも良い人格を評価されるようになったほうが良い
という意味になります。
弔いの家には死があるわけですが、そこで人は命について真剣に考えないわ
けにはいかなくなります。
そのほうが酒宴の家で騒ぐよりも人生を真面目に考えるので良いのだとコヘ
レトは言います。
笑いだけを求めていると軽薄なことで紛らわせるような生き方になるけれど、
悩みを通過する中でだんだん大人としての正しい判断を下すことができるよ
うになっていきます。「心は安らぐ」とは、そういう状況を語っています。
つまりこの箇所では、「時に、真剣に、真面目に生きなさい」という勧めの
格言が並んでいるのです。
祝福がありますように。


       関根一夫




http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月16日(水)13時21分28秒
返信・引用
  日々の聖句
2012.05.16
ルカによる福音書
◆「無くした銀貨」のたとえ
15:8 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を
無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れ
て捜さないだろうか。
15:9 そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くし
た銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:10 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天
使たちの間に喜びがある。」
***
この女性がなくした銀貨は10枚で一セットになっていて、それを婚礼の
際に額に飾るためのものと言われています。ですから、そのうちの1枚が
なくなったとなると残りの銀貨だけでは使えないことになり、困るわけ
です。
必死になって探している様子が浮かんでくるようです。そして、イエス
様は、この銀貨を探す女性の姿と独り子を遣わしてでも失われた人を探
し出そうとしている神様の心をダブらせているのです。
そして、見つけ出した時の喜びが見事に書かれています。近所の人たち
と一緒に喜ぶほどの大きな喜びだったのです。
それは、私たちを見つけ出したときの神様の喜びの心でもあるのです。
祝福がありますように。


++

【空の中の真実:コヘレトの言葉】
6:10 これまでに存在したものは/すべて、名前を与えられている。人間
とは何ものなのかも知られている。自分より強いものを訴えることはで
きない。
6:11 言葉が多ければ空しさも増すものだ。人間にとって、それが何にな
ろう。
6:12 短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福と
は何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれ
るものは、太陽の下にはいない。
***
人間にとっての幸せとは何なのか?自分のことも、他人のことも、この
世のすべての事ごとについて「名前」で特定でき、名前と一緒に説明が
なされ、すべて知られてしまう。名もないほどの貧しい人たちでさえ、
実は名前を持っており、神はどんな小さな存在でもご存じです。
しかし、誰もが同じ生き方をしているわけではなく、だれもが同じこと
を考えたり、感じたりしているわけではないし、ましてや、死の先に何
が待っているのかというようなことについては、誰も確信をもって教え
られる人はいない。
存在は人にも神にも知られているのに、自分には明日のことがわからな
い、不安定な状況に陥りやすい私たちなのです。
コヘレトの溜息が聞こえてきそうな文章が続きます。
しかし、冷静に考えてみると、もし、本当に神に私たちの存在が知られ
ており、そしてもし神の愛の対象となっているなら、祝福は明確です。
ただ、もし、神の怒りの対象になっているとしたら、大問題ですね。
その辺の状況把握が必要です。
祝福がありますように。



    関根一夫






http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月15日(火)15時05分23秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.15
ルカによる福音書
◆「見失った羊」のたとえ
15:1 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
15:2 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを
迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
15:3 そこで、イエスは次のたとえを話された。
15:4 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失
ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜
し回らないだろうか。
15:5 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
15:6 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたの
で、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:7 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改
める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
****
ここでのイエス様に対する批判は、その寛大さに対するものでした。「あん
な罪びとたちなど放っておけばよいのだ」と宗教指導者たちは考えていまし
た。彼らは律法も守れず、神に赦されるはずも救われるはずもないのだから
と考えていたのです。
しかし、イエス様の見方は違いました。それらの人たちは、迷っている人た
ちであって、本来は神の家族に所属している人たちなのだという見方でした。
だから、自分のところで飼っている羊として探しに行くというたとえを話さ
れたのです。
迷う羊一頭のためにでも、何をさておいても探しに行く羊飼い。これはまさ
に神様の私たちに対する心の表明として理解される必要があります。迷子の
状態のまま放置されるのは、健全ではないし、神様の願っていることではな
いのです。イエス様が来てくださったのは、そういう私を救うため、そうい
うあなたを探し出すためでした。
祝福がありますように。

++


【空の中の真実:コヘレトの言葉】
6:7 人の労苦はすべて口のためだが/それでも食欲は満たされない。
6:8 賢者は愚者にまさる益を得ようか。人生の歩き方を知っていることが/
貧しい人に何かの益となろうか。
6:9 欲望が行きすぎるよりも/目の前に見えているものが良い。これまた空
しく、風を追うようなことだ。
****
働いても働いても不足があり、知的好奇心を満たすことはできても、それで
他者を益することは簡単ではありません。
人生は自分の糧を得ることができ、過度の期待をしすぎずに、しかし探究心
や好奇心を燃やしながら、他者のための祈り、そういう自分の人生を喜べた
ら、満足度が高くなるのでしょうね。
何によって「満ち足りた意識を伴う敬虔な心」を持てるようになるのか、そ
れが人生のチェックポイントなのかもしれません。
祝福がありますように。


    関根一夫








http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月15日(火)14時50分30秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.14

ルカによる福音書
◆塩気のなくなった塩
14:34 「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何
によって味が付けられようか。
14:35 畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のあ
る者は聞きなさい。」
++++
塩は生活の必需品であり、味付けのためにも、腐敗防止のためにも大事なも
のです。しかし、塩が塩気をなくしたら役に立たないものとなってしまいま
す。存在価値が実に乏しくなってしまいます。
一般的には、それは、「きよさや忠誠心」を失くしてしまうこととして理解
されています。神とのかかわりの中で養われる「清さや誠実に従う決意」「謙
遜と従順」などを放棄してしまうような生き方への警告です。
同時に、教えは知っているけれど、実際の生活にそれが生きていないという
状況のこととしても理解できます。塩であることには間違いないのですが、
その「塩が愚かにされてしまっている」というのが原語の訳です。つまり、
塩が塩であることを忘れてしまっているというのです。自分が主に愛され、
主に役割を託されていることを忘れてしまっているような生き方をしている
なら、結局役に立たなくなってしまうという警告です。心にしっかり覚えて
おきたい言葉です。
祝福がありますように。

++++

【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

6:1 太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのを
わたしは見た。
6:2 ある人に神は富、財宝、名誉を与え、この人の望むところは何ひとつ欠
けていなかった。しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかっ
たので、他人がそれを得ることになった。これまた空しく、大いに不幸なこ
とだ。
6:3 人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、
財産に満足もせず/死んで葬儀もしてもらえなかったなら/流産の子の方が
好運だとわたしは言おう。
6:4 その子は空しく生まれ、闇の中に去り/その名は闇に隠される。
6:5 太陽の光を見ることも知ることもない。しかし、その子の方が安らかだ。
6:6 たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、幸福でなかったなら、
何になろう。すべてのものは同じひとつの所に行くのだから。
+++
この人の発想の中には天国とか地獄という発想はなく、死んだらみんな同じ
ところに行くという風に理解しています。旧約聖書ではそういう発想が強い
です。
さて、ここにも不幸な人の姿が出てきます。物質的には恵まれているのに、
満足できない人の姿です。
幸福は必ずしも持ち物と比例しませんね。長寿を誇り、リッチな生活をして
いても、その心には幸福感がないとしたら、感謝の心が失せてしまい、愛す
ることもできないとしたら、確かに辛い人生になると思います。感謝の心を
持ち続けることは、大事なことです。
生きているということにさえ感謝。これはとても幸せなことだと思います。
祝福がありますように。


   関根一夫

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月12日(土)14時42分9秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.12

ルカによる福音書

◆弟子の条件
14:25 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。
14:26 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、
兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの
弟子ではありえない。
14:27 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わた
しの弟子ではありえない。
14:28 あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な
費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。
14:29 そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あ
ざけって、
14:30 『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろ
う。
14:31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の
兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかど
うか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。
14:32 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和
を求めるだろう。
14:33 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたが
たのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
+++++
弟子として歩むことの厳しさがここに求められています。家族への愛、自分
に対する愛よりもイエス様への愛を優先する姿勢、十字架を負うという姿勢、
自分の財産を捨てる覚悟など、それこそ、頑張りでは到底応答できない姿勢
がここには書かれています。きっと、こういう文章を読むと不安になって、
自分は救われないのではないかと悩む人もあるかもしれませんね。
キリストを主、救い主として受け入れ、信頼し救いを得るということと、弟
子として歩むという出来事は別のことだと思います。弟子となれるかなれな
いかには関係なく、救いは十字架と復活の出来事によってもたらされていま
す。ですから、救いについては心配は不要です。
イエス様は12弟子をお選びになりました。弟子として選ばれている人たちは、
応答すべきです。
ある人は、こういう生き方を提示され、ある人は社会で普通に生きるように
召されていると思います。
主が選んでくださったのであれば、その道を生き抜く力も与えてくださいま
す。救われる人たちは多いのですが、弟子となって働き手として仕える人は
多くありません。ただ、弟子の心で生きるようにと、聖霊はイエス様を信じ
る者の中にそういう意欲を育ててくだいます。礼拝の際には、各自が、こう
いう意識で主の前に立っているのです。
祝福がありますように。
++++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

5:14 人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。
労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。
5:15 これまた、大いに不幸なことだ。来た時と同じように、行かざるをえな
い。風を追って労苦して、何になろうか。
5:16 その一生の間、食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない。
5:17 見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、
飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で
良いことだ。それが人の受けるべき分だ。
5:18 神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきま
え、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。
5:19 彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを
与えられるのだから。
+++
今生かされていることを感謝し、今与えられているものを感謝し、喜びの心
を表明しつつ生きること、礼拝しながら生きることこそ、人生の幸福につな
がるとコヘレトは感じています。
人生は短く、悩みも多いのですが、その間、投げやりにならず、結果を受け
止め、自分を受け入れ、神の配慮を信じて感謝することを覚えること、それ
ってとても大切な人間の道です。
人は裸で母の胎を出たように、裸で帰るのです。どんなに財を持っていても、
有名でも同じです。
厳粛な事実です。
この日、この日を丁寧に生き、喜びや感謝を神にも人にも表明しながら、生
きましょう。
祝福がありますように。


   関根一夫






http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月11日(金)10時27分18秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.11

ルカによる福音書
◆「大宴会」のたとえ
14:15 食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で
食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。
14:16 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、
大勢の人を招き、
14:17 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用
意ができましたから、おいでください』と言わせた。
14:18 すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行か
ねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。
14:19 ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くとこ
ろです。どうか、失礼させてください』と言った。
14:20 また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』
と言った。
14:21 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、
僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な
人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』
14:22 やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席
があります』と言うと、
14:23 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来
て、この家をいっぱいにしてくれ。
14:24 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者
は一人もいない。』」
+++
「神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう」と自画自賛する客に
対してイエス様はたとえを話されました。その話では、盛大な宴会に招待さ
れた人たちにしもべが迎えに行くと、次々に言い訳とともに断られます。つ
まり、その場に及んで、それぞれに宴会よりも重要案件を口実に宴会出席を
拒否するのです。これはあたかも、イエス様に対する信頼を否定するユダヤ
教指導者たちの姿と重なります。

主人は怒って、しもべたちに「急いで町に出て行き決して普通は招かれない
と思われる人たちを集めてくるように」と命じます。その結果、最初に招か
れていた人たちは決して宴会には招かれず、食事を味わうことのできる人も
いないというのです。イエス様の福音を受け入れた人たちは、どちらかとい
えば当時の社会の底辺にいた名もなく、貧しい人たちでした。
神の国での食事への招きとは、イエス様を救い主として信じることへの招き
なのです。
言い訳せずに、先延ばしせずに、信じることができますように。
祝福があるよう、心からお祈りします。



    関根一夫


http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月11日(金)10時16分58秒
返信・引用
  ルカによる福音書
◆客と招待する者への教訓
14:7 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえ
を話された。
14:8 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の
高い人が招かれており、
14:9 あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と
言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。
14:10 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あな
たを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。
そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。
14:11 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
14:12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催
すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。
その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。
14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自
由な人、目の見えない人を招きなさい。
14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。
正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
*****
社会生活上、高ぶった態度で人に接することがないようにという警告が書か
れています。もし招待してくれた人が上席にどうぞと言ってくれるのであれ
ば、良いけれど、そうでないときには末席に座るようにという勧めです。当
時の宗教指導者たちは、きっと好んで上席を自ら選んでいたのかもしれませ
ん。そういう心をイエス様は戒めています。
また宴会を催すときにはお返しの出来ない人たちを選びなさいと勧めていま
す。
心の高ぶりが、神の前にどれほど醜いものなのか、伝わってきます。
そういう姿勢で生きられますように。
祝福を心からお祈りします。



+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

5:7 貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠如などがこの
国にあるのを見ても、驚くな。なぜなら/身分の高い者が、身分の高い者を
かばい/更に身分の高い者が両者をかばうのだから。
5:8 何にもまして国にとって益となるのは/王が耕地を大切にすること。
++++
不正や搾取が横行している国では一般人は、虐げられ、生活は苦しくなる一
方ですが、これはいつの時代にもあったことのようです。
王が、耕地を大切にするなら、農夫は仕事ができ、また、収益を上げ、食べ
るための穀物を手に入れることができるので、かろうじて生活することがで
きるようになります。その耕地さえも大切にできないようだと国はますます
疲弊することになります。
「耕地あっての国」という原則は、現代日本においては見直されるべき重要
な課題だと思います。すべての人が農夫ではありませんが、すべての人が何
かを食して生きているからです。
「腹がへっては戦はできぬ」とのことわざ通り「食物の自給率低下」は国民
にとって、楽観視できない深刻な出来事です。
祝福がありますように。

関根一夫

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 9日(水)13時09分56秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.09

ルカによる福音書
◆安息日に水腫の人をいやす
14:1 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の
家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
14:2 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。
14:3 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
14:4 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやして
お帰しになった。
14:5 そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ち
たら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
14:6 彼らは、これに対して答えることができなかった。
+++
安息日のさまざまな規定が何と人を不自由にし、神の愛の実践を妨げている
か、イエス様はこの箇所の中で示しておられます。もともとの安息日の規定
がどんどん細分化されて、本当に小さな動きさえも規定されることになって
いたのです。
神の愛が示される、人のいのちが助けられるのに、それを禁止するような特
別な日があってはならないのです。神は毎日、愛をもって私たちに迫ってお
られます。それには定休日はないのです。
祝福がありますように。

+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

5:1 焦って口を開き、心せいて/神の前に言葉を出そうとするな。神は天に
いまし、あなたは地上にいる。言葉数を少なくせよ。
5:2 夢を見るのは悩みごとが多いから。愚者の声と知れるのは口数が多いか
ら。
5:3 神に願をかけたら/誓いを果たすのを遅らせてはならない。愚か者は神
に喜ばれない。願をかけたら、誓いを果たせ。
5:4 願をかけておきながら誓いを果たさないなら/願をかけないほうがよい。
5:5 口が身を滅ぼすことにならないように。使者に「あれは間違いでした」
などと言うな。神はその声を聞いて怒り/あなたの手の業を滅ぼされるであ
ろう。
5:6 夢や空想が多いと饒舌になる。神を畏れ敬え。
++
言葉数が多いとどうしてもそれによる失敗も増えていきます。また、あせっ
て口を開くと同じようにとんでもない約束を口走ったりすることがあります。
言葉数を減らし、つまり、語る前に良く考え、吟味し、それから約束をすべ
きですね。これはもう人事ではなく、自分のこととして心に留めなければな
りません。
「口が身を滅ぼすことにならないように」振り返ると、失敗は大体、この辺
から始まっています。
気をつけたいですね。
祝福がありますように。





http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 8日(火)21時45分0秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.08

ルカによる福音書
◆エルサレムのために嘆く
13:31 ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエ
スに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとして
います。」
13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追
い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝え
なさい。
13:33 だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばなら
ない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。
13:34 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々
を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の
子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
13:35 見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主
の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決し
てわたしを見ることがない。」
+++
イエス様の断固とした使命を完遂する生き方が浮き彫りにされています。同
時にエルサレム、そしてそこにいる指導者や民衆のために嘆いている姿が描
かれています。神様は人をお救いになる際に、無理に人の心を力ずくで捻じ
曲げて立ち返らせようとなさいません。イエス様が涙するほどの頑固な集団
がそこには存在し、厳しい反発がそこにはありました。それでもなお、救い
主は前に進み、自分の命をかけて神の愛と赦しとを宣言するために十字架に
向かう必要がありました。その頑固な反発のゆえに彼らは神様から見捨てら
れるとさえイエス様は語りました。そういう切迫感をイエス様はお持ちです
が、当事者たちはまったくそういう風には考えていませんでした。ここに何
ともいえない人間の愚かさを感じます。
主は、そういう愚かさをもった私たちのためにも、泣かれました。
祝福がありますように。

+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:13 貧しくても利口な少年の方が/老いて愚かになり/忠告を入れなくなっ
た王よりも良い。
4:14 捕われの身分に生まれても王となる者があり/王家に生まれながら、卑
しくなる者がある。
4:15 太陽の下、命あるもの皆が/代わって立ったこの少年に味方するのを/
わたしは見た。
4:16 民は限りなく続く。先立つ代にも、また後に来る代にも/この少年につ
いて喜び祝う者はない。これまた空しく、風を追うようなことだ。
4:17 神殿に通う足を慎むがよい。悪いことをしても自覚しないような愚か者
は/供え物をするよりも、聞き従う方がよい。
+++++
聞き従うこと、忠告に耳を傾けることは、年齢とともに難しくなっていきま
すが、それをきちんと注意している文章です。
そして若者が年寄りに代わり、出身がどこであれ、知恵ある若者が台頭して
くる様子が描かれています。実に晴れやかな、実に麗しい出来事です。しか
し、残念ながら、そういう人気がいつまでも続くわけではありません。民の
心は、実際のところあてにはできません。どんなことがきっかけで反旗を翻
すようになるかわからないからです。民意と言いますが、どんなときでも常
に公正ということはないように思います。やっぱり、踊らされ、操作されて
いる面と、気まぐれな面がありますね。
各自がしっかり心の土台をみ言葉の上に据える作業がとても大事なことなの
です。
祝福がありますように。






http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 7日(月)10時49分29秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.07

ルカによる福音書
◆狭い戸口
13:22 イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでお
られた。
13:23 すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。
イエスは一同に言われた。
13:24 「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとして
も入れない人が多いのだ。
13:25 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがた
が外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お
前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。
13:26 そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、
また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。
13:27 しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、
皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。
13:28 あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが
神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣き
わめいて歯ぎしりする。
13:29 そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会
の席に着く。
13:30 そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」
*******
神様の計画にはタイムリミットが設けられています。これはすべての人に訪
れる「死」を区切りと考えるとわかりやすいかもしれません。死の前に決め
なければならないことがあるということです。また、どんなに楽しい交わり
の時を持ち、教えの場に参加したことがあっても、「狭い戸口から入る」と
いう出来事を通過していないと最終的には否定されてしまうとイエス様は警
告なさいました。
狭い戸口から入るとは、「個人個人が自分の問題として救いを求める意識を
持つ」と考えることが出来ると思います。みんなと一緒に楽しむことが悪い
わけではありません。でも、神様からの「救い」を受け取る場合には「みん
なと一緒」という側面よりも「自分と神」という関係を重視していく必要が
あるのです。
「主よ、この私に救いが必要です」という自覚と信仰による求めが大切なの
です。プライドが砕かれる出来事でもあります。でも、そこが大事な鍵なの
です。広い戸口を行くなら、プライドが砕かれることはないのですが、イエ
ス様は、あえて狭い戸口を勧めています。
祝福がありますように。


+++

【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:8 ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。際限もなく労苦し、彼の
目は富に飽くことがない。「自分の魂に快いものを欠いてまで/誰のために
労苦するのか」と思いもしない。これまた空しく、不幸なことだ。
4:9 ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。
4:10 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友の
ない人は不幸だ。
4:11 更に、ふたりで寝れば暖かいが/ひとりでどうして暖まれようか。
4:12 ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れに
くい。
+++
独りよがりな男の空しさが語られ、ひとりより、ふたりのほうが良いと著者
は結論づけています。
人間は誰かと関わりながら、誰かと絆を結びながら生きないと、人間らしさ
を保つことは難しいのです。創世記の2章にある言葉を思い出します。「 2:
18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者
を造ろう。」
夫婦であれ、親子、兄弟、友人、仲間、いろいろなかかわりがありますが、
それぞれ意味深い、関係であり、有益です。必ずしもそれらの関係を維持す
ることは容易ではありませんが、誰かと一緒に、誰かを大切にしながら生き
ることは自分の人生も相手人生も豊かにする生き方なのです。
祝福がありますように。


   関根一夫







http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 5日(土)16時23分0秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.05

ルカによる福音書
◆「からし種」と「パン種」のたとえ
13:18 そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえ
ようか。
13:19 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長し
て木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
13:20 また言われた。「神の国を何にたとえようか。
13:21 パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やが
て全体が膨れる。」
****
からし種は、粒々のとても小さな種です。でも、それを蒔いて成長させると
とても大きな木になります。
パン種もパンをふくらませ、それによってパンらしく見えてきます。インド
カレーのとき食べるナンには、パン種は入っていません。
イエス様は、からし種とパン種を「神の国の拡大、ひろがり」に例えて語り
ました。それらは始まりは小さなものですが、いつの間にか大きくなり、拡
大し、膨張していくものとして神の国、神の恵みの支配による神の心の充満
を教えています。
最初は、神を自分の幸福のために利用していたような気持ちが、いつの間に
か神を礼拝する、つまり神のしもべとして生きることを喜びとするように変
化していくのですから、その支配の拡大は絶大です。
誰の心の中にもみことばの種が蒔かれると、そういう変化がもたらされます。
祝福がありますように。


+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:1 わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。見よ、虐げ
られる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ、虐げる者の手にある力を。
彼らを慰める者はない。
4:2 既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人
よりは幸いだ。
4:3 いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下
に起こる悪い業を見ていないのだから。
***
大きな災害や、さまざまな国の動乱、クーデターとその背後の民の苦難をニ
ュースで見たりすると、本当に慰めようもないほどの状況に言葉も出なくな
るような気持ちにさせられます。
生きていくことのなんと厳しく辛いことか。著者はここで、生まれてこなか
った者はそれらの悲劇を見ていないのだから、幸いだとさえ言います。
しかし、生きている今こそ現実であり、慰めも不足している状況こそが今日
なのだという人々が大勢います。
私は、そういう方々を励ます言葉がわかりません。「あなたが語る、『慰め
がありますように』などという言葉は、災難を受け入れる心の準備も出来て
いない被災者や被害者の方々にとっては、他人行儀で、とても冷たい、切り
離され、追いやられるような言葉と感じるのではないかと諌められたことが
ありました。そうかもしれません。
でも、「わたしの代わりにそこを通過してくれてありがとう」とつぶやきた
くなることがあります。何の関連もないようなその人の生き方や存在が、実
は深いところで関わっていることを感じるのです。つまり、その場に私が居
合わせる可能性はゼロじゃないんだよなと思うわけです。人は両親を選べま
せんから、私があの地域のあの人だった可能性はどこかにあるわけです。
人生は難しいものですね。
幸せな心が今日、もたらされますように。


   関根一夫







http:// 

 

(無題)

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 5日(土)16時21分34秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.05

ルカによる福音書
◆「からし種」と「パン種」のたとえ
13:18 そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえ
ようか。
13:19 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長し
て木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
13:20 また言われた。「神の国を何にたとえようか。
13:21 パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やが
て全体が膨れる。」
****
からし種は、粒々のとても小さな種です。でも、それを蒔いて成長させると
とても大きな木になります。
パン種もパンをふくらませ、それによってパンらしく見えてきます。インド
カレーのとき食べるナンには、パン種は入っていません。
イエス様は、からし種とパン種を「神の国の拡大、ひろがり」に例えて語り
ました。それらは始まりは小さなものですが、いつの間にか大きくなり、拡
大し、膨張していくものとして神の国、神の恵みの支配による神の心の充満
を教えています。
最初は、神を自分の幸福のために利用していたような気持ちが、いつの間に
か神を礼拝する、つまり神のしもべとして生きることを喜びとするように変
化していくのですから、その支配の拡大は絶大です。
誰の心の中にもみことばの種が蒔かれると、そういう変化がもたらされます。
祝福がありますように。


+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:1 わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。見よ、虐げ
られる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ、虐げる者の手にある力を。
彼らを慰める者はない。
4:2 既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人
よりは幸いだ。
4:3 いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下
に起こる悪い業を見ていないのだから。
***
大きな災害や、さまざまな国の動乱、クーデターとその背後の民の苦難をニ
ュースで見たりすると、本当に慰めようもないほどの状況に言葉も出なくな
るような気持ちにさせられます。
生きていくことのなんと厳しく辛いことか。著者はここで、生まれてこなか
った者はそれらの悲劇を見ていないのだから、幸いだとさえ言います。
しかし、生きている今こそ現実であり、慰めも不足している状況こそが今日
なのだという人々が大勢います。
私は、そういう方々を励ます言葉がわかりません。「あなたが語る、『慰め
がありますように』などという言葉は、災難を受け入れる心の準備も出来て
いない被災者や被害者の方々にとっては、他人行儀で、とても冷たい、切り
離され、追いやられるような言葉と感じるのではないかと諌められたことが
ありました。そうかもしれません。
でも、「わたしの代わりにそこを通過してくれてありがとう」とつぶやきた
くなることがあります。何の関連もないようなその人の生き方や存在が、実
は深いところで関わっていることを感じるのです。つまり、その場に私が居
合わせる可能性はゼロじゃないんだよなと思うわけです。人は両親を選べま
せんから、私があの地域のあの人だった可能性はどこかにあるわけです。
人生は難しいものですね。
幸せな心が今日、もたらされますように。


   関根一夫







http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 4日(金)23時20分38秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.04
ルカによる福音書
◆安息日に、腰の曲がった婦人をいやす
13:10 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
13:11 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がっ
たまま、どうしても伸ばすことができなかった。
13:12 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、
13:13 その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神
を賛美した。
13:14 ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立
て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうが
よい。安息日はいけない。」
13:15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだ
れでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行
くではないか。
13:16 この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていた
のだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
13:17 こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエス
がなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。
+++++
安息日に「して良いこと」と、「すべきでないこと」がありました。それが
厳格に守られていることこそ「神への信仰深さ」と理解されていました。イ
エス様をとがめた会堂長は、イエス様が女性の上に「手を置いた」という行
為を安息日規定に違反していると責めたのです。それにしても、人が癒され
るのを見て「立腹」しているのはなぜなのでしょう。人の健康が回復するこ
とより、規則が守られることのほうが大事なのでしょうね。イエス様は、牛
やロバのためにさえ安息日に水を飲ませるために引いていくことはするのに、
アブラハムの娘、つまり信仰者で、不治の病にかかって18年も苦しんでいた
この人を解放し、命をもたらすことが悪いはずがないと教えたのです。愛の
ない律法主義集団の心の狭さが浮き彫りにされています。
しかし、こういう律法主義的傾向は私たちの身近なところにも案外入り込ん
できていないでしょうか。
人を愛し、人を生かすことよりも、厳格に規則を守ることを優先させるよう
な心は育っていないでしょうか。
祝福がありますように。

++

【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
3:16 太陽の下、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるの
を。
3:17 わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべて
の出来事、すべての行為には、定められた時がある。
3:18 人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるの
は、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。
3:19 人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をも
っているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、
3:20 すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に
返る。
3:21 人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう。
3:22 人間にとって最も幸福なのは、自分の業によって楽しみを得ることだと
わたしは悟った。それが人間にふさわしい分である。死後どうなるのかを、
誰が見せてくれよう。
+++++
司法のもとにも悪が存在していることは、昔も今も変わらないことのようで
す。
そして、神はさまざまな試練を通して「人間も動物に過ぎない」ことを人に
わからせようとしていると述べます。すべて「死に行く存在」として同じだ
というのです。死後のことはわからないのだとも。
命あるものの光と影とでも言いましょうか、いのちは有限のものなので、あ
るときにこそ楽しめるのですが、亡くなる日が必ずやってきます。だからこ
そ、身の程を知った生き方が大切であり、いのちあるものを大切にしながら
生きる姿勢が命を託された私たちの重要な使命なのかもしれません。
今日もしっかり生きたいものです。

祝福がありますように。

   関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 2日(水)13時02分53秒
返信・引用
  今日の聖句
20120502
ルカによる福音書
◆悔い改めなければ滅びる
13:1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼ら
のいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。
13:2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭
ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
13:3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、
皆同じように滅びる。
13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んで
いたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。
13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、
皆同じように滅びる。」
++++
ピラトがガリラヤ地方の人たち数人の血を彼らの宗教祭儀であるいけにえに
混ぜたという事件と、シロアムの塔が倒れて18人死んだという災難を、それ
は神からの天罰で、きっとたくさんの悪いことをしていた人たちに違いない
と言っている人たちがあったのでしょう。イエス様は、それを否定なさいま
した。
つまり、災難や災害は、悪い行いをしたに人も、そうでない人にも誰にでも
もたらされてしまうのです。
同時に神の裁きの座にもすべての人が立つことになります。しかし、悔い改
めてキリストによる罪の赦しの福音を信頼するなら、裁きの判定は救いであ
って、滅びではありません。
イエス様は、そのことを教えておられます。悔い改めとは、方向変換を意味
しています。いわば、Uターンです。神様の示された恵みの道へと方向転換す
るわけです。その力は聖霊が与えてくださいます。
祝福がありますように。

++++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】

3:1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
3:2 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
3:3 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
3:4 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
3:5 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
3:6 求める時、失う時/保つ時、放つ時
3:7 裂く時、縫う時/黙する時、語る時
3:8 愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。
3:9 人が労苦してみたところで何になろう。
3:10 わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
3:11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与え
られる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許
されていない。
++++
私たちは時から時へと流れるように進んで行き、ことの初めから終わりまで
を見極めることはできません。そして、そういう時を待ち伏せして、捕まえ
るという作業も次に何が起こるのかわからないので、難しいものです。しか
し、私の一生の時とそこに置かれているチャンスやピンチを神に知られてお
り、神が心の支えとなって共に歩んでくださるのであれば、ずいぶん心強く、
前向きに進むことが出来るように思います。
また、今日が、辛いときだとしても、明日は明るい時になるかもしれません。
その逆の可能性もありますね。人が生きるということは、さまざまな状況の
中を右往左往しながら、流れるように日々を進むということでもあります。
私たちは時を支配したり、時を止めることはできません。
時の存在によって、人間の状況の不確実性やはかなさを思い知らされます。
だからこそ、心の支えとして誠実に生きること、また、神に信頼して生きよ
うとする姿勢はとても有益なものだと思います。
祝福がありますように。



    関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 1日(火)21時27分30秒
返信・引用
  今日の聖句
20120501
ルカによる福音書
◆訴える人と仲直りする
12:57 「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。
12:58 あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、途中でその
人と仲直りするように努めなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官の
もとに連れて行き、裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。
12:59 言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出るこ
とはできない。」
++++
和解することは簡単な事ではありませんが、それでも感情的になり過ぎない
うちに、互いに「ごめんなさい」と「ありがとう」の両方を合せてを伝える
ことができれば、道は開けるように思います。一番重要なことは、できるだ
け早いうちに手を打つことかもしれません。時間が経ってしまうと、なかな
か和解のきっかけが見つかりにくくなります。ここにある話は神様との関係
についての終末論的な「たとえ話」と理解されていますが、実際の社会にお
ける出来事として理解すべきものでもあると思います。
今日が誰かとの和解の日になったら良いですね。「ごめんなさい」と「あり
がとう」の両方を丁寧に伝えてみたらいかがでしょう。
祝福がありますように。

++++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:20 太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していった。
2:21 知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった
者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なこ
とだ。
2:22 まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何にな
ろう。
2:23 一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空
しいことだ。
2:24 人間にとって最も良いのは、飲み食いし/自分の労苦によって魂を満足
させること。しかしそれも、わたしの見たところでは/神の手からいただく
もの。
2:25 自分で食べて、自分で味わえ。
2:26 神は、善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。だが悪人に
は、ひたすら集め積むことを彼の務めとし、それを善人と認めた人に与えら
れる。これまた空しく、風を追うようなことだ。
+++
苦労を重ねても、自分が死ねば、苦労知らずの人のものとして相続されてし
まうことへの幻滅感、苦労の多い日々に対する疲労感を著者は描き、空しさ
を語ります。
そして、結論めいた文章が出てきます。自分の苦労で食物を得て飲み食いす
ることが出来たら、それを喜び、魂に喜びを経験すること。しかし、これは
自分の喜びというより、神によって与えられるものなのだということに彼は
気づきます。
しかし、神は善人に祝福をもたらし、悪人には労苦を与えるとコヘレトは言
います。そして、自分が善人でい続けることができないことを知り、つまり、
神の善しと認める人のところに祝福が渡されてしまうことを知り、空しさを
感じるのです。神を思いのままに動かすことができない現実に彼は愕然とし、
ある種の限界を感じているのでしょう。
しかし、「神」が出てきているところに、発想の展開があり、何か希望を感
じます。
祝福がありますように。


    関根一夫






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日々の聖句

 投稿者:ヨシュア  投稿日:2012年 4月30日(月)22時35分59秒
返信・引用
  今日の聖句
20120430
ルカによる福音書
◆時を見分ける
12:54 イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。
12:55 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。
12:56 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
++++
天気予報については情報をきちんとキャッチし、的確に予想できるのに、救い主が到来しているという重大な時をなぜ理解できないのかとイエス様は、宗教指導者たちのことを嘆いています。当時、彼らは、天気予報と同じくらい、いいえ、それ以上、どういう時にどこに救い主がおいでになるのか、情報は持っていました。そして、民衆にそれを教えていたほどでした。にもかかわらず、実際にその時が来て、イエス様がそこにおられるのに、イエス様の中に神からの救い主の姿を見ることができず、反発し、殺そうとさえしている現実がありました。
「偽善者」とは、教えていることと理解していることが違う、言っていることとやっていることが違う指導者たちのことを指しています。私は自分の中に、常に偽善的な面が存在しているように感じています。
教えと行為の中に誠実さを身につけたいと思います。
祝福がありますように。

++


【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:12 また、わたしは顧みて/知恵を、狂気と愚かさを見極めようとした。王の後を継いだ人が/既になされた事を繰り返すのみなら何になろうか。
2:13 わたしの見たところでは/光が闇にまさるように、知恵は愚かさにまさる。
2:14 賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。しかしわたしは知っている/両者に同じことが起こるのだということを。
2:15 わたしはこうつぶやいた。「愚者に起こることは、わたしにも起こる。より賢くなろうとするのは無駄だ。」これまた空しい、とわたしは思った。
2:16 賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。
2:17 わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ。
2:18 太陽の下でしたこの労苦の結果を、わたしはすべていとう。後を継ぐ者に残すだけなのだから。
2:19 その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。いずれにせよ、太陽の下でわたしが知力を尽くし、労苦した結果を支配するのは彼なのだ。これまた、空しい。
+++++
知恵は愚かさよりも優れていることを認めながらも、結局賢い人も、愚かな人も同じように死んでいき、忘れられていくことの虚しさをコヘレトは語っています。
自分の努力も残したすべてのものも、結局、自分の死後、そこに残された後継者に引き継がれるわけですが、彼が賢者なのか、愚者なのか、それさえ確定的なものではない、これもまた空しいと告白しています。人は、絶望的な見方をし始めると、何から何までそういうふうに見えてきてしまうものです。「死」の壁は厚く、すべての人が忘却の対象になっている現実は、確かに、暗澹たる思いの波の中に引き込まれてしまう感じさえします。しかし、こういう現実をしっかり見定めることができるこの人は確かに優れた知性の持ち主であることはわかります。
しかし、この人は「どうせ死ぬのだ、勝手に生きよう」という自暴自棄的な生き方を推奨しているわけではありません。いったいどう生きれば良いのかを問うているのです。
答えは簡単ではなさそうです。
祝福がありますように。


   関根一夫

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月28日(土)13時48分59秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.28
ルカによる福音書
◆分裂をもたらす
12:49 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃
えていたらと、どんなに願っていることか。
12:50 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、
わたしはどんなに苦しむことだろう。
12:51 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。
そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
12:52 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と
対立して分かれるからである。
12:53 父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、
嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」
+++++
ここで語られている「洗礼」とはご自分の使命でもある「十字架と復活」の
出来事です。神様がもたらそうとしている「救い」は救い主イエスの苦難と
犠牲によるものでした。
そして、イエス様は地上に平和ではなく分裂をもたらすために来たと語って
います。その救いを受け取る際にはきっぱりとした態度が求められ、対立が
生まれる可能性を示唆しています。
実は、イエス様も家庭内の理解を得られない時期がありました。マルコ3章
31節~などを見るとそれがわかります。
でも、この箇所で一番伝えたいのは、神様が家庭内に必ず深刻な対立をもた
らすという教えではなく、むしろ、一時的に家庭内で混乱や分裂があるにせ
よ、確実に神の救いがもたらされるということであり、そのためにこそ信仰
の火を点じる聖霊が与えられるのだという希望的な教えです。
誰かが信仰の決心をしたとき、家庭内で全員が喜ぶことがあるとすれば、家
中の人がすでに信仰を持っている場合か、あなたがよほどそれまで家庭内で
心配や迷惑をかけてきたかのどちらかだろうと思います。多くの場合、あな
たの信仰決心をいぶかる声があがり、警告や注意、意見対立が起こります。
しかし、一時的には対立もあるかもしれませんが、その火を消さないように
守るべきでしょう。いつか、きっと気づいてもらえる日が、和解の日がくる
と信じながら。
祝福がありますように。

++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:3 わたしの心は何事も知恵に聞こうとする。しかしなお、この天の下に生
きる短い一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、
酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に定めた。
2:4 大規模にことを起こし/多くの屋敷を構え、畑にぶどうを植えさせた。
2:5 庭園や果樹園を数々造らせ/さまざまの果樹を植えさせた。
2:6 池を幾つも掘らせ、木の茂る林に水を引かせた。
2:7 買い入れた男女の奴隷に加えて/わたしの家で生まれる奴隷もあり/か
つてエルサレムに住んだ者のだれよりも多く/牛や羊と共に財産として所有
した。
2:8 金銀を蓄え/国々の王侯が秘蔵する宝を手に入れた。男女の歌い手をそ
ろえ/人の子らの喜びとする多くの側女を置いた。
2:9 かつてエルサレムに住んだ者のだれにもまさって/わたしは大いなるも
のとなり、栄えたが/なお、知恵はわたしのもとにとどまっていた。
2:10 目に望ましく映るものは何ひとつ拒まず手に入れ/どのような快楽をも
余さず試みた。どのような労苦をもわたしの心は楽しんだ。それが、労苦か
らわたしが得た分であった。
2:11 しかし、わたしは顧みた/この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。
見よ、どれも空しく/風を追うようなことであった。太陽の下に、益となる
ものは何もない。
+++
知恵と笑いに続いて、著者は「酒による刺激、愚行」そして、贅沢の限りを
尽くして大邸宅を建て、果樹園や池を作り、奴隷、金銀、宝を手に入れ、遊
びに明け暮れ、側女も大勢はべらせて暮らしました。繁栄しているように誰
からも見えたはずです。しかし、その心は満たされていなかったというので
す。
それらのどれも、空しいと語っています。
それにしても、不思議ですね。快楽に熱中し、贅沢に遊んで暮らせること自
体が悩みになり、虚しさを感じるとは。心の中に潜む虚無感は、いわゆる物
欲や性欲、あるいは貪欲に押し出されての労苦によっても満たされることは
ないようです。
テレビなどで紹介される億万長者の、いわばセレブな生き方って本当に、幸
せなのでしょうか。人間って守るべきものが多くなりすぎたり、虚栄心ばか
りが大きくなってくると、苦労も倍増することになるかもしれませんね。
コヘレトは、自分の体験として、それら物欲からの労苦や外面的な繁栄は、
最終的な心の満足をもたらさなかった、幸せになれなかったと告白していま
す。人生の難しさがここにありそうです。
祝福がありますように。


   関根一夫







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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月27日(金)14時08分34秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.27
ルカによる福音書
◆目を覚ましている僕
12:35 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
12:36 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待って
いる人のようにしていなさい。
12:37 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸い
だ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着
かせ、そばに来て給仕してくれる。
12:38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを
見られる僕たちは幸いだ。
12:39 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来る
かを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。
12:40 あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るから
である。」
12:41 そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話してお
られるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
12:42 主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食
べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
12:43 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は
幸いである。

12:47 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりに
しなかった僕は、ひどく鞭打
たれる。
12:48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても
少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、
更に多く要求される。」
****
主が再び来られるときに、目覚めていられるしもべになるようにとイエス様
は勧めています。その場に主人がいてもいなくてもしもべたちの面倒をきち
んと見て、主人が戻ってくる日を期待するような生き方が推奨されているの
です。「12:47 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思い
どおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。
12:48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても
少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、
更に多く要求される。」とありますが、聖書の要求する信仰のあり方は「神
様の心を考えながら行動を決定する」というものです。神様が何を喜び、神
様が何を期待しておられるのかを考えながら行動を決定していくという生き
方は、いわば、自分のことだけ考えて生きるというのとはまったく異なる思
考パターンが要求されます。神様の心を教えられ、その心に沿って生きると
いう生き方こそ、聖書の求める生き方なのです。
祝福がありますように。


++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:1 わたしはこうつぶやいた。「快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。」
見よ、それすらも空しかった。
2:2 笑いに対しては、狂気だと言い/快楽に対しては、何になろうと言った。
**
「快楽とそれでもたらされる笑い」こそ人生を豊かにするものだと著者は考
え、その中に身を置きますが、結果は「空しい」ということになりました。
笑いは狂気であり、快楽は無意味だと彼は感じています。
おそらく、彼が求めた快楽や笑いは、一般人が求めているものとは比較にな
らない、一流の、高価な、いわば「ハーレム」のようなものだったかもしれ
ません。
しかし、そこでの楽しみが心を満たすことはありませんでした。快楽は一瞬
であり、そのあとは空しさが襲ったのです。快楽的な刺激は、一過性のもの
であり、さらにより強い刺激を求めていくことになります。現代社会におけ
る「ドラッグ」の流行は、まさにそういう光景を表現しているような気がし
ます。私が大学生の頃流行した「イージーライダー」という映画の中に描か
れた快楽への渇望と狂気、虚無感と悲劇的な結末は、まさにここにある言葉
を映像化したような感じさえします。
人生を豊かにする生き方への探求の旅は続きます。
祝福がありますように。


     関根一夫

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月25日(水)13時29分11秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.25

ルカの福音書(新改訳による)

12:22 それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに
言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのこと
で何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
12:23 いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつ
だからです。
12:24 烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋
も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あ
なたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。
12:25 あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいの
ちを少しでも延ばすことができますか。
12:26 こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配する
のですか。
12:27 ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせ
ず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄
華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはい
ませんでした。
12:28 しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、
神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんな
によくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。
12:29 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることを
やめ、気をもむことをやめなさい。
12:30 これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。
しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知
っておられます。
12:31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、
これらの物は、それに加えて与えられます。
+++
心配しなくてよいということは、決して無頓着で良いということではな
いと思います。心配するというのは、心を悩ませ、思いわずらい、悲観
的に自分で何とかしなければと無理をさせる要素を含んでいます。問題
だけを目の前に近づけて見、自分の能力だけを考え、神様の約束に心を
向けず、他者の善意にも心を開かないなどの態度が心配を生みだす要素
なのかもしれません。
神が養ってくださることを信頼し、その助けを当てにしつつ、自分の最
善を願い、丁寧に取り扱えば良いのです。
神に知られ、神の温かいケアの心がいつでもあなたに向けられているこ
とを信じて、日々を過ごすことができたらどんなに気持ちが楽になるこ
とでしょう。
神の国を求めて生きるとは、神の支配が自分にも届くことを信じて生き
ることです。
今日一日がそういう一日になりますように。
祝福を心から祈ります。

+++

【空のなかの真実:伝道者の書】(新改訳による)

1:5 日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。
1:6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、そ
の巡る道に風は帰る。
1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所
に、また流れる。
1:8 すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽き
ることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。
1:9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも
起こる。日の下には新しいものは一つもない。
1:10 「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それ
は、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。
+++
日、風、そして川は、常に変わっているようでいながら、同じことの繰
り返しのように思える。変化があるようでも、そこに存在するという面
では何も変わっていないので、循環しているだけのことでいわばゴール
が無いように感じるのです。人間の苦労も同じことの繰り返しではない
かというわけです。

方丈記を書いた鴨長明は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水
にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくと
どまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
」と記し「無常」という仏教の言葉と重ね合わせて、「常に同じものは
この世には無い」と強調しました。とはいえ、世の中に常なるものはな
いけれども、河の流れ自体は途絶えないことを理解し、常に変化してい
るものと、変わらないものとがあることを認めています。
こういう思想はとても大事な生命観でもあります。私たちの体やいのち
も同じようにとらえることができるからです。

事象は変わります。でも、同じことは前にも起こったことがあることな
のです。人間の経験も同じかもしれません。
静かな秩序の循環の中に私たちは置かれているように感じます。そんな
中で私たちは、意欲や希望をどう育てていけばよいのでしょう。いろい
ろ課題が見えてくる序の言葉です。
祝福がありますように。


   関根一夫







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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月24日(火)19時27分56秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.24
ルカによる福音書
◆「愚かな金持ち」のたとえ
12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように
兄弟に言ってください。」
12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官
や調停人に任命したのか。」
12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさ
い。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることも
できないからである。」
12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だっ
た。
12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡
らしたが、
12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、
そこに穀物や財産をみなしまい、
12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだ
けの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前
が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおり
だ。」
****
貪欲に関する警告を含んだ例え話です。
日本語では十分に伝わってきませんが、原文ではこの農夫の発言は「どうし
よう、わたしの作物をしまっておく場所がない」「こうしよう。私の倉を壊
し・・・私の穀物や私の財産を…」そして「私の魂に言ってやるのだ」とい
う風に「わたし」がいたるところに強調されているのです。イエス様が語っ
ているように、本当にこの人は自分のことしか考えていないのです。もちろ
ん、自分のことを考えることは大事なことで、自分のことを無視することは
よくない事です。自分自身に無頓着すぎるのは悪いことだと思います。
しかし、それにも限度があって、自分の心を神様とのかかわりの中に置いて
物事を考えることが人間として大事なことなのです。やがて、死がやってき
たとき、物自体は残っても、その人の存在と神との関係が皆無であれば、そ
の空しさは永遠的なものになってしまうわけです。
今、品物に恵まれていれば、すべて良いという考え方は、永遠を視野に入れ、
神との関係を視野に入れた人生を教えている聖書の世界からすると、実に刹
那的であり、一瞬のうちに流されてしまう可能性のある人生ということにな
ります。品物があること自体はすばらしいことだと思います。それに対して
神に感謝し、周囲と分かち合う心があるといいですね。独り占めは、独りよ
がりなどは、あまり歓迎されないわけですね。ちょっとイエス様の論点とズ
レましたね。失礼。
祝福がありますように。



++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
1:1 エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。
1:2 コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空し
い。
1:3 太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。
1:4 一代過ぎればまた一代が起こり/永遠に耐えるのは大地。
****
口語訳聖書や新改訳聖書では「伝道者の書」という題名になっていますが、
新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」となっています。このコヘレトという
言葉は旧約聖書の中で、この文章にしか使われていないものです。集会を召
集するもの、集会で語る者という意味があるようです。
だからこそ、伝道者と別の聖書は訳したのでしょう。知恵文学と呼ばれてい
るジャンルに入る文章で、空しさ、楽しさが入り混じり最終章で結論が書か
れています。全体的には悲観的であり、空しさが中心に語られている重苦し
さを含んだ人生訓的文章です。
これから、コヘレトの語る言葉を少しずつ読んでいきます。
最初から、「空しい」と語り、永遠性を感じられるのは大地だけだと語って
います。
これからの暗さが暗示されているような文章で始まっています。果たして元
気になれる教説があるのかどうか不安になりますが、現実と向き合うために
は、こういう文章をしっかり心にとどめておくことも必要だと思います。
最後までお付き合いくださいね。
祝福がありますように、


   関根一夫






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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月23日(月)10時35分50秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.24
ルカによる福音書
◆イエスの仲間であると言い表す
12:8 「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い
表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い
表す。
12:9 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で
知らないと言われる。
12:10 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦
されない。
12:11 会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い
訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。
12:12 言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」
+++
クリスチャンであることを表明することがそのまま迫害につながるという時
代がずいぶん長く続きました。そういう時代にはクリスチャンであることを
表ざたにすることは苦難を意味していましたから、恐れを感じで黙ってしま
う人や知らないと言ってしまう人もいたのだと思います。12弟子の一人、ペ
トロでさえ、そういう出来事を通過したことがありました。人への恐れで、
つい否定してしまうことはあるのです。信じているのに、それが言えないと
いう苦しみを神様はわかっておられます。ただ原則的には、キリストを信じ
ているのかと尋ねられたら、はい、私はその仲間ですと答えるように求めら
れています。イエス様に愚痴を言っても文句を言っても良いのです。赦され
ます。
そして、迫害を受け裁判になったとき、語るべきことは聖霊が教えて下さる
から心配しないようにイエス様は教えました。
聖霊を冒涜するとは、聖霊の働きかけをわかっていながら、故意に拒否し、
軽蔑的な態度であざ笑う態度を取り続けることです。神は「救いなど絶対に
いりません。私に聖霊の働きなど効き目はないし、無用です」と言い続ける
人に「それでは、そのようになりなさい」と神が宣言なさる日があるという
ことです。だからこそ、そういう人が「神を知り」、「神の希望と力を知り」、
「神の愛」を知ることができるように祈る必要があるのです。
祝福がありますように。


++

【癒す言葉:箴言】
◆有能な妻(つづき)
31:23 夫は名を知られた人で/その地の長老らと城門で座に着いている。
31:24 彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。
31:25 力と気品をまとい、未来にほほえみかける。
31:26 口を開いて知恵の言葉を語り/慈しみの教えをその舌にのせる。
31:27 一族の様子によく目を配り/怠惰のパンを食べることはない。
31:28 息子らは立って彼女を幸いな人と呼び/夫は彼女をたたえて言う。
31:29 「有能な女は多いが/あなたはなお、そのすべてにまさる」と。
31:30 あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられ
る。
31:31 彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。
***
働き者の理想的な妻が、同時に、気品に満ち、知恵の言葉、慈しみの教えを
語り、主を畏れる人でもあることが表現されています。
こういう女性は、理想の人として描かれているのだと思いますが、こういう
資質は女性ばかりでなく男性にも求められる要素だと思います。
それにしても箴言の最後の章にこういう描写が置かれているのは、なぜなの
でしょう。こういう人を妻として迎えなさいという忠告なのか、こういう人
は真珠よりも貴重だと言われていますから、まさに理想上の人物として描か
れ、こういう人がいたらいいなぁということなのか、どうなのでしょう。
ご夫婦でお互いに、ここに描かれている人とは程遠いけれど、「よろしくお
願いします」と分かち合えれば、幸せなのかもしれません。(箴言了)


関根一夫








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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月21日(土)22時10分23秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.21
ルカによる福音書
◆恐るべき者
12:4 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以
上何もできない者どもを恐れてはならない。
12:5 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む
権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。
12:6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さ
え、神がお忘れになるようなことはない。
12:7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
****
人を恐れて臆病になることは誰にでもあることですが、案外、神を恐れるこ
とは少ないようです。
しかし、神こそ私たちへの永遠の判定を下すことが出来るお方なので、その
お方の前に生かされていることを厳粛なこととして理解する必要があるとイ
エス様は教えました。
神は、永遠の裁きをもたらすお方として恐るべきお方だけでなく、私たちを
知っていて守ってくださるお方でもあります。私たちの髪の毛の本数さえも
知っておられ、わたしたちひとりひとりを価値ある存在として見ていてくだ
さるお方なのです。
厳しさと優しさを持っておられる神を恐れ、敬うことは、礼拝の心に通じて
います。
「神に知られている」という安心感をもって生きられることは幸いなことで
す。
祝福がありますように。


++

【癒す言葉:箴言】
◆有能な妻
31:10 有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。
31:11 夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。
31:12 彼女は生涯の日々/夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
31:13 羊毛と亜麻を求め/手ずから望みどおりのものに仕立てる。
31:14 商人の船のように/遠くからパンを運んで来る。
31:15 夜の明ける前に起き出して/一族には食べ物を供し/召し使いの女た
ちには指図を与える。
31:16 熟慮して畑を買い/手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく。
31:17 力強く腰に帯し、腕を強くする。
31:18 商売が好調かどうか味わい/灯は夜も消えることがない。
31:19 手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
31:20 貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
31:21 雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねているから。
31:22 敷物を自分のために織り、麻と紫の衣を着ている。
****
ここに書かれている「有能な妻」は、まさに当時の理想の女性像だったかも
しれません。この人の家庭には信頼感と奉仕の精神があふれています。衣食
住のすべてにおいて、彼女はよく働き、貧しい人にも助けの手を伸ばしてい
ます。
女性の社会的位置づけは低かった時代ですから、こういう文章があること自
体とても珍しいのですが、箴言には母親からの教訓がたくさんありますので、
自分の母親の生き方を書き写したものかもしれません。
ここには、重要な労働力としての女性の姿が書かれています。ちょっと男ま
さりと感じるほど力強い姿が描かれています。そういえば、イサクの妻リベ
カも実によく働く女性でしたね。
しかし、有能な妻も、有能な夫も、「どこにでもいる」わけではないですね。
真珠よりはるかに貴い存在だとすれば、それはきわめて稀なことですものね。
こういう妻がいたらいいなという理想を書いた詩のような感じがします。
「あなたは、わたしにとって大切な存在です。いてくれてありがとう」と分
かち合える存在であれば、これほど有能でなくても支えあえるのだと思いま
す。
祝福がありますように。







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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月20日(金)10時18分6秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.20
ルカによる福音書
◆偽善に気をつけさせる
12:1 とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み
合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサ
イ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。
12:2 覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られ
ずに済むものはない。
12:3 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の
間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
****
「パン種」が取り上げられているのは、「ふくらませる」ことから、「誇張
による偽り」の象徴として用いられているからです。偽善的な生き方とは自
分のことを誇張し、より大きく、立派そうに見せようとする心から始まって
います。そういう生き方の仮面はいつかはがされる日がきます。偽善的にで
はなく、誠実に表裏のない生き方をするようにとイエス様は弟子たちに勧め
ています。
どこかでより大きく、立派そうに見せたい気持ちは誰にでもあると思います。
しかし、結局化けの皮がはがれ、恥をかく日がくるのですから、正直に自分
を認め、身の程を知って、自分を生きることが大切なのです。自然体という
のは、そういう生き方なのでしょうね。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
◆レムエルの言葉
31:1 マサの王レムエルが母から受けた諭しの言葉。
31:2 ああ、わが子よ/ああ、わが腹の子よ/ああ、わが誓いの子よ。
31:3 あなたの力を女たちに費やすな。王さえも抹殺する女たちに/あなたの
歩みを向けるな。
31:4 レムエルよ/王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるも
のにふさわしくない。強い酒を求めることは/君たるものにふさわしくない。
31:5 飲めば義務を忘れ/貧しい者の訴えを曲げるであろう。
31:6 強い酒は没落した者に/酒は苦い思いを抱く者に与えよ。
31:7 飲めば貧乏を忘れ/労苦を思い出すこともない。
31:8 あなたの口を開いて弁護せよ/ものを言えない人を/犠牲になっている
人の訴えを。
31:9 あなたの口を開いて正しく裁け/貧しく乏しい人の訴えを。
++
王が母から受けた教訓が記されています。
女性との交際に入れ込み過ぎないように、強い酒を飲み過ぎないようにとい
う注意が切々と訴えられている様子が書かれています。
むしろ、王として義務を果たすように、すなわち、弱者への弁護、福祉への
情熱を燃やして民をケアするようにと勧められているのです。
申命記17章には王への警告が書かれていますが、
17:16 王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送
り返すことがあってはならない。「あなたたちは二度とこの道を戻ってはな
らない」と主は言われた。
17:17 王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に
蓄えてはならない。
17:18 彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこ
の律法の写しを作り、
17:19 それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れ
ることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばなら
ない。

とあり、軍備の増強や、大勢の妻、蓄財が戒められています。そして、しっ
かり主の教えを学ぶようにと勧められています。でも、それをしっかり守っ
た王が何人いたのだろうと思います。
それぞれの立場における義務をしっかり果たそうとすれば、当然、さまざま
な自己抑制が必要になります。
神様の力と助けを得て、それぞれの役割をしっかり果たしたいですね。
祝福がありますように。


  関根一夫







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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月19日(木)10時55分36秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.19
ルカによる福音書
11:49 だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを
遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』
11:50 こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、
今の時代の者たちが責任を問われることになる。
11:51 それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血に
まで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。
11:52 あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入ら
ないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」
11:53 イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激
しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、
11:54 何か言葉じりをとらえようとねらっていた。
****
自分のことを非難されて喜ぶ人はいないと思いますが、律法学者やファリサ
イ派の人たちも同様で、イエスを目の敵にし、何とか仕返しをしようとさま
ざまな質問や罠を仕掛けるようになり、修復不可能なほどの溝が出来てしま
いました。
イエス様が言われた「神の知識があると吹聴しているけれど、実際は、知識
の鍵を取り上げており、自分もその世界に入ることはできず、人々がそこに
入るのを妨げてい」るという状況を、自覚するのは難しいだろうなと思いま
す。彼らは自分たちの生き方に自信を持っていたでしょうし、知識の鍵を人
々から取り上げてしまっているとは思っていなかっただろうと思います。知
識の鍵とは、聖書の意味を解き明かす知識、神の救いの計画を教えることの
できる知識を開示できる力のことです。
しかし、人を脅し、人を迷わせ、勝手に恵みによる救いを「努力による救い
や奉仕、献金などによる救い」にすり替えて教えている人がいるとすれば、
それらの教師や指導者は、ここで糾弾されている律法学者と何一つ変わりま
せん。そういう人たちの心の奥底には、深刻な神様嫌いの心があり、自己保
身の心があるのです。気づかぬうちに神様より偉くなってしまっているから
です。
指導者のために、牧師のために、どうぞお祈りください。
祝福がありますように。


++

【癒すことば:箴言】
30:29 足取りの堂々としているものが三つ/堂々と歩くものが四つある。
30:30 獣の中の雄、決して退かない獅子
30:31 腰に帯した男、そして雄山羊/だれにも手向かいさせない王。
30:32 増長して恥知らずになり/悪だくみをしているなら、手で口を覆え。
30:33 乳脂を絞るとバターが出てくる。鼻を絞ると血が出てくる。怒りを絞
ると争いが出てくる。
****
言葉遊びのように感じる箇所です。教訓的な内容はあまり多くないように感
じます。
でも、「増長して恥知らずになり/悪だくみをしているなら、手で口を覆え」
という表現は面白いですね。
恥知らずな面は、その軽率で場をわきまえない発言によって明確になってき
ます。手で口を覆ってでも、失言をしないように気持ちを引き締めることっ
て、時々必要だなと思います。
言葉についての用心深さは、昔から、恥を隠し、知恵を示すための重要な教
訓として教えられていたようです。箴言は、最初から最後までそういう知恵
の重要さや思慮深く生きることの大切さを教えています。
今日一日、言葉での失敗が最小限に食い止められますように。
祝福を心からお祈りします。







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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月18日(水)11時43分56秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.18
ルカによる福音書
11:42 それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香
やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかに
しているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ
物もおろそかにしてはならないが。
11:43 あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、
広場では挨拶されることを好むからだ。
11:44 あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上
を歩く人は気づかない。」
11:45 そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、
わたしたちをも侮辱することになります」と言った。
11:46 イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負
いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとし
ないからだ。
11:47 あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建ててい
るからだ。
***
こういう文章を読むとファリサイ派の人たちの存在がすべて悪者のように感
じますが、実際には彼らの果たした社会的役割の中にはとても優れたものが
ありました。彼らは町で一般の人たちに聖書を教えたいわば宗教教育のプロ
だったからです。しかし、また、だからこそ問題もありました。それは彼ら
は自分たちの教えた内容にふさわしく歩む姿勢が求められていたのに、それ
についてはイエス様の指摘どおり、表面的、外面的な宗教生活に終始してい
た面があるからです。そればかりか、人に重荷を担わせるだけの教えになっ
てしまっていたのです。まるで神は重荷を負わせる神のようなメッセージが
彼らの主張でした。
イエス様は、彼らの理解不足、内面的な力不足を指摘しているのです。もし、
彼らがそれに気づいて、悔い改める気持ちがあれば、彼らは本当にすばらし
い教師としての役目を果たせたのだろうと思います。残念ながら彼らはイエ
ス様の指摘に腹を立て、悔い改めるどころか、権力にものを言わせてイエス
様を殺すことを計画するのです。彼らの内側の問題、神の真理への反抗心の
深刻さが浮き彫りにされてしまうことになります。
わが身に置き換えて、しっかり学ばねばと思います。私の内側にもファリサ
イ派の人と同じ種類の問題が存在しているように感じます。
祝福を心から祈ります。


++

【癒すことば:箴言】
30:24 この地上に小さなものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。
30:25 蟻の一族は力はないが/夏の間にパンを備える。
30:26 岩狸の一族は強大ではないが/その住みかを岩壁に構えている。
30:27 いなごには王はないが/隊を組んで一斉に出動する。
30:28 やもりは手で捕まえられるが/王の宮殿に住んでいる。
*****
こういう例えは面白いですね。知恵者として蟻、岩タヌキ、いなご、やもり
が挙げられています。
観察してみれば、確かに、言い当てているなぁと思います。なんだかイソッ
プ物語に出てくる話しのようにも思いますね。こういう風に説明したり、こ
ういうわかりやすいたとえを話せる人こそ、知恵者なのでしょうね。実にう
らやましい限りです。
最近、身近に起こったことで気づかされた真理ってありますか?
祝福がありますように。


   関根一夫






http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月16日(月)19時43分15秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.16
ルカによる福音書
◆体のともし火は目
11:33 「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はい
ない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
11:34 あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの
全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。
11:35 だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。
11:36 あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、
ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」
****
そこにいるイエス様の中に神の恵みを心の目で見ることができたら、そ
れによって全身がともしびのような役目を果すことになりますが、もし、
イエス様がそこにいるのに、奇跡ができるのかということばかりを求め
てしまい、その御方の言葉や存在の中に表明されている神の霊的真理を
見ようとしないなら、暗闇の中にいるのと重じ事になるというのです。
自分はイエス様をどう見ているだろうか、その御方を救い主として、ま
た神の御子として受け止めているだろうか。イエス様とは、あなたにと
って誰なのか、イエス様とは何なのか、実はこの質問はとても重要なも
のなのです。「あなたこそ、神の御子、救い主です」と告白できますよ
うに。
祝福を祈ります。

**

【癒す言葉:箴言】

30:15 蛭の娘はふたり。その名は「与えよ」と「与えよ。」飽くことを
知らぬものは三つ。十分だと言わぬものは四つ。
30:16 陰府、不妊の胎、水に飽いたことのない土地/決して十分だと言
わない火。
30:17 父を嘲笑い、母への従順を侮る者の目は/谷の烏がえぐり出し、
鷲の雛がついばむ。
***
ヒルの娘とはよく言ったものだと思いますが、人間や家畜の皮膚に吸い
付いて血を吸うのがヒルです。自分の身体の何杯にもなるほど血を吸う、
その貪欲さを表現しているのでしょう。あの人はヒルのような人だと言
われたら、確かに、もっとよこせ、もっとよこせとしつこく要求してく
る人を連想できますね。
そのあと、満足することのないものが列挙されていますが、こういう書
き方は当時のいわばトンチ問答やユーモアあふれる言葉遊びのような感
覚で書かれているのかも知れません。「不妊の胎」がそういう軽口の素
材になっていることは現代では決して受け入れられないように思います。
子供を生むことができても、できなくても、存在価値が変わるわけでは
ありません。しかし、それらの人たちの心の中で感じる寂しさ、悲しさ、
疎外感、また、歴史の中で受けてきた屈辱感の大きさは、計り知れませ
ん。神様からの慰めがあるようにとお祈りします。
祝福がありますように。


  関根一夫






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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月14日(土)19時48分48秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.14
ルカによる福音書
◆人々はしるしを欲しがる
11:29 群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。「今
の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかに
は、しるしは与えられない。
11:30 つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子
も今の時代の者たちに対してしるしとなる。
11:31 南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、
彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の
果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。
11:32 また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上が
り、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い
改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」
****
ヨナという預言者については、旧約聖書の中にその物語が書かれています。
彼は最初、ニネベという都市に行って彼らの罪に対する神の裁きがあること
を語れという神様の命令に背いて逃げ出し、船に乗り込みますが途中で嵐に
遭い、その責任を取らされて海に放り込まれ、魚に飲み込まれ、また助けら
れて結局ニネベに行き、神に託されたメッセージを語り、ニネベの町の人が
悔い改めるという物語です。それには付録のような話が付いていて、ヨナは
ニネベの人たちが悔い改め、神が彼らを赦したことが、腹立たしく、神様に
文句を言うという場面が書かれています。ヨナがどうして怒ったのかといえ
ば、ニネベの人々というのはイスラエルに敵対していた勢力だったからです。
イエス様はこのニネベの人たちの悔い改めの出来事を高く評価しています。
そして、ご自身のことを「ヨナにまさる者」として提示しています。
ヨナは三日三晩、魚の腹の中に置かれますが、イエス様は同じ日数死と裁き
の中に置かれます。
また、イエス様は、知恵者として知られるソロモン王にもまさる存在として
ご自身を紹介しています。
それが新約聖書の主張であり、教会の主張でもあります。「イエスをどう見
るか」という課題は常に大事なポイントなのです。
祝福がありますように。

***

【癒すことば:箴言】

30:10 僕のことを主人に中傷してはならない。彼はあなたを呪い、あなたは
罪に定められる。
30:11 父を呪い、母を祝福しない世代
30:12 自分を清いものと見なし/自分の汚物を洗い落とさぬ世代
30:13 目つきは高慢で、まなざしの驕った世代
30:14 歯は剣、牙は刃物の世代/それは貧しい人を食らい尽くして土地を奪
い/乏しい人を食らい尽くして命を奪う。
***
ここに表明されている出来事や、世代の観察は、今の時代にも共通している
ものがあるように思います。
忘恩、高慢、驕り、暴力、搾取、貪欲。これらの精神はいつの時代にも人々
の中に浸透しており、私たちはそういうことが悪いことだとわかっていても、
いつの間にか自分もそういう立場の中に身を置いていることに気づかされま
す。
「主よ、憐れんでください」と祈りながら、今日も丁寧に生きたいものです。
祝福がありますように。


       関根一夫






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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月13日(金)14時18分8秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.13
ルカによる福音書
◆真の幸い
11:27 イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声
高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなた
が吸った乳房は。」
11:28 しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、
それを守る人である。」
***
イエス様の母親への褒め言葉を聞いて、すぐにイエス様は「もっと幸いなの
は神の言葉を聞き、それを守る人です」と答えました。母親は、その範疇に
入っている人だったと思いますが、目だったことをするという生き方よりも、
地味にこつこつと御言葉を聞き、それに応答するような生き方こそ、神に喜
ばれる生き方なのだというのです。
キリストの教える生き方の中心は「神との対話」を大切にしながら、「神の
心に応答する」生き方です。自分の都合や自分の幸いということよりもむし
ろ、神の心を配慮しながら生きるのです。そこにこそ本当の幸いがあるのだ
と考えるわけです。ですから、幸いを追い求める人生ではなく、神が私に期
待し、願っている生き方に答えつつ生きることが私にとってはベストなので
す。
神の心の中にある私への期待の大原則は何かといえば「神を愛し、隣人を愛
し、自分を愛する」ことです。
祝福がありますように。

**

【癒すことば:箴言】
30:7 二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないで
ください。
30:8 むなしいもの、偽りの言葉を/わたしから遠ざけてください。貧しくも
せず、金持ちにもせず/わたしのために定められたパンで/わたしを養って
ください。
30:9 飽き足りれば、裏切り/主など何者か、と言うおそれがあります。貧し
ければ、盗みを働き/わたしの神の御名を汚しかねません。
***
この人のふたつの求め、どう思いますか?なんとなく消極的な感じがします
が、でも、主を畏れ、知恵を求める生き方としては、とってもまともな求め
だと思います。
それにしても、「貧しくもせず、金持ちにもせず」というところが面白いで
すよね。だからこそ労働意欲も消えないのかもしれないし、だからこそ、神
への信頼も失せないのかもしれません。
あなたが神にふたつ求めることが出来るとしたら、何を求めますか?
祝福がありますように。





http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月12日(木)23時10分13秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.12
ルカによる福音書
◆汚れた霊が戻って来る
11:24 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探す
が、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。
11:25 そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。
11:26 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、
中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪く
なる。」
****
その当時の宗教世界の精神の描写と言われている箇所です。彼らはイエス様
の働きによって心の内側を掃除してもらったのに、しっかりイエス様を迎え
入れようとしないので、汚れた霊が別の7つの霊を引き連れて帰ってきて住み
着いてしまい、状況は前よりひどいものになってしまうというのです。
箴言には「4:23 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」
という言葉があります。
神様を心のお掃除担当員のように利用するのではなく、むしろ、神様が私と
どういうかかわりを持ちたいと考えておられるのかをしっかり悟り、主であ
る救い主としてイエス様に常駐していただくことが一番です。
祝福がありますように。



【癒す言葉:箴言】
◆アグルの言葉
30:1 ヤケの子アグルの言葉。託宣。この人は言う、神よ、わたしは疲れた。
神よ、わたしは疲れ果てた。
30:2 まことに、わたしはだれよりも粗野で/人間としての分別もない。
30:3 知恵を教えられたこともなく/聖なる方を知ることもできない。
30:4 天に昇り、また降った者は誰か。その手の内に風を集め/その衣に水を
包むものは誰か。地の果てを定めたものは誰か。その名は何というのか。そ
の子の名は何というのか。あなたは知っているのか。
30:5 神の言われることはすべて清い。身を寄せればそれは盾となる。
30:6 御言葉に付け加えようとするな。責められて/偽る者と断罪されること
のないように。
****
アグルという人の言葉がこの章に、そしてレムエルという人の言葉が31章に
書かれています。今までの文章とは雰囲気が違います。
最初にアグルという人は自分の無教養、無知を告白しています。しかも、そ
れゆえ「疲れた」と振り返っています。「神よ、わたしは疲れ果てた」と言
えること自体は幸いなことです。先日、「お坊さんだって悩んでる」という
本を読みました。それは、いろいろなことを悩んでいるお坊さんの正直な質
問に別のお坊さんが丁寧に答えるという形式の本でした。大変興味深い本で
した。「牧師さんだって悩んでる」という本が出せるくらいの自由があった
らいいなぁと思いました。

このアグルの告白と同じような告白を自由にできる雰囲気はとても貴重です。
私たちは知っていると言っても、この人と同じように「粗野で分別がなく、
知恵もなく、聖なる方についてわかっていることなど本当に一握りの内容だ」
と自覚しなければならないように思います。
いつも、そこそこの「謙虚さが欲しいなと思います。
祝福がありますように。








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月11日(水)11時11分24秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.11
ルカによる福音書
◆ベルゼブル論争
11:14 イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする
悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めた
ので、群衆は驚嘆した。
11:15 しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追
い出している」と言う者や、
11:16 イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。
11:17 しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、
どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。
11:18 あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出している
と言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立っ
て行くだろうか。
11:19 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの
仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者
となる。
11:20 しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神
の国はあなたたちのところに来ているのだ。
11:21 強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物
は安全である。
11:22 しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具
をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。
11:23 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めな
い者は散らしている。」
***
人のひがみや嫉妬心というのは、猜疑心と一緒にとても考えにくいよう
な「非難の言葉」を作り出すものですね。イエス様の癒しや悪霊の追い
出しについて、ある人たちは「悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出
している」と批判する人がいたようです。また、イエス様と競い合って
何かすごいことを見せようとしている人もあったようです。
イエス様の側に立っているか、それとも敵対側に立っているかによって、
心を支配している内容がずいぶん変わってきます。
できれば、イエス様に守ってもらう側に立っていたいですね。
祝福がありますように。


***


【癒すことば:箴言】
29:22 怒りやすい人はいさかいを引き起こし/激しやすい人は多く罪を
犯す。
29:23 驕る者は低くされ/心の低い人は誉れを受けるようになる。
29:24 盗人にくみする者は自分の魂を憎む者/呪いが聞こえても黙って
いる。
29:25 人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。
29:26 支配者の御機嫌をうかがう者は多い。しかし、人を裁くのは主で
ある。
29:27 神に従う人は悪を行う者を憎む。神に逆らう者は正しく歩む人を
憎む。
++++
怒りやすい人、激しやすい人、驕るもの、盗人の味方に向かっての警告
が書かれています。
平静な心を維持するのは難しいですが、なんとか、そういう心を大事に
しながら生きたいですね。
平静な心とは、資格もないのに神に赦されており、神に愛され、神に知
られていることを感謝できる心と連動しているような気がします。
祝福がありますように。


  関根一夫








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月10日(火)15時03分5秒
返信・引用 編集済
  今日の聖句
2012.04.10
ルカによる福音書
11:5 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達が
いて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友
よ、パンを三つ貸してください。
11:6 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがな
いのです。』
11:7 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけな
いでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ていま
す。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
11:8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて
何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要
なものは何でも与えるであろう。
11:9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられ
る。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれ
ば、開かれる。
11:10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には
開かれる。
11:11 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与え
る父親がいるだろうか。
11:12 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
11:13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供に
は良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を
与えてくださる。」
****
私たちの状況をご存知である天の父は、私たちの願いを知り、それに答
えてくださるお方だとイエス様は教えました。求めなさい、探しなさい、
門を叩きなさい、そうすれば与えられ、見つかり、開けられるとも教え
ています。また「求めなさい」とあるのは「求め続けなさい」という意
味であり、「探し続け、叩き続けなさい」と
いう意味があります。
最後にイエス様は、天の父は、私たちの地上の父よりもはるかに自分の
子供思いであり、求める者たちに聖霊さえ与えてくださるお方なのだと
教えました。
父なる神は、愛をもって全てのものを創り、すべてを人間に託し、罪を
犯し、反抗を続ける人間を愛して御子をお与えになり、それだけでなく
心を神の愛で包み込むために「聖霊」さえもお与えくださる、気前の良
い、愛の深いお方なのです。文字通り、すべてを与えてくださるお方で
す。
私たちが神に何かを与えたり、ささげたりする以前に、神は私たちに宝
物をすべて提供してくださっているのです。大きな恵みの出来事が溢れ
ているのです。
祝福がありますように。

***


【癒すことば:箴言】
29:18 幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。
29:19 僕を言葉で諭すことはできない。理解したとしても、答えないで
あろう。
29:20 軽率に話す者を見たか。彼よりは愚か者にまだ望みがある。
29:21 僕を幼いときから甘やかしていると/後には手のつけられないも
のになる。
***
新改訳聖書では「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」と訳され
ています。幻、将来的展望、希望、などは堕落を防ぐためにはとても重
要な役割を果たします。ここに登場する「僕に対する対応」は、今の私
たちにはわかりにくいものだと思います。僕(しもべ)という立場の人
を見ることは少ないカラです。
しもべとは、「人間の姿をした家畜」だと当時の人は考えていました。
だとすれば、この「しもべ」は、馬のこと、犬のことと考えたほうがわ
かりやすいかも知れません。犬などは確かに、幼い時から甘やかしてい
ると、手のつけられない状況になりますからね。人間も同じかも知れま
せんが…。

それにしても、軽率に話す者への批判は厳しいですね。
軽口をたたき、嫌味を言い、思いつきでべらべらしゃべりまくり、相手
のことを思いやることもせず持論だけをぶちまける、困りますね。深刻
なのは、自分の軽率な言葉がどれほど人の心を傷つけているか気づいて
ないことが多いことです。だから、おろか者のほうがまだ望みがあると
箴言は続いているのです。
なんだか自分のことを言われている様な気がしてなりません。
祝福がありますように。


   日々の聖句






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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 9日(月)10時57分23秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.09
ルカによる福音書
◆祈るときには
11:1 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエ
スに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教
えてください」と言った。
11:2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、
/御名が崇められますように。御国が来ますように。
11:3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
11:4 わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある
人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
+++++
「主の祈り」が教えられています。「御名が崇められますように」とは「御
名が聖とされますように」という意味で「お名前どおりのお方として礼拝さ
れますように」と理解することができます。
ちなみに「御名」とは、たとえばモーセに現れたときに紹介された「わたし
はある」という名前があります。御名が崇められるとは、「神様は、わたし
はある」というお方であり、どんなときでも「いつでもいる、いつでも存す
る」お方としてうなずかれ、そういうお方として礼拝されますように」とい
うことになります。あるいは、イエス様が教えた「私は良い羊飼いです。良
い羊飼いは羊のためにいのちを捨てます」というのがありますが、その名前
とおりのお方として礼拝するということにも通じます。
そして、「御国がきますように」とは、「神の支配が届きますように」「神
の支配が私を覆いますように」というふうに理解することができます。
こう考えると、礼拝などで、言いなれている「主のいのり」に含まれている
内容の豊かさ、その意味深さには驚かされます。あんなふうに、すらすら祈
ってしまってよいものがとさえ、思います。
今日は、ちょっとゆっくりこの箇所を読んでみたらいかがでしょう。
祝福がありますように。


****

【癒す言葉:箴言】
29:12 支配者が偽りの言葉に耳を貸すなら/仕える人は皆、逆らう者となる。
29:13 貧しい人と虐げる者とが出会う。主はどちらの目にも光を与えておら
れる。
29:14 弱い人にも忠実な裁きをする王。その王座はとこしえに堅く立つ。
***
これも、政治を担当する人や上に立ってリーダーシップを発揮する人への教
訓です。
支配者が、「偽りの言葉に耳を貸す」というのは、間違った相談相手を選ぶ
という意味もあるでしょうし、うそだとわかっているのに、それを会見の場
でまことしやかに語るという意味もあるでしょう。
そのどちらも、結果は人に不信感を受け付ける効果しかありません。
何をどう語るかというのは、知恵が必要ですが、見え透いた嘘は信じ込ませ
ようとすればするほど墓穴を掘ることになります。
昨年の大震災後の、そして原発問題発覚後の政府関係者の会見や答弁に「偽
りの言葉」はなかったのだろうか。はたまた、大新聞の報道には「いつわり
の報道」はないだろうか。
何でもかんでもあからさまにできないというのは、わかりますし、人心を不
安に陥れたらパニックが起こるという心配もわかるので、難しいところでし
ょうが、あからさまな「偽り」はやっぱりいやですね。
祝福がありますように。


   関根一夫









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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 7日(土)11時42分1秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.07

ルカによる福音書

◆マルタとマリア

10:38 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、
マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
10:39 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、そ
の話に聞き入っていた。
10:40 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そ
ばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせ
ていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃ
ってください。」
10:41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い
悩み、心を乱している。
10:42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。
それを取り上げてはならない。」
****
有名なマリアとマルタのお話です。一見、マルタのやっていることが全否定
され、マリアの姿勢だけが受け入れられているような感じがしますが、実際
はどうなのでしょう。
マルタはイエス様のためにもてなそうとあれこれ考えて忙しくしていました。
それ自体が悪いわけではありません。そしてマリアはイエス様の足元で話し
に聞き入っていました。問題はマルタが自分のやっていることが手一杯にな
り、マリアに対して心の中で「まったくしょうがない人だ、この忙しいとき
に自分ばかり良い思いをして…」というような感情を抱いてイエス様に訴え
たことでその心の乱れが明確になりました。

もし、マルタがもてなしの心を持続し、マリアが何をしていようと、自分は
自分で出来る最善を尽くして、喜んでイエス様を迎えられていることを喜ん
でいたとすれば、マルタはマリアのことで文句は言わなかったでしょうし、
イエス様もマルタを賞賛しただろうと思います。
また、マリアも、マルタに向かって「姉さんもここに来て座って話を聴けば
よいのに、まったく…」とイエス様に告げ口するようだったら、マルタに対
する言葉と同じ言葉をイエス様から言われただろうと思います。

私たちは、あれこれ忙しくしていても、集中して出来ることはひとつです。
それに心を込め、愛と喜びの心で向かうことができれば、それがもてなしで
あれ、傾聴であれ、「あなたは、良い方を選びましたね」と言われるのだと
思います。
祝福がありますように。
+++++++++


【癒す言葉:箴言】
29:5 友にへつらう者は/彼の一歩一歩に網を仕掛ける者。
29:6 悪を行う者は罪の罠にかかる。神に従う人は喜びの叫びをあげる。
29:7 神に従う人は弱者の訴えを認める。神に逆らう者はそれを認めず、理解
しない。
29:8 不遜な者らが町に騒動を起こす。知恵ある人々は怒りを静める。
29:9 知恵ある人が無知な者と裁きの座で対すると/無知な者は怒り、嘲笑い、
静まることがない。
29:10 無垢な人を憎み、その血を流そうとする者がある。正しい人々はその
命を助けようとする。
29:11 愚か者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し静める
*****
悪を行う者、神に逆らう者、不遜な者、無知な者、愚か者、などいろいろな
呼び名を変えて、その特徴を書き出していますが、なんだか自分を言い当て
られているような気がしてなりません。
「不遜な者らが町に騒動を起こす。知恵ある人々は怒りを静める。」「愚か
者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し静める」という言葉
の中にあるメッセージは本当に心に留めておきたいものです。感情は隠せま
せんが、それが人に与える影響の大きさを考えコントロールできるようにな
りたいものです。

祝福がありますように。



     関根一夫




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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 6日(金)16時02分27秒
返信・引用
     今日の聖句
2012.04.06
ルカによる福音書
◆善いサマリア人
10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言っ
た。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
10:26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んで
いるか」と言われると、
10:27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽
くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛し
なさい』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれ
ば命が得られる。」
10:29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とは
だれですか」と言った。
10:30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って
行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつ
け、半殺しにしたまま立ち去った。
10:31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向
こう側を通って行った。
10:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道
の向こう側を通って行った。
10:33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を
見て憐れに思い、
10:34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、
宿屋に連れて行って介抱した。
10:35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人
に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、
帰りがけに払います。』
10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人
になったと思うか。」
10:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエス
は言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
+++
永遠のいのちを受け継ぐためのキーワードは「心から神を愛し、また隣人を
愛する」というものでした。
その言葉を発言することは当時の宗教家には簡単なことだったと思います。
問題は、イエス様が、「それを実行するように」と命じていることにありま
す。「善きサマリア人」と題されるこの物語は、半殺しにされた商売人と宗
教的背景を持つレビ人、祭司、そしてユダヤ人から軽蔑的な反感をもたれて
いたサマリア人によって構成されています。当時の人々にとって、まさかサ
マリア人がこの物語でヒーローになるとは夢にも思っていなかったと思いま
す。しかし、自分のことをさておいても、傷ついた商売人を助け、ケアした
サマリア人こそ、神がもっとも喜ぶ生き方をした人なのだとイエス様は教え
ました。
「ケアの心に生きる」こいういう生き方が見直されなければなりません。多
くのクリスチャンたちは伝道や教会勢力拡大のために生きているかもしれま
せんが、ケアの心が足りなすぎるようにも感じます。信仰を持たせることが
ケアではなく、下心なくパンを分けること、傷に薬をつけ、包帯を巻くこと、
祝福を祈ることこそ神様が求めている、ケアであり、生き方のように感じま
す。それがこの箇所でのメッセージの中心事項のようです。なんだかバイブ
ルワークショップの宣伝のようになってしまいました。
祝福がありますように。



【癒す言葉:箴言】

29:1 責められても、なお、うなじのこわい者は、たちまち滅ぼされて、いや
されることはない。
29:2 正しい人がふえると、民は喜び、悪者が治めると、民は嘆く。
29:3 知恵を愛する人は、その父を喜ばせ、遊女と交わる者は、財産を滅ぼす。
29:4 王は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を滅ぼす。
****
なんだか日本の現状を憂いている感じがするほど現実的に妥当性のありそう
な箴言です。
誠実さ、公正さを追い求める姿勢が政治の中から失われると、あっという間
に増税論が幅を利かせます。
知恵を絞って、今ある資源を活用し、自らの浪費を削除し、公的な仕事の中
にある利権を排除し、計画を立てるということは、確かにとんでもなく難し
いことなのかもしれません。それでも、そういう姿勢をしっかり見せてくれ
なければ、知恵を絞っているとは感じませんし、民が共感できる改革にもな
らないように思います。
国の運営のたまに税金は必須だと思います。しかし、その税に関しては長期
的な見通しや、執行者の税に対する真摯な態度、納税者への配慮などがみた
いものだと思います。

ちなみに今教会の中に献金として定着した制度は「聖書の時代」には「神殿
税」でした。それは税として収められていて、祭司の生活、神殿の維持、ま
た福祉のために活用されていました。
自発的なささげ物は、存在しましたが、とにかく民衆は重税に苦しんでいた
ようです。人頭税、穀物の3分の1税、果実の2分の1税、神殿のための十分の
一税などがありました。新約の時代になり、ヘロデ大王はそれに加えて収穫
物、商品に課税しています。おまけにローマにも税を払うことになりました
から二重の課税に悩むことになったわけです。
今も昔も重税の問題は変わりませんね。
祝福がありますように。


   関根一夫









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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 5日(木)16時29分9秒
返信・引用 編集済
  今日の聖句
2012.04.05
ルカによる福音書
◆喜びにあふれる
10:21 そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の
主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い
者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、こ
れは御心に適うことでした。
10:22 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子
がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、
子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」
10:23 それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。
「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。
10:24 言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているもの
を見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きた
かったが、聞けなかったのである。」
****
72人の弟子たちの奉仕活動、宣教活動の成功はイエス様にとって、この上な
い喜びとなりました。
社会的には取るに足りない人たちが、神の愛に心を動かされて、癒しと解放
と和解とを持ち運ぶ器とされ、出かけて行き、それぞれに満足して帰ってく
ることが出来た安心と喜びはイエス様にとっても嬉しかったことだったので
す。
そして、弟子たちに「今ここで起こっていること、今私を見ることが出来て
いることは、まさにいにしえの王や預言者たちが望んでいたことなのだ」と
伝えています。
預言者たちが待ち望んでいた「神による解放の時」がまさに、到来したのだ
とイエス様は教えているのです。
私たちも、その延長線上にいるのです。神による解放の時は来ているのです。
祝福がありますように。

+++

【癒す言葉:箴言】
28:21 人を偏り見るのはよくない。だれでも一片のパンのために罪を犯しう
る。
28:22 貪欲な者は財産を得ようと焦る。やって来るのが欠乏だとは知らない。
28:23 人を懲らしめる者は/舌の滑らかな者より喜ばれる。
28:24 父母のものをかすめて/「これは罪ではない」と言う者は/滅ぼそう
とたくらむ者の仲間だ。
28:25 貪欲な者はいさかいを引き起こす。主に依り頼む人は潤される。
28:26 自分の心に依り頼む者は愚か者だ。知恵によって歩む人は救われる。
28:27 貧しい人に与える人は欠乏することがない。目を覆っている者は多く
の呪いを受ける。
28:28 神に逆らう者が興ると人は身を隠し/彼らが滅びると神に従う人がふ
える。
****
貪欲への注意が何度か繰り返されています。最近の傾向としては「貪欲」は
悪い意味ではなく、「積極的」「仕事への必死さ」などが含まれる比較的肯
定的な雰囲気で使われているように思います。「あの人は仕事に貪欲だ」と
いう言葉は肯定的な意味があります。映画「ウオールストリート2」のキャ
ッチコピーは「強欲は善だ」でした。ここで強欲と訳されている英語は「貪
欲」とも訳せる言葉です。

しかし、箴言は、貪欲について、最終的には欠乏をもたらし、いさかいを引
き起こすと警告しています。ちなみに貪欲とは「非常に欲が深いさま」「欲
望にまかせて執着しむさぼること」と辞書に出ています。
そして、貪欲は、どんな人にも起こりうるものでもあります。
むしろ、誠実さと分かち合う心、寄り添う心を養うべきだと勧めています。
祝福がありますように。


     関根一夫



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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 4日(水)11時36分37秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.04
ルカによる福音書
◆七十二人、帰って来る
10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
10:18 イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
10:19 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
****
イエス様に派遣された72人が派遣先での働きが大成功だったので喜んで帰ってきて、イエス様に勝利の報告をしています。イエス様も一緒に喜びますが、しかし、最後に「成功」「勝利」の喜びよりももっと大事なことがあると弟子たちに教えています。それは「あなたがたの名前は天に書き記されている」ということ、これは「存在すべてが神に知られ、神に受け入れられている」ことへの感謝の勧めと考えることができるでしょう。
あれこれ、うまく出来たということは、それ自体すばらしいこと、嬉しいことです。でも、出来ても出来なくても、あなたがそこに生きていることを神に知られ、神に存在自体を受け入れられていることを喜ぶ姿勢は、もっと大事なことなのです。「永遠的に居場所がある」ということになるからです。あなたは、居てよいのです、居るだけで神の心に喜びがあるのです。だからこそ、自らも安心できるのです。
それを「存在論的人間観」と呼びます。今回の講座、ケアリングの最重要課題です。
祝福がありますように。

+++
【癒すことば:箴言】
28:15 獅子がうなり、熊が襲いかかる。神に逆らう者が弱い民を支配する。
28:16 指導者に英知が欠けると搾取が増す。奪うことを憎む人は長寿を得る。
28:17 流血の罪の重荷を負う者は、逃れて墓穴に至る。だれも彼を援助してはならない。
28:18 完全な道を歩む人は救われる。二筋の曲がった道を歩む者は直ちに倒れる。
28:19 自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。空を追う者は乏しさに飽き足りる。
28:20 忠実な人は多くの祝福を受ける。富むことにはやる者は罰せられずには済まない。
+++
国の指導者、社会のリーダーへの教訓と考えることができます。
増税の議論が取りざたされているわが国の指導者たちに、心から届けたい箴言です。
そして、私たちもしっかり心に留めたい言葉です。
「富むことに、はやる人」とは、金儲けのことばかり考え、そのために手段を選ばないような危険を平気でおかす人と理解できるかもしれません。
「お金がすべてだ」と考えやすい世相ですが、忠実な生き方、誠実な生き方、そして勤勉な生き方こそ、やはり尊ばれるべき生き方なのです。
祝福がありますように。








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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月 3日(火)14時29分55秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.03
ルカによる福音書
◆悔い改めない町を叱る
10:13 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちの
ところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町は
とうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。
10:14 しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽
い罰で済む。
10:15 また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思って
いるのか。陰府にまで落とされるのだ。
10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む
者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を
拒むのである。」
*****
同じメッセージを聞いて、ある人は悔い改め、ある人は平気でやり過ごして
しまうということが起こるのは不思議なことですが、その人の心の状態に応
じて反応が違います。これは落語を聴いてみんなが笑うというのとはちょっ
と質が違うようです。話術の良し悪しを超えた「霊的真実」を自分の中に受
け止めることができるかどうか、極端なことを言えば、高慢か謙遜か、自分
の不足に気づいているか、気づいていないかということにも関係しているよ
うに思います。あ、これは牧師の説教という意味ではなく、聖書の言葉に対
する応答のことです。
これは、実は、聖霊によって気づかせてもらうことで、心を開いて聞けるの
です。み言葉の前に、身を低くするという意識が育ってくると、心にすっと
入ってくるのかもしれません。一番の障壁は「自己満足」そして「自己中心」
でしょうか。
祝福がありますように。


+++++++++++++

【癒す言葉;箴言】
28:8 利息、高利で財産を殖やす者は/集めても、弱者を憐れむ人に渡すこと
になろう。
28:9 教えに耳をそむけて聞こうとしない者は/その祈りも忌むべきものと見
なされる。
28:10 正しい人を悪の道に迷い込ませる者は/自分の掘った穴に落ちる。無
垢な人々は良い嗣業を受ける。
28:11 金持ちは自分を賢いと思い込む。弱くても分別ある人は彼を見抜く。
28:12 神に従う人々が喜び勇むと輝きは増し/神に逆らう者が興ると人は身
を隠す。
28:13 罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受け
る。
28:14 いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人。心の頑な者は苦難に
陥る。
****
今朝の日々の聖句の新約聖書の部分と重なる教えがここにあります。
教えに耳を背けて聞こうとしない人、神に逆らう人、自分を賢いと思い込ん
でいる人、などが批判されています。
他人のことは良くわかるのですが、果たして自分の中には、そういう要素は
ないのかなぁと考えると、人のことなど批判できない自分であることに気づ
かされます。
「主よ、憐れんでください」という祈りしか出てきません。
祝福がありますように。



   関根一夫








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月31日(土)11時56分46秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.31
ルカによる福音書
◆弟子の覚悟
9:57 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所
なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
9:58 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人
の子には枕する所もない。」
9:59 そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主
よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
9:60 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせな
さい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」
9:61 また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族
にいとまごいに行かせてください。」
9:62 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国に
ふさわしくない」と言われた。
++++
自分の熱心と頑張りで、イエス様に従い、弟子としての人生をまっとうでき
ると考えている人に対する教訓的なメッセージがここにあります。弟子の覚
悟が要求されています。イエスに従いながら「安定した」生活を期待するこ
とは出来ないという厳しい内容です。また、親を看取ることもできず、葬儀
に時間が取れないことも起こるし、親子の間の不義理が生じることも起こる
可能性が語られています

「主よ、弟子としてどこまでも従います」と自信満々に近づいている人への
教訓が語られているので、イエス様の弟子として歩むには、「人間的な熱心
さや、頑張りでは無理なのだ」ということがわかれば十分なのかもしれませ
ん。
考えてみれば、こういう厳しい条件に対して「喜んで応じる」ことが出来る
人は、よほどの世間知らずか、文字通り、召しだされた人でなければ、無理
だからです。
つまり、弟子として生きるということを「勲章のように、誇りの素材」にし
てはいけないのです。「私はイエスの弟子です。すごいでしょう」と胸を張
るのではなく、「私はかろうじて、イエスの弟子として後ろのほうをトボト
ボと歩ませていただいています」と言えたら十分なのです。しもべとは、そ
ういうものです。
祝福がありますように。



【癒す言葉;箴言】
27:1 明日のことを誇るな。一日のうちに何が生まれるか知らないのだから。
27:2 自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、
異邦人にほめてもらえ。
27:3 石は重く、砂も目方がかかる。無知な者が不機嫌なのはどちらよりも重
い。
27:4 憤りは残忍、怒りは洪水。ねたみの前に誰が耐ええようか。
27:5 あらわな戒めは、隠された愛にまさる。
27:6 愛する人の与える傷は忠実さのしるし/憎む人は数多くの接吻を与える。
27:7 飽き足りている人は蜂の巣の滴りも踏みつける。飢えている人には苦い
ものも甘い。
27:8 鳥が巣から飛び去るように/人もその置かれたところから移って行く。
27:9 香油も香りも心を楽しませる。友人の優しさは自分の考えにまさる。
27:10 あなたの友人、父の友人を捨てるな。災いの日に、あなたの兄弟の家
には行くな。近い隣人は遠い兄弟にまさる。
27:11 わが子よ、知恵を得てわたしの心を楽しませよ。そうすれば/わたし
を嘲る者に言葉を返すことができる。
27:12 思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。浅はかな者は通り抜けよ
うとして痛い目に遭う。
27:13 他国の者を保証する人からは着物を預かれ。他国の女を保証する人か
らは抵当を取れ。
27:14 友人への祝福も、早朝に大声でするなら/それは呪いと見なされる。
+++
27:2 自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、
異邦人にほめてもらえ。
この箴言は本当に真実だなと思います。自画自賛、自慢話ほど聞きにくいも
のはないですね。かといって、他の人に自分をほめることを頼むわけにもい
かないので、誠実に役割を果たすことしかできません。
とても大事な教訓です。

27:9 香油も香りも心を楽しませる。友人の優しさは自分の考えにまさる。
27:10 あなたの友人、父の友人を捨てるな。災いの日に、あなたの兄弟の家
には行くな。近い隣人は遠い兄弟にまさる。
「遠くの親戚より、近くの他人」ということわざの発信源はこの箴言の言葉
です。優しい友人の存在は、本当に大切ですね。一人でも、心を打ち明ける
ことができる友人がいたら、人生は豊かになります。それはl兄弟に言えない
ことの場合もあります。もちろん、兄弟で仲が良いことはすばらしいことで
す。

27:14 友人への祝福も、早朝に大声でするなら/それは呪いと見なされる。
私にとってのこの箴言は、あまり朝早い時間に「日々の聖句」を送ると大迷
惑になるという教訓と結びついています。「日々の聖句を毎日送ってくれる
ことは嬉しいけれど、あまり早い時間に送られると眠りの邪魔になり迷惑で
す。せめて6時半過ぎに送ってください」という注文が時々あります。

出来るだけ、6時過ぎに送るようにしていますが、その時間に私が移動しなけ
ればならない場合には、難しいことがあります。
とにかく、迷惑にならないように、呪いにならないようにと願いつつ、配信
を続けてきました。
私としては、愛読いただき、本当にありがたいです。
これからも、よろしくお願いします。
祝福がありますように。








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月30日(金)23時39分26秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.30
ルカによる福音書
◆サマリア人から歓迎されない
9:51 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を
固められた。
9:52 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備
しようと、サマリア人の村に入った。
9:53 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指し
て進んでおられたからである。
9:54 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を
降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
9:55 イエスは振り向いて二人を戒められた。
9:56 そして、一行は別の村に行った。
+++++
天に上げられる時期、とか、エルサレムに向かう決意というのは、まさにイ
エス様が自分の最後を意識しておられたという表現です。そして、エルサレ
ムに向かう決意を固めたことで、サマリア人から拒絶されます。サマリア人
は礼拝の中心地がエルサレムではなく、ゲリジム山でしたので、あえて反発
されたことが記録されています。宗教的反目というのは、実に根が深く、寛
容になりにくい要素が大きいですね。
しかし、そのことでイエス様の心は乱されたわけではなく、彼らに対する憤
りをイエス様は持っていませんでした。むしろ、弟子たちが憤っています。
この記事は、十字架への道が、困難な道であることを予測させるものとして
書かれているといわれています。すんなりエルサレムに着けないわけです。
しかし、困難であっても、イエス様の行くべき道はエルサレムでした。
最終的には使命を完遂します。
祝福がありますように。
++


【癒す言葉;箴言】

26:1 夏の雪、刈り入れ時の雨のように/愚か者に名誉はふさわしくない。
26:2 鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。理由のない呪いが襲うこ
とはない。
26:3 馬に鞭、ろばにくつわ/愚か者の背には杖。
26:4 愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな/あなたが彼に似た者と
ならぬために。
26:5 愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ。彼が自分を賢者だと思い
込まぬために。
26:6 愚か者に物事を託して送る者は/足を切られ、不法を呑み込まされる。
26:7 愚か者の口にすることわざは/歩けない人の弱い足。
26:8 愚か者に名誉を与えるのは/石投げ紐に石を袋ごとつがえるようなもの
だ。
26:9 愚か者の口にすることわざは/酔っぱらいの手に刺さるとげ。
26:10 愚か者を雇い、通りすがりの人を雇うのは/射手が何でもかまわず射
抜くようなものだ。
26:11 犬が自分の吐いたものに戻るように/愚か者は自分の愚かさを繰り返
す。
26:12 自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ
希望が持てる。
***
なんと明快な「愚か者」の定義集でしょう。
26:7 愚か者の口にすることわざは/歩けない人の弱い足。
26:8 愚か者に名誉を与えるのは/石投げ紐に石を袋ごとつがえるようなもの
だ。
26:9 愚か者の口にすることわざは/酔っぱらいの手に刺さるとげ。

などのことわざは、まるで、牧師であることに甘んじ、たどたどしい私の説
教への批判のような気がします。あまりに、言い当てられて言葉もないほど
です。
愚かさを少しずつ、勤勉さや賢さに変えていただきながら前に進みたいもの
です。
「主よ、愚かな私を憐れんでください」
祝福がありますように。
関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月29日(木)11時39分48秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.29
ルカによる福音書
◆逆らわない者は味方
9:49 そこで、ヨハネが言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出してい
る者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせよ
うとしました。」
9:50 イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない
者は、あなたがたの味方なのである。」
****
弟子たちの心の中にイエス様の権威と信頼を独占したいという気持ちがあっ
たことは明瞭です。だからこそ、他の人がイエス様の名前を用いて悪霊を追
い出しているのをやめさせたわけですから。
そして、おそらくそういう行動の背後に、それらの人への嫉妬心もあっただ
ろうと思います。ちょっと前の箇所では弟子たちに悪霊を追い出すことがで
きなかったという記事がありました。
イエス様は、自分と同じ派に属していなくても、その人が逆らわないのであ
れば味方なのだと教えました。

むやみやたらと、他の教会やクリスチャンたちを批判したり、排斥したりす
ることはイエス様の喜ぶことではありません。全部を好きになれるはずもあ
りませんが、神様からの祝福がありますようにと祈れる心が欲しいですね。
祝福がありますように。



++

【癒す言葉:箴言】
◆ソロモンの箴言
25:8 性急に争いの場に引き出そうとするな。そのため友人に嘲られることに
なったら/将来どうするつもりか。
25:9 自分のことについて友人と言い争うのはよいが/他人の秘密を漏らして
はならない。
25:10 それを聞いた人があなたを恥に落とし/あなたの悪評は去らないであ
ろう。
25:11 時宜にかなって語られる言葉は/銀細工に付けられた金のりんご。
25:12 聞き分ける耳に与えられる賢い懲らしめは/金の輪、純金の飾り。

25:13 忠実な使者は遣わす人にとって/刈り入れの日の冷たい雪。主人の魂
を生き返らせる。
25:14 雨雲が垂れこめ風が吹くのに雨が降らない。与えもしない贈り物につ
いて吹聴する人。
25:15 忍耐強く対すれば隊長も誘いに応じる。穏やかに語る舌は骨をも砕く。
25:16 蜂蜜を見つけたら欲しいだけ食べるがよい。しかし食べ過ぎて吐き出
すことにならぬように。
25:17 友人の家に足を運ぶのはまれにせよ/飽きられ、嫌われることのない
ように。

25:21 あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を
飲ませよ。
25:22 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられ
る。

25:23 北風は雨をもたらし/陰口をたたく舌は憤りの表情をもたらす。
25:25 渇いた喉に冷い水、遠い地からの良い便り。
***
箴言として選ばれているだけのことはありますね。
何度か読んでいると、心にすっと入ってくる教訓です。心が広くなるような
感じ、心が上に向く感じがします。どれもこれも具体的な提案を含んでいる
ので、わかりやすいものばかりです。
今日一日、これらの箴言をしっかり心に留めながら、人と関わっていきたい
ものです。
今朝、私が心に留めるべき言葉は
「25:21 あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水
を飲ませよ。
25:22 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられ
る。」
かなぁ。
別に憎んでいる人がいるわけではないのですが、なんだか気になる言葉です。
祝福がありますように。



          関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月28日(水)22時49分27秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.28
ルカによる福音書
◆いちばん偉い者
9:46 弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起
きた。
9:47 イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそば
に立たせて、
9:48 言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを
受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった
方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い
者である。」
***
いちばん偉いのは誰か、一番神様に気に入られているのは誰かという議論は
弟子たちの大好きな議論だったようです。イエス様はここでは、「あなた方
の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である」と言われました。黙って子供
に寄り添い、子供を受け入れる心を持っている人、子供は代価を払うことも、
感謝を表明することもできませんが、偉ぶることなく、自分を子供と同等の
ところに引き下げてでも、その子供の幸せを願って共にいることが出来る人。
イエス様はそういう人を、すばらしい存在として評価なさいました。
私たちは、いつの間にか、評価を求め、目立ちたがり、能力を競い合うこと
で価値判断をしがちです。
イエス様は、最も小さい者こそ最も偉いと言われました。がんばればがんば
るほど、大きくなってしまうのが私たちです。神の恵みを喜びながら、名前
や肩書きや評価を脇において、威張らず、飾らず、子供にも大人にも寄り添
うことが出来る人、そういう人になりたいですね。

++

【癒す言葉:箴言】
◆賢人の言葉
24:23 これらもまた、賢人の言葉である。裁判でえこひいきをするのは良く
ない。
24:24 罪ある者を正しいと宣言するなら/すべての民に呪われ、すべての国
にののしられる。
24:25 罪ある者を懲らしめる人は喜ばれる。恵みと祝福がその上にある。
24:26 正しい答えをする人は、くちづけをする人。
24:27 外ではあなたの仕事を準備し、畑を整え/それから、家を築くがよい。
24:28 いいかげんに友人の証人となってはならない。自分の唇で惑わされた
いのか。
24:29 「人がわたしにするように/わたしもその人に対してしよう。それぞ
れの行いに応じて報いよう」とは/あなたの言うべきことではない。
24:30 怠け者の畑の傍らを/意志の弱い者のぶどう畑の傍らを、通ってみた。
24:31 見よ、いらくさが一面に茂り/あざみが覆い尽くし、石垣は崩れてい
た。
24:32 わたしはそれに心を向け、観察した。それを見て、諭しを得た。
24:33 「しばらく眠り、しばらくまどろみ/手をこまぬいて、またしばらく
横になる。
24:34 貧乏は盗賊のように/欠乏は盾を取る者のように襲う。」
****
不正な裁判があってはならないこと、結婚して家庭を築く前にきちんと収入
を確保しておくべきこと、簡単に保証人になるべきではないこと、報復や復
習を考えるべきではないこと、怠け者になってはいけないことなど、具体的
な人生訓が書かれています。
しかし、今も昔も、人の生き様は変わっていませんね。こういう警告の言葉
は、今の私たちにも十分適用されるべきものです。
祝福がありますように。


     関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月27日(火)14時47分14秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.27
ルカによる福音書
◆再び自分の死を予告する
9:43 イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子た
ちに言われた。
9:44 「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡さ
れようとしている。」
9:45 弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠
されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。
***
イエス様の最終目的は、奇跡で人を驚かせることではなく、もっと深刻な出
来事にありました。
奇跡や癒しは、それぞれに神がイエス様を通してこの世界に介入しておられ
ること、神が人を生かし、そのいのちを尊いものとして考えていることなど
を示しています。
しかし、イエス様は何度もご自分がエルサレムで犯罪人のように捕らえられ、
苦しみを受けることを予告なさいました。弟子たちは、それについて怖くて
質問することが出来なかったと記録されています。
非常事態が想定されています。私たちは前もってこの先を読むことが出来る
わけですが、弟子たちにしてみれば、まさにこれから何が起こるのかわから
なかったわけですから、その恐れは大変なものだったと思います。自分たち
の先生の身に恐ろしいことが起こりそうだという予感が彼らの心を凍りつか
せてしまっています。
しかし、自分のこれからの人生の不確実さという点では、私たちも同じです。
平静な心がもたらされますように。

***

【癒す言葉:箴言】

24:1 悪者のことに心を燃やすな/彼らと共にいることを望むな。
24:2 悪者が心に思いめぐらすのは暴力。唇が語るのは労苦を引き起こすこと。
24:3 家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。
24:4 知識は部屋を満たし、貴く喜ばしい財産となる。
24:5 知恵ある男は勇敢にふるまい/知識ある男は力を発揮する。
24:6 戦争には指揮する力が必要であり/勝利を得るためには作戦を練るべき
だ。
24:7 無知な者に知恵は高尚すぎる。城門で口を開くべきではない。
24:8 悪意ある考えを持つ者は陰謀家と呼ばれる。
24:9 無知の謀は過ちとされる。不遜な態度は人に憎まれる。
24:10 苦難の襲うとき気力を失い、力を出し惜しみ
24:11 死に捕えられた人を救い出さず/殺されそうになっている人を助けず
24:12 「できなかったのだ」などと言っても/心を調べる方は見抜いておら
れる。魂を見守る方はご存じだ。人の行いに応じて報いを返される。
24:13 わが子よ、蜜を食べてみよ、それは美味だ。滴る蜜は口に甘い。
24:14 そのように、魂にとって知恵は美味だと知れ。それを見いだすなら、
確かに未来はある。あなたの希望が断たれることはない。
24:15 神に逆らう者よ、神に従う人の住みかを狙うな。その憩いの場で暴力
を振るうな。
24:16 神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えば
つまずく。
24:17 敵が倒れても喜んではならない。彼がつまずいても心を躍らせるな。
24:18 主がそういうあなたを見て不快とされるなら/彼への怒りを翻される
であろう。
24:19 悪事を働く者に怒りを覚えたり/主に逆らう者のことに心を燃やすこ
とはない。
24:20 悪者には未来はない。主に逆らう者の灯は消える。
24:21 わが子よ、主を、そして王を、畏れよ。変化を求める者らと関係を持
つな。
24:22 突然、彼らの不幸は始まる。この両者が下す災難を誰が知りえよう。
******
24:10 苦難の襲うとき気力を失い、力を出し惜しみ
24:11 死に捕えられた人を救い出さず/殺されそうになっている人を助けず
24:12 「できなかったのだ」などと言っても/心を調べる方は見抜いておら
れる。魂を見守る方はご存じだ。人の行いに応じて報いを返される。
という言葉が心にとても強烈に飛び込んできました。
言い訳や怠惰を避け、誠実に知恵を求めながら、一生懸命生きる姿勢を保て
たらいいなと心から思います。
祝福がありますように。







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月26日(月)12時58分29秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.26

ルカによる福音書
◆悪霊に取りつかれた子をいやす
9:37 翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。
9:38 そのとき、一人の男が群衆の中から大声で言った。「先生、どうかわた
しの子を見てやってください。一人息子です。
9:39 悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれ
んを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。
9:40 この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できま
せんでした。」
9:41 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。
いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければな
らないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」
9:42 その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚
れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。
9:43 人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。
++++
弟子たちは、悪霊を追い出す力や病を癒す力をすでに授かっていました。し
かし、このときの様子を見ると彼らはまったく無力であり、周囲の人たちに
幻滅感を与えてしまっています。もしかすると、弟子たちは自信満々で、ま
るですべての力を持っているような横柄な態度でこの問題に取り掛かったの
かもしれません。しかし彼らの中に、純粋な神への信仰はありませんでした。
よくよく考えれば、直接悪霊に命じる力があるのは、イエス様だけなのです。
イエス様にどれだけ叱責されても、私たちは常に不信仰であり、イエス様を
あてにする以外方法がないのです。イエス様に取って代わって代理人の役割
を果たすことはできません。イエスの御名を信頼し、イエス様をあてにしな
がら立ち向かう以外手段はないのです。
すべての権威は弟子たちや、私たちの中にではなく、イエス様の中にこそあ
るからです。私たちを通して何か良いことが起こるとすれば、それは私の力
によるのではなく、私を強くしてくださるお方、すなわち、イエス様のおか
げでそれが起こったということなのです。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
23:1 支配者と共に食卓に着いたなら/何に直面しているのかをよく理解せよ。
23:2 あなたが食欲おうせいな人間なら/自分の喉にナイフを突きつけたも同
じだ。
23:3 供される珍味をむさぼるな、それは欺きのパンだ。
23:4 富を得ようとして労するな/分別をもって、やめておくがよい。
23:5 目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に飛び
去る。
23:6 強欲な者のパンを食べようとするな。供される珍味をむさぼるな。
23:7 彼はその欲望が示すとおりの人間だ。「食べるがよい、飲むがよい」と
言っても/心はあなたを思ってはいない。
23:8 あなたは食べたものを吐き出すことになり/あなたが親切に言ったこと
も台無しになる。
23:9 愚か者の耳に語りかけるな/あなたの見識ある言葉を侮るだけだから。
23:10 昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑を侵してはならない。
23:11 彼らを贖う神は強く/彼らに代わってあなたと争われるであろう。
23:12 あなたの心を諭しの言葉に/耳を知識の言葉に傾けよ。
+++++
映画、「ウォールストリート」の中に出てくる世界のような場面が紹介され、
気をつけるようにと警告がなされています。あの映画では、「貪欲は善だ」
という姿が映し出されており、この箴言に挑戦しているような内容になって
います。
今朝の箇所は、まさに現代社会に直接語りかけているような箴言です。しっ
かり、読んで思い巡らしてみましょう。
心に幸せが届きますように。


   関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月25日(日)00時23分50秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.24
ルカによる福音書
◆イエスの姿が変わる
9:28 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、
およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
9:29 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に
輝いた。
9:30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤであ
る。
9:31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとして
おられる最期について話していた。
9:32 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光
に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。
9:33 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言っ
た。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小
屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、も
う一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、
分からなかったのである。
9:34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の
中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。
9:35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声
が雲の中から聞こえた。
9:36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈
黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
***
山の上でイエス様の顔の様子が変わり、そこにモーセとエリヤが現れ、
会話をし、イエス様の最後について話をしていたという記事です。モー
セは偉大な預言者であり、解放をもたらすために神に選ばれた指導者で
す。
エリヤは列王記下17章などに活動が紹介されていますが、まさに神の人
として、預言者として、大活躍します。そして彼は天にあげられます。
旧約聖書を代表するふたりの預言者がイエス様の最後、その死に注目し
ているわけです。
自分たちが働いた解放の出来事よりもはるかに重大な役割をイエス様が
担っているからです。
弟子たちは、天からの声を聞きます、「これはわたしの子、選ばれた者、
これに聞け」
まさに、これはイエス様がどういう存在なのかを教える大事な宣言です。
モーセとエリヤが注目しているというイエス様の最後とは、どういうも
のなのでしょうか。
期待しながら読み進めましょう。
祝福がありますように。


++

【癒すことば:箴言】
◆賢人の言葉
22:17 耳を傾けて賢人たちの言葉を聞け。わたしの知識に心を向けよ。
22:18 それをあなたの腹に納め/ひとつ残らず唇に備えておけば喜びを
得る。
22:19 あなたが主に信頼する者となるように/今日、あなたに教えを与
えよう。
22:20 わたしの意見と知識に従って三十句/あなたのために書きつけよ
うではないか。
22:21 真理とまことの言葉をあなたに知らせるために/まことの言葉を
あなたの使者に持ち帰らせよう。

22:22 弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。貧しい人を城門
で踏みにじってはならない。
22:23 主は彼らに代わって争い/彼らの命を奪う者の命を、奪われるで
あろう。
22:24 怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。
22:25 彼らの道に親しんで/あなたの魂を罠に落としてはならない。
22:26 手を打って誓うな、負債の保証をするな。
22:27 償うための物があなたになければ/敷いている寝床まで取り上げ
られるであろう。
22:28 昔からの地境を移してはならない/先祖の定めたものなのだから。
22:29 技に熟練している人を観察せよ。彼は王侯に仕え/怪しげな者に
仕えることはない。
+++
まさに、生きる知恵が語られている賢人の言葉です。学習の重要さ、ど
ういう人を友とすべきかの教訓、
保証人になることへの警告、そして良いものを観察することの大切さな
ど、じっくり読んで心にとめるべき
教訓です。私も今日の糧としたいと思います。

祝福がありますように。


    関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月23日(金)16時25分53秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.23
ルカによる福音書
◆イエス、死と復活を予告する
9:21 イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じ
て、
9:22 次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、
祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することに
なっている。」
9:23 それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、
自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
9:24 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命
を失う者は、それを救うのである。
9:25 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失っ
たりしては、何の得があろうか。
9:26 わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる
天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。
9:27 確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見る
までは決して死なない者がいる。」
***
十字架の苦難は弟子たちにとっても、他の人にとっても、まだこの時点
では秘密とされていました。その苦難の意味や内容はイエス様にしか分
かっていませんでした。
イエス様は、ご自分の弟子たちに向って弟子としての心がけというか、
決意のあり方を教えています。
「自分を捨てる」「日々十字架を背負う」「キリストに従う」というも
のです。それによって、命を得ることになるのだと教えておられます。
これらの姿勢は「がんばり」を励ますものではなさそうです。というの
も、頑張っても持続できず、頑張ってもイエス様のようには生きられな
いからです。
イエス様の中に身を置くこと、イエス様の苦難を自分のためだったと深
く認識し、自分の不出来の恥をさらしながらでも、イエス様の心を教え
ていただこうとする生き方、キリストの中に留まろうとする生き方こそ、
弟子の姿勢なのだろうと思います。
しかし、これは決して世捨て人になることでもありません。キリストは
社会の底辺で悩み苦しんでいる人たちの真ん中で生きたからです。
祝福がありますように。

+++

【癒す言葉:箴言】
23:1 支配者と共に食卓に着いたなら/何に直面しているのかをよく理解
せよ。
23:2 あなたが食欲おうせいな人間なら/自分の喉にナイフを突きつけた
も同じだ。
23:3 供される珍味をむさぼるな、それは欺きのパンだ。
23:4 富を得ようとして労するな/分別をもって、やめておくがよい。
23:5 目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に
飛び去る。
23:6 強欲な者のパンを食べようとするな。供される珍味をむさぼるな。
23:7 彼はその欲望が示すとおりの人間だ。「食べるがよい、飲むがよい」
と言っても/心はあなたを思ってはいない。
23:8 あなたは食べたものを吐き出すことになり/あなたが親切に言った
ことも台無しになる。

23:9 愚か者の耳に語りかけるな/あなたの見識ある言葉を侮るだけだか
ら。
23:10 昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑を侵してはなら
ない。
23:11 彼らを贖う神は強く/彼らに代わってあなたと争われるであろう。
23:12 あなたの心を諭しの言葉に/耳を知識の言葉に傾けよ。
23:13 若者を諭すのを控えてはならない。鞭打っても、死ぬことはない。
23:14 鞭打てば、彼の魂を陰府から救うことになる。
23:15 わが子よ、あなたの心が知恵を得れば/わたしの心は喜び祝う。
23:16 あなたの唇が公正に語れば/わたしのはらわたは喜び躍る。
23:17 罪人らのことに心を燃やすことはない/日ごと、主を畏れること
に心を燃やすがよい。
23:18 確かに未来はある/あなたの希望が断たれることはない。

23:19 わが子よ、聞き従って知恵を得よ。あなたの心が道をまっすぐに
進むようにせよ。
23:20 大酒を飲むな、身を持ち崩すな。
23:21 大酒を飲み、身を持ち崩す者は貧乏になり/惰眠をむさぼる者は
ぼろをまとう。
23:22 父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはな
らない。
23:23 真理を得よ、知恵も諭しも分別も手放すな。
23:24 神に従う人の父は大いに喜び躍り/知恵ある人の親は、その子に
よって楽しみを得る。
23:25 父が楽しみを得/あなたを生んだ母が喜び躍るようにせよ。
23:26 わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に
目を向けよ。

23:27 遊女は深い墓穴、異邦の女は狭い井戸だ。
23:28 彼女は盗人のように待ち伏せし/繰り返し男たちを欺く。
23:29 不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か/いさかいの絶えぬ者は誰
か、愚痴を言う者は誰か/理由なく傷だらけになっているのは誰か/濁
った目をしているのは誰か。
23:30 それは、酒を飲んで夜更かしする者。混ぜ合わせた酒に深入りす
る者。
23:31 酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが
23:32 後になると、それは蛇のようにかみ/蝮の毒のように広がる。
23:33 目は異様なものを見/心に暴言をはき始める。
23:34 海の真ん中に横たわっているかのように/綱の端にぶら下がって
いるかのようになる。
23:35 「打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒
めたらまたもっと酒を求めよう。」
++++
青少年と言われる世代のうちにしっかり読んでおくべき箴言ですね。
いいえ、何歳になっても教訓として学ぶべき内容が満載です。
日本にも身を持ち崩すほどの遊びの表現として「飲む、打つ、買う」と
いう言葉がありますが、箴言ではそれに加えて、強欲な人たちの存在を
意識させ、真理、知識、分別をもって行動するよう促しています。そし
て父と母への思いを深めるようにとも。
大事な教えです。
祝福がありますように。



  関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月22日(木)20時56分10秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.22
ルカによる福音書
◆ペトロ、信仰を言い表す
9:18 イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイ
エスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになっ
た。
9:19 弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エ
リヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もい
ます。」
9:20 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うの
か。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
**
「群集は私のことを誰だと言っているのか」そして、「あなたがたは私のこ
とを何者だというのか」とイエス様は弟子たちに尋ねておられます。ペトロ
は代表して「神からのメシアです」と答えています。模範的な答えです。し
かし、その意味がどれだけわかっているかは不明です。
新約聖書は「イエスとは誰か」「イエスとは何者か」を教えていて、読者そ
れぞれが、「それで、あなたはイエスを何者だと思うのですか」という問い
に答えるように求めています。

これは私たちが簡単に決めるべきことではなく、じっくり考え、じっくり学
び、聖霊に教えられつつ答えるべき内容なのでしょうね。まずは、聖書の解
答をしっかり読み取ることから始める必要があると思います。
祝福がありますように。

++


【癒すことば:箴言】

22:1 名誉は多くの富よりも望ましく/品位は金銀にまさる。
22:2 金持ちと貧乏な人が出会う。主はそのどちらも造られた。
22:3 思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。浅はかな者は通り抜けよう
として痛い目に遭う。
22:4 主を畏れて身を低くすれば/富も名誉も命も従って来る。
22:5 曲がった道には茨と罠。そこから遠ざかる人は自分の魂を守る。
22:6 若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることが
ないであろう。
22:7 金持ちが貧乏な者を支配する。借りる者は貸す者の奴隷となる。
22:8 悪を蒔く者は災いを刈り入れる。鞭は傲慢を断つ。
22:9 寛大な人は祝福を受ける/自分のパンをさいて弱い人に与えるから。
22:10 不遜な者を追い出せば、いさかいも去る。争いも嘲笑もやむ。
22:11 清い心を愛する人は唇に品位があり/王がその友となる。
22:12 主の目は知識を守り、欺きの言葉を滅ぼす。
22:13 怠け者は言う。「外には獅子がいる。町に出ればわたしは殺される。」
22:14 よその女の口は深い墓穴/主の憤りにふれた者はそこに陥る。
22:15 若者の心には無知がつきもの。これを遠ざけるのは諭しの鞭。
22:16 弱者を搾取して自分を富ませたり/金持ちに贈り物をしたりすれば、
欠乏に陥る。
++
若者への忠告の言葉が印象的な箇所です。
今朝の箴言の主題は「22:4 主を畏れて身を低くすれば/富も名誉も命も従っ
て来る。」だと思います。
こういう人は寛大な人であり、逆は「不遜な人」となります。しかし、これ
らの言葉は一般的な原則論であり、必ずそうなるというわけではありません。
社会の中には「正直者は馬鹿をみる」ということも多く、謙遜だからといっ
て評価されるわけでもない」という現実があるからです。
しかし、主を畏れ、謙遜に、勤勉に生きるという姿勢は、主が求めているこ
とであり、たとえ、それで貧しいままだとしても、その線で生きるとき、心
の中の平静さが保たれるのだと思います。それは人生を豊かに感じさせ、生
きていて良かったと思える心に通じていると思います。
祝福がありますように。



           関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月22日(木)20時17分59秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.21
ルカによる福音書
◆五千人に食べ物を与える
9:10 使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。
イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた。
9:11 群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、
神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。
9:12 日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解
散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を
見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」
9:13 しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」
彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このす
べての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」
9:14 というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人
々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。
9:15 弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。
9:16 すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらの
ために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。
9:17 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十
二籠もあった。
+++
弟子たちは群集を解散させるようにとイエス様に提案しています。しかし、
イエス様は、彼らに「あなたがたで彼らに食べ物を与えなさい」と命じまし
た。やがてイエス様が天にお帰りになったとき、弟子たちは自分たちで群集
にパンを与えるという出来事に直面することになるからです。この奇跡は弟
子たちへの訓練でもありました。イエス様は、弟子たちを積極的に用いなが
ら、弟子たちにパンを渡し、それを弟子たちが直接群集に与えて、まるで弟
子たちの手柄にするかのように、配給されました。
こういう体験は弟子たちにとっては、忘れることの出来ない貴重なものにな
ったはずです。そして、人々が集まったとき、どうすればよいのかを考える
決定的な判断の基準になったはずです。
解散ではなく、ケアする方向に心は向いていったのです。群集に対する羊飼
いの役割をイエス様から託されていることを弟子たちは体験することができ
ました。
託された群れのためにパンを配給する作業は、丁寧にみことばを配給する作
業と似ています。
同時にこの奇跡の中でのイエス様の姿は、最後の晩餐の時のイエス様の姿と
重なる面があります。
主は私たちに、常にご自身を与えてくださいます。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
21:1 主の御手にあって王の心は水路のよう。主は御旨のままにその方向を定
められる。
21:2 人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中を測られる。
21:3 神に従い正義を行うことは/いけにえをささげるよりも主に喜ばれる。

21:4 高慢なまなざし、傲慢な心は/神に逆らう者の灯、罪。
21:5 勤勉な人はよく計画して利益を得/あわてて事を行う者は欠損をまねく。

21:9 いさかい好きな妻と一緒に家にいるよりは/屋根の片隅に座っている方
がよい。
21:10 神に逆らう者の欲望は悪に注がれ/その目は隣人をも憐れまない。

21:13 弱い人の叫びに耳を閉ざす者は/自分が呼び求める時が来ても答えは
得られない。
21:14 ひそかに贈り物をしておけば怒りはなだめられ/賄賂をふところに入
れてやれば激怒も静まる。

21:17 快楽を愛する者は欠乏に陥り/酒と香油を愛する者は富むことがない。
21:19 いさかい好きで怒りっぽい妻といるよりは/荒れ野に座っている方が
よい。

21:23 自分の口と舌を守る人は/苦難から自分の魂を守る。
21:24 増長し、高慢な者、その名は不遜。高慢のかぎりを尽くす。
21:25 怠け者は自分の欲望に殺される。彼の手が働くことを拒むからだ。
21:26 欲望は絶えることなく欲し続ける。神に従う人は与え、惜しむことは
ない。

21:30 どのような知恵も、どのような英知も、勧めも/主の御前には無に等
しい。
21:31 戦いの日のために馬が備えられるが/救いは主による。
***
この章の中で「21:9 いさかい好きな妻と一緒に家にいるよりは/屋根の片隅
に座っている方がよい。」「21:19 いさかい好きで怒りっぽい妻といるより
は/荒れ野に座っている方がよい。」と二回も出てくる格言は、編者がよほ
ど奥さんのことで苦労したのかなぁと思ってしまいます。おそらく女性の立
場からすれば「いさかい好きな夫と一緒にいるよりは」と読み直して同じ結
論だろうと思います。
さまざまな内面的な問題が語られている中にきわめて具体的な家庭内のこと
が出てくると、そこに本音を見るようで安心できます。思わず苦笑いが出て
しまいます。

それにしても、ひとつひとつの短い文章の中に人生の経験が凝縮されたよう
な深みを感じます。
最後の「救いは主による」という宣言は、実に重い響きがあります。救いを
もたらす主が今日も共にいてくださいますように。
祝福がありますように。


      関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨシュア  投稿日:2012年 3月20日(火)21時39分22秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.20
ルカによる福音書

◆ヘロデ、戸惑う
9:7 ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。と
いうのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言
う人もいれば、
9:8 「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が
生き返ったのだ」と言う人もいたからである。
9:9 しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いった
い、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに
会ってみたいと思った。
+++
ヨハネを殺したヘロデ王にとって、その罪責感は消えていませんでした。イ
エス様の話は聞きたいと思っても、なんとなく自分の愚かな悪事が暴かれる
ような気がして近づきにくかったのでしょう。
私たちの中でも同じことがあるように思います。
キリストに自分の悪を暴かれ、責められるような気がして、聖書の話を聞き
たいけれど、近づけないということはヘロデでなくても、同じ気持ちの人た
ちは少なくないように感じます。
それでも、イエス様の言葉は聞いておく価値があると思います。自分のプラ
イドのために、その価値ある恵みの教えを捨ててしまうのは、あまりに大き
な損失だと思います。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
20:1 酒は不遜、強い酒は騒ぎ。酔う者が知恵を得ることはない。
20:2 王の脅威は若獅子のうなり声/彼を怒らせる者は自分を危険にさらす。
20:3 争いにかかわらないのは立派なことだ。無知な者は皆、争いを引き起こ
す。
20:4 怠け者は冬になっても耕さず/刈り入れ時に求めるが何もない。
20:5 思い計らいは人の心の中の深い水。英知ある人はそれをくみ出す。
20:6 親友と呼ぶ相手は多いが/信用できる相手を誰が見いだせよう。
20:7 主に従う人は完全な道を歩む。彼を継ぐ子らは幸い。
20:8 裁きの座に就いている王は/その目でどのような悪をもふるい分ける。
20:9 わたしの心を潔白にした、と誰が言えようか。罪から清めた、と誰が言
えようか。
20:10 おもり石の使い分け、升の使い分け/いずれも主の憎まれること。

+++
生き方そのものが問われているような箴言の言葉です。
確かにそうだなぁと思える格言がいくつも出てきます。
怠惰にならず、勤勉実直な生き方が奨励されていますが、これは今も昔も
変わりませんね。
祝福がありますように。


    関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月17日(土)19時53分1秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.17
ルカによる福音書
◆ヤイロの娘とイエスの服に触れる女
8:40 イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを
待っていたからである。
8:41 そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエス
の足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。
8:42 十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。イエスがそ
こに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。
8:43 ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たした
が、だれからも治してもらえない女がいた。
8:44 この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出
血が止まった。 8:45 イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。
人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを
取り巻いて、押し合っているのです」と言った。
8:46 しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行
ったのを感じたのだ」と言われた。
8:47 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由
とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。
8:48 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して
行きなさい。」
8:49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。
「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」
8:50 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ
信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」
8:51 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母の
ほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。
8:52 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。
「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」
8:53 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。
8:54 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。
8:55 すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食
べ物を与えるように指図をされた。
8:56 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないよ
うにとお命じになった。
****
会堂長ヤイロの娘さんが死にそうだというので、彼はイエス様のところに来
て懇願し、イエス様が一緒に家に行って下さることになりました。ヤイロの
心は大きな期待と安堵感で包まれたと思います。ところが家に向かっている
間に、イエス様の足が止められる事件が起こりました。長い間出血が止まら
ず、医者に行っても直らず、困り果てていた女性がイエス様の着物にさわり
癒されたのです。イエス様はそれがどの女性だったのかを確認するため足を
止めました。ヤイロの気持ちはどうだったでしょう。そうこうしている間に
ヤイロのもとに人が来て「お嬢さんさんが亡くなりました。イエス様に来て
いただく必要はないでしょう」という情報が入りました。イエス様はそれを
聞いたとき、間髪いれずに「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれ
ば、娘は救われる。」と割って入りました。そして道を進み、家で彼女を生
き返らせました。
神の愛の出来事として、これらの癒しの記事が書かれているわけですが、こ
の件について、イエス様は誰にも話さないようにと戒めました。それは、彼
らは喜びのあまり誰にでも話し始めてしまうとイエス様のところに人が集ま
りすぎて、十字架への道が困難になる可能性があったからです。
イエス様の本当の目的は病を癒すということよりもむしろ、十字架で人々の
罪を赦し、神との和解を成立させることにありました。それはイエス様にと
って誰にも妨げられてはならない最重要事項だったのです。
祝福がありますように。


++

【癒す言葉:箴言】
18:8 陰口は食べ物のように呑み込まれ/腹の隅々に下って行く。
18:9 仕事に手抜きする者は/それを破壊する者の兄弟だ。

18:12 破滅に先立つのは心の驕り。名誉に先立つのは謙遜。
18:13 聞き従う前に口答えをする者/無知と恥は彼のため。
18:14 人の霊は病にも耐える力があるが/沈みこんだ霊を誰が支えることが
できよう。
18:15 聡明な心は知識を獲得する。知恵ある耳は知識を追求する。

18:20 人は口の結ぶ実によって腹を満たし/唇のもたらすものによって飽き
足りる。
18:21 死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう。

18:24 友の振りをする友もあり/兄弟よりも愛し、親密になる人もある。
****
人間関係のための知恵の言葉です。勤勉、謙遜、誠実などを大事なものとし
て追い求めつつ、言葉を慎みながら生きることが高く評価されています。
今日も、陰口をたたかず、仕事の手抜きをせずに、人を落ち込ませるような
言葉を吐かず、前向きに生きましょう。
祝福がありますように。
関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月16日(金)10時57分53秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.16
ルカによる福音書
◆悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす
8:32 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。
悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。
8:33 悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を
下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。
8:34 この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。
8:35 そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスの
ところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になっ
てイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。
8:36 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次
第を人々に知らせた。
8:37 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもら
いたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのであ
る。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。
8:38 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、
イエスはこう言ってお帰しになった。
8:39 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことご
とく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださ
ったことをことごとく町中に言い広めた。
+++
悪霊に取りつかれた人が解放されるという出来事が記録されています。興味
深いのは、悪霊によって豚をたくさん失った豚飼いたちの反応と、癒された
人の反応です。豚飼いたちは、イエス様にこの土地から出て行ってくれるよ
うにと頼みました。こういうことが起こされたら仕事が出来なくなってしま
うと彼らは考えたのでしょう。それによって、一人の人が解放され、正気に
もどったということが起こったのですが、そんなことより、豚の損失のほう
が大きい問題だったのです。彼らにとっては、悪霊に取りつかれた人の解放
など、それほど重要なことではありませんでした。
悪霊が追い出され、癒された人は、イエス様にお供したいと熱心に申し出ま
すが、イエス様は、自分の家に帰り、そこで自分の身に起こったことを話し
て聞かせるようにと命じました。彼はそのとおり実行しました。一般的に考
えれば、これだけ劇的な変化を経験した人ですから、イエス様の近くにいれ
ば、いわゆる「証し人」としての効果は大きかっただろうと思いますが、イ
エス様は、そういう人をご自分の働きのために用いませんでした。
イエス様の望まれる場所で、イエス様に知られていることを信頼して進めば、
それで良いのです。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
17:1 乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば/いけにえの肉で家を満た
して争うよりよい。
17:2 成功をもたらす僕は恥をもたらす息子を支配し/その兄弟と共に嗣業の
分配にあずかる。
17:3 銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主。
17:4 悪事をはたらく者は悪の唇に耳を傾け/偽る者は滅亡の舌に耳を向ける。
17:5 貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者。災いのときに喜ぶ者は赦され
ない。
17:6 孫は老人の冠、子らは父の輝き。
17:7 高尚な唇は神を知らぬ者にふさわしくない。うそをつく唇は高貴な者に
一層ふさわしくない。
17:8 賄賂は贈り主にとって美しい宝石。贈ればどこであろうと成功する。
17:9 愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く。
17:10 理解力ある人を一度叱責する方が/愚か者を百度打つよりも効き目が
ある。
****
「17:1 乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば/いけにえの肉で家を満
たして争うよりよい。」
「物がなくても工夫しながら仲良く暮らすことができる」という発想を、「そ
んなことは理想だ」と切り捨てる傾向はないでしょうか。現実的には、品物
があふれていながら、相変わらず物がない、お金がないという不満や不安で
いっぱいになっている場合が少なくありません。決して物がないわけではな
いのに、足りなさばかり感じ、実際にはお金がないわけではないのに不平不
満が多いのは、そもそも、「生かされているからこそ生きていられるのだ」
という実感がないからかもしれません。確かにお金がなければ困りますし、
物がなければ生きられません。しかし、平安は人間の心の持ちようで生まれ
るので、物の多さや少なさで決まるものではありません。一緒に悩んだり、
一緒に笑えるならそこに共感の心が生まれ、ある種の平安が生まれます。相
互の間に存在を大切にする心がなければ、平和は生まれません。やっぱり、
愛なんですよね。
祝福がありますように。


   関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月15日(木)16時05分49秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.15
ルカによる福音書
◆突風を静める
8:22 ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に
渡ろう」と言われたので、船出した。
8:23 渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろし
て来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。
8:24 弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」
と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって
凪になった。
8:25 イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子た
ちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波
も従うではないか」と互いに言った。
***
イエス様が一緒にいても、突風におびえ、あわてる弟子たちの姿はどう考え
ても私の姿だなと思います。
「自分たちで何とかしなければならないので、がんばるぞ」という時に信仰
を発揮させるというのもあるのかもしれませんが、イエス様が一緒にいるわ
けですから、このお方が、私たちを見捨てておぼれさせるはずはないと、「イ
エス様を全面的に信頼するという姿勢」がここでは求められていたのです。
信仰とは、「神に知られ、神に愛されている」ことへの信仰であり、いわば、
神に手を取ってもらっているのだということへの信頼なのです。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】

16:13 正しいことを語る唇を王は喜び迎え/正直に語る人を愛する。
16:14 王の怒りは死の使い。それをなだめるのは知恵ある人。
16:15 王の顔の輝きは命を与える。彼の好意は春の雨をもたらす雲。
16:16 知恵を得ることは金にまさり/分別を得ることは銀よりも望ましい。
16:17 正しい人の道は悪を避けて通っている。魂を守る者はその道を守る。
16:18 痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊。
16:19 貧しい人と共に心を低くしている方が/傲慢な者と分捕り物を分け合
うよりよい。
16:20 何事にも目覚めている人は恵みを得る。主に依り頼むことが彼の幸い。
16:21 心に知恵ある人は聡明な人と呼ばれる。優しく語る唇は説得力を増す。
16:22 見識ある人にはその見識が命の泉となる。無知な者には無知が諭しと
なる。
16:23 知恵ある心は口の言葉を成功させ/その唇に説得力を加える。
16:24 親切な言葉は蜜の滴り。魂に甘く、骨を癒す。
16:25 人間の前途がまっすぐなようでも/果ては死への道となることがある。
16:26 労苦する者を労苦させるのは欲望だ。口が彼を駆り立てる。
16:27 ならず者は災いの炉、その唇には燃えさかる火。
16:28 暴言をはく者はいさかいを起こさせる。陰口は友情を裂く。
16:29 不法を行う者はその友を惑わして/良くない道を行かせる。
16:30 人は目を閉じて暴言を考え出し/悪を果たして口をすぼめる。
***
「正直、分別、見識、知恵、」を求めることの大切さが語られ、「正しい言
葉」「親切な言葉」が高く評価されています。「16:24 親切な言葉は蜜の滴
り。魂に甘く、骨を癒す。」
逆に、高慢、驕り、そして「暴言」「陰口」の陰険さ、悪い影響がしっかり
教えられています。
新約聖書の中にあるヤコブの手紙には、同じような警告が書かれています。
「3:5 同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさ
い。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
3:6 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、
全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やさ
れます。
3:7 あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制
御されていますし、これまでも制御されてきました。
3:8 しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪
で、死をもたらす毒に満ちています。
3:9 わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって
造られた人間を呪います。
3:10 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このよう
なことがあってはなりません。」
言葉、気をつけたいですね。
祝福がありますように。



    関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月14日(水)10時44分7秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.14
ルカによる福音書
◆イエスの母、兄弟
8:19 さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくこ
とができなかった。
8:20 そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立ってお
られます」との知らせがあった。
8:21 するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて
行う人たちのことである」とお答えになった。
***
イエス様の家族はこの場面ではまだ、イエス様を救い主とは信じていないよ
うです。できればイエス様を連れて帰りたいという願いを持っていたのかも
しれません。イエス様は、いわゆる地上における肉体的名意味での家族を否
定しませんが、神の言葉を聞いて行う人たちのことを、イエス様は自分の家
族、自分の身内と考えていたことがわかります。いわば、「神の家族」とい
う考えです。イエス様の言葉からは、地上の家族よりも深い絆がそこにある
ように感じます。
教会での礼拝におけるかかわりは、まさに神の家族としての関係なのです。
祝福がありますように。


++++

【癒すことば:箴言】

15:1 柔らかな応答は憤りを静め/傷つける言葉は怒りをあおる。
15:2 知恵ある人の舌は知識を明らかに示し/愚か者の口は無知を注ぎ出す。
15:3 どこにも主の目は注がれ/善人をも悪人をも見ておられる。
15:4 柔らかな応答は命の木。よこしまな舌は気力を砕く。

15:7 知恵ある人の唇は知識をふりまく。愚か者の心は定まらない。
15:8 主は逆らう者のいけにえをいとい/正しい人の祈りを喜び迎えられる。
15:9 主は逆らう者の道をいとい/従うことを求める人を愛される。
15:10 道を捨てる者は諭しを不快に思う。懲らしめを憎む者は死に至る。
15:11 陰府も滅びの国も主の御前にある。人の子らの心はなおのこと。
15:12 不遜な者は懲らしめられることを嫌い/知恵ある人のもとに行こうと
しない。

15:13 心に喜びを抱けば顔は明るくなり/心に痛みがあれば霊は沈みこむ。
15:14 聡明な心は知識を求め/愚か者の口は無知を友とする。
15:15 貧しい人の一生は災いが多いが/心が朗らかなら、常に宴会にひとし
い。
15:16 財宝を多く持って恐怖のうちにあるよりは/乏しくても主を畏れる方
がよい。
15:17 肥えた牛を食べて憎み合うよりは/青菜の食事で愛し合う方がよい。
15:18 激しやすい人はいさかいを引き起こし/忍耐深い人は争いを鎮める。

15:26 悪意を主はいとい、親切な言葉を清いとされる。
15:27 奪い取る者の家には煩いが多い。賄賂を憎む者は命を得る。
15:28 神に従う心は思いめぐらして応答し/神に逆らう口は災いを吐く。
***
人間関係の一番大きな問題は、言葉によってもたらされるものかもしれませ
ん。傷つける言葉、よこしまな舌で深い痛みを受けた人たちが、カウンセリ
ング室にはたくさん集まっています。一方で、柔らかな応答、 知恵ある人の
舌、親切な言葉で心に安心を感じる人も多くいます。ひと言多くても、ひと
言少なくても相手に対する感じ方が変わります。間の取り方で伝わり方が変
わります。口は災いのもととはよく言ったものです。
ひとたび口から出された嫌味な言葉は、なかなか忘れてはもらえず、不信感
は去りません。
心を明るく生きるためには、本当に言葉を大切に、温かい心を伝えるために
言葉を用いる努力が必要です。
幸せな心が生まれるような言葉を分かち合いたいですね。
祝福がありますように。



     関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月13日(火)15時17分15秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.13
ルカによる福音書
◆「ともし火」のたとえ
8:16 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたり
する人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
8:17 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、
人に知られず、公にならないものはない。
8:18 だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、
持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」
****
イエス様が来たのは、まさに、世の中にともし火が置かれたような出来事と
同じなのです。だから、イエス様によって人間の心の様々な思いや考えが明
るみに出されることになります。「どう聞くべきか注意するように」という
警告は、キリストの言葉を誤解したり、曲解したり、反抗的だったりしたら、
それはそのまま神に知られるところとなり、言い逃れの余地がなくなるので
す。
イエス様の言葉が神の希望の光のはずなのに、それを無視し続けるなら、光
の中で目を覆って生きているようなものであり、祝福は去ってしまうことに
なるのです。
世の光として来られたお方の言葉には注目する必要があるのです。
祝福がありますように。
関根一夫



++++

【癒すことば:箴言】

14:3 無知な者の口には傲慢の杖。知恵ある人の唇は自分を守る。
14:6 不遜であれば知恵を求めても得られない。聡明であれば知識は容易に得
られる。
14:7 愚か者の前から立ち去るがよい。彼に知識ある唇を認めることはできな
い。
14:8 思慮深い人は自分の知恵によって道を見分ける。愚か者の無知は欺く。
14:9 無知な者は不遜で互いをなじる。正しい人は互いに受け入れる。
14:10 魂の苦しみを知るのは自分の心。その喜びにも他人はあずからない。
14:11 神に逆らう者の家は断絶する。正しい人の天幕は繁栄する。
14:12 人間の前途がまっすぐなようでも/果ては死への道となることがある。
14:13 笑っていても心の痛むことがあり/喜びが悲しみに終ることもある。
14:14 二心ある者は自らの道に/善人は自らの業に飽かされる。
14:15 未熟な者は何事も信じこむ。熟慮ある人は行く道を見分けようとする。
14:16 知恵ある人は畏れによって悪を避け/愚か者は高慢で自信をもつ。
14:17 短気な者は愚かなことをする。陰謀家は憎まれる。
14:23 どのような苦労にも利益がある。口先だけの言葉は欠乏をもたらす。
14:30 穏やかな心は肉体を生かし/激情は骨を腐らせる。
14:31 弱者を虐げる者は造り主を嘲る。造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。
***
無知、高慢、不遜、未熟、短気、などいろいろな問題の種となりそうな事柄
が取り上げられています。どこにでもある出来事の中に、恐ろしいほどの「悪」
が積もっていきます。
「14:30 穏やかな心は肉体を生かし/激情は骨を腐らせる。」とありますが、
直情的な怒り、憤りを収めることを知らないと、感情に振り回され、あのカ
インが弟を殺してしまったように、とんでもないことをしてしまう可能性が
あるのです。そして、彼は後になって後悔するのです。穏やかな心はどうや
ったら手に入るのでしょう。
「穏やかな心」とは、「神に愛されていることを知って喜ぶ心」であり「神
に赦されていて受け入れられていることを知っている心」と考えることがで
きます。とすると、そもそも、自分は神に愛される資格もなく、赦されるた
めには大きな犠牲が必要だったのだということを認めるところからはじめな
ければなりません。
主を畏れる心と同じ質のものなのです。そこに謙遜の素地があるのです。
祝福がありますように。



             関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月12日(月)20時14分33秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.12
ルカによる福音書
◆「種を蒔く人」のたとえの説明
8:11 「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。
8:12 道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、
後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。
8:13 石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、
しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。
8:14 そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩い
や富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。
8:15 良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐
して実を結ぶ人たちである。」
***
主題が「種を蒔く人」となっていますので、その視点から見ていくと、どう
なるでしょう。種まく人にとっては、道端に落ちた種、石地に落ちた種、茨
の中に落ちた種は、まったく無駄な種になってしまったことを意味します。
もう種を蒔くのをやめてしまいたくなる気持ちになるはずです。種は貴重品
ですし、無駄が多ければ、来年の生活が出来なくなるわけですから、深刻な
問題になってしまいます。
しかし、種まく人は、良い地に落ちる種を信じて、蒔き続けるのです。そし
て、忍耐して、蒔き続けた甲斐があって100倍の実を結ぶ日を経験するわけで
す。
神の言葉は、何があろうと宣言され続け、離れる人がいても、捨てる人がい
ても、丁寧に伝えられ続ける必要があるのです。それゆえに種まく人の生活
が困窮し、希望が見えにくい状況があるとしても、福音は蒔かれ続け、良い
地に落ちてやがて100倍の実を結ぶ日まで、御言葉は蒔かれ続けるのです。
神の愛、忍耐、憐れみが、その種まきの原動力となっているからこそ、可能
なのです。
種蒔く人の孤独と喜びが、とてもはっきり見える例え話です。弟子たちの心
は燃えたと思いますね。
祝福がありますように。



++++

【生かすことば:箴言】

13:1 子は父の諭しによって知恵を得る。不遜な者は叱責に聞き従わない。
13:2 口の言葉が結ぶ実によって/人は良いものを享受する。欺く者の欲望は
不法に向かう。
13:3 自分の口を警戒する者は命を守る。いたずらに唇を開く者は滅びる。
13:4 怠け者は欲望をもっても何も得られず/勤勉な人は望めば豊かに満たさ
れる。
13:5 神に従う人は偽りの言葉を憎む。神に逆らう者は悪臭を放ち、辱められ
る。
13:6 慈善は完全な道を歩む人を守り/神に逆らうことは罪ある者を滅ぼす。
13:7 富んでいると見せて、無一物の者がいる。貧乏と見せて、大きな財産を
持つ者がある。
13:8 財産が自分の身代金になる者もある。貧しい人は叱責を聞くことはない。
13:9 神に従う人の光は喜ばしく輝き/神に逆らう者の灯は消される。
13:10 高慢にふるまえば争いになるばかりだ。勧めを受け入れる人は知恵を
得る。
13:11 財産は吐く息よりも速く減って行くが/手をもって集めれば増やすこ
とができる。
13:12 待ち続けるだけでは心が病む。かなえられた望みは命の木。
13:13 言葉を侮る者は滅ぼされ/戒めを敬う者は報われる。
13:14 賢人の教えは命の源。死の罠を避けさせる。
13:15 見識は優雅さを伴う。欺く者の道は手ごわい。
13:16 思慮深い人は皆知識に基づいてふるまう。愚か者は無知をさらけ出す。

一つ一つの言葉にとても深い意味が込められているなぁと感じます。
一節ごとにはっきり区切って、読んでいくと、それだけで、ひとつの説教が
出来そうな感じさえ
します。今日は説明をやめて、本文だけをしっかり読んでみたいと思います。
これらの知恵の言葉を丁寧にお読みください。ともに心に刻みましょう。
祝福がありますように。



      関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月10日(土)23時55分50秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.10

ルカによる福音書

◆たとえを用いて話す理由
8:9 弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。
8:10 イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許され
ているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、/『彼らが見て
も見えず、/聞いても理解できない』/ようになるためである。」
+++
とても大切なことが語られています。それは、誰にでも理解してもらうため
に日常的なたとえを用いられたわけではないということです。「たとえ」に
よって真理が、間接的に語られ、それだけを聞いた群衆は「見ても見えず、
/聞いても理解できない」のです。つまり、人間的な興味や能力だけでは、
イエス様の話されたたとえの奥義は理解できないということです。その内容
に心を動かされ、謙遜にどういう意味なのかを尋ねた弟子だけに神の真理が
説明されているからです。イエス様への信頼がなければ、そのたとえ話の真
理はわからないのです。神様の奥義を理解するためには、「信仰」という鍵
が必須なのです。
神の奥義は、キリストに信頼し、心が謙遜にされ、神に教えを乞う心で尋ね
たとき、不思議にすっと腑に落ちるもののようです。イエス様の教えには、
いつも表面的なわかりやすさと裏腹に、意味の深さがあって、考えれば考え
るほど難しいなぁと感じてしまうことがあります。私は自分で、どれだけ正
確に理解できているのか自信はありません。学び続け、求め続けなければな
りません。でも、そういう発見の旅は楽しいものです。
祝福がありますように。



++++

【生かすことば:箴言】
12:1 諭しを愛する人は知識を愛する。懲らしめを憎む者は愚かだ。
12:2 善人は主に喜び迎えられる。悪だくみをする者は罪ありとされる。
12:3 神に逆らえば、固く立つことはできない。神に従う人の根は揺らぐこと
がない。
12:4 有能な妻は夫の冠。恥をもたらす妻は夫の骨の腐れ。
12:5 神に従う人の計らいは正義。神に逆らう者の指図は、裏切り。
12:6 神に逆らう者の言葉は待ち伏せて流血を犯す。正しい人の口は自分を救
う。
12:7 神に逆らう者は覆って滅びる。神に従う人の家は耐える。
12:8 人は見識のゆえに賞賛される。心がいじけている者は侮られる。
12:9 軽蔑されていても僕を持っている方が/尊敬されていてパンを欠くより
よい。
12:10 神に従う人は家畜の求めるものすら知っている。神に逆らう者は同情
すら残酷だ。
12:11 自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。意志の弱い者は空を追う。
12:12 神に逆らう貪欲は、悪人らを捕える網となる。神に従う人の根は実り
を与える。
12:13 悪人は唇の罪の罠にかかる。神に従う人は苦難から逃れ出る。
12:14 口の言葉が結ぶ実によって/人は良いものに飽き足りる。人は手の働
きに応じて報いられる。
12:15 無知な者は自分の道を正しいと見なす。知恵ある人は勧めに聞き従う。
12:16 無知な者は怒ってたちまち知れ渡る。思慮深い人は、軽蔑されても隠
している。
12:17 忠実に発言する人は正しいことを述べ/うそをつく証人は裏切る。
12:18 軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。
12:19 真実を語る唇はいつまでも確かなもの。うそをつく舌は一瞬。
12:20 悪を耕す者の心には裏切りがある。平和を勧める人の心には喜びがあ
る。
12:21 神に従う人はどのような災難にも遭わない。神に逆らう者は災いで満
たされる。
12:22 うそをつく唇を主はいとわれる。忠実を尽くす人を主は喜び迎えられ
る。
12:23 思慮深い人は知識を隠す。愚かな心はその無知を言いふらす。
12:24 勤勉な手は支配し/怠惰な手は奴隷となる。
12:25 心配は人をうなだれさせる。親切な言葉は人を喜ばせる。
12:26 神に従う人は友よりも好運である。神に逆らう者の道は人を迷わす。
12:27 怠惰な者は獲物を追うこともしない。勤勉な人は人類の貴い財産だ。
12:28 命は慈善の道にある。この道を踏む人に死はない。
+++
神に逆らう愚かさ、誠実な言葉の有用性、忠実、勤勉、そして癒す言葉など、
考えさせられる素材が満載ですね。どういうふうに応答し、どういう言葉を
発しているか、ちょっと注意してみるだけでも関係が変わってきます。

祝福がありますように。



           関根一夫





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月 9日(金)12時21分37秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.09
ルカによる福音書
◆「種を蒔く人」のたとえ
8:4 大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはた
とえを用いてお話しになった。
8:5 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に
落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
8:6 ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。
8:7 ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
8:8 また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イ
エスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われ
た。
++
「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた」という部分がとても気
になりました。これは「単に耳を傾けるということだけでは理解できない、
表面上には表されていない深い意味が込められている内容が提示されている」
ということへの注意を喚起している表現なのです。確かにこの種を蒔く人の
たとえは、説明が加えられないと、どういう意味なのか、私とどんな関係が
あるのかわかりにくいです。弟子たちはイエス様にこのたとえの意味を尋ね
ています。説明を聞く前に、もう一度たとえ話を丁寧に読んでおけると良い
ですね。
祝福がありますように。

+++

【生かすことば:箴言】

11:24 散らしてなお、加えられる人もあり/締めすぎて欠乏する者もある。
11:25 気前のよい人は自分も太り/他を潤す人は自分も潤う。
11:26 穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買い/供する人の頭上には祝福が与
えられる。
11:27 善を捜し求める人は好意を尋ね求める人。悪を求める者には悪が訪れ
る。
11:28 富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る。
11:29 家に煩いをもたらす者は風を嗣業とする者。愚か者は知恵ある人の奴
隷となる。
11:30 神に従う人の結ぶ実は命の木となる。知恵ある人は多くの魂をとらえ
る。
11:31 神に従う人がこの地上で報われるというなら/神に逆らう者、罪を犯
す者が/報いを受けるのは当然だ。
+++
分かち合うことの大切さ、気前の良さ、善意と好意で生きる人、そういう人
が高く評価されています。
原則論としては良くわかるのですが、実際に自分がそういうサービス精神旺
盛に生きているかどうかを心に問うと、ちょっと不安になってきます。私は
バランス感覚が悪いなぁと痛感することが多いです。
提供すべきものを、提供せずに、不要なものを提供したり、必要以上に抱え
込んだり、いくつになっても大人気ない自分にがっかりすることがあります。
知恵ある人になりたいものだなと思います。
祝福がありますように。


     関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月 8日(木)16時24分32秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.08
ルカによる福音書
◆婦人たち、奉仕する
8:1 すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、
町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。
8:2 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわ
ち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、
8:3 ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人た
ちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕し
ていた。
***
イエス様と弟子たちを支援し、その働きが前進するように手助けした人たち
の中で女性の果たした役割は大きなものでした。これはやがて教会が形成さ
れる時代になっても、同じだったと思います。女性蔑視が一般的だった時代
に、これだけ女性が支援的に、持ち物を出し合って宣教活動に参加し、奉仕
者として働けていることは異例とも言える出来事でした。彼女たちはイエス
様や弟子たちの身の回りを整え、食事などの世話をしていたようです。
有名無名の女性の存在と奉仕によって、主の働きが前に進んでいきました。
どうしても12弟子の働きに注目が集まりがちですが、主の働きは、それ以外
の男性、女性の奉仕があってこそ進展してきたのです。今も同じだと思いま
す。教会は牧師ひとりでは出来ることは限られていますから、いろいろな助
けが必要であり、多くの奉仕の心を持っている人たちの存在がなければ成り
立ちません。
祝福がありますように。

++

【生かすことば:箴言】

11:1 偽りの天秤を主はいとい/十全なおもり石を喜ばれる。
11:2 高慢には軽蔑が伴い/謙遜には知恵が伴う。
11:3 正しい人は自分の無垢に導かれ/裏切り者は自分の暴力に滅ぼされる。
11:4 怒りの日には、富は頼りにならない。慈善は死から救う。
11:5 無垢な人の慈善は、彼の道をまっすぐにする。神に逆らう者は、逆らい
の罪によって倒される。
11:6 正しい人は慈善によって自分を救い/裏切り者は自分の欲望の罠にかか
る。
***
偽り、高慢、裏切り、怒り、よりも、誠実、謙遜、知恵、慈善の大切さが教
えられています。
慈善という言葉が独特の響きをもって伝わってきます。他者に対する善意あ
ふれる心と行為ですね。
11:5 無垢な人の慈善は、彼の道をまっすぐにする。神に逆らう者は、逆らい
の罪によって倒される。
11:6 正しい人は慈善によって自分を救い/裏切り者は自分の欲望の罠にかか
る。
とありますが、他の人への親切は、いつか自分の益するところとなり、神に
反抗し、自分のことばかり考えて約束を曲げ、出し惜しみしていると欲望の
罠にかかる。つまり不満と不平と不足のなかに生きることになるという教え
にはハッとさせられます。人に対するいろいろな「好ましいサービス」を見
直す必要がありそうです。

祝福がありますように。


       関根一夫








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 3月 7日(水)12時08分37秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.07
ルカによる福音書
◆罪深い女を赦す
7:36 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、
イエスはその家に入って食事の席に着かれた。
7:37 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入っ
て食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、
7:38 後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、
自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
7:39 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言
者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女
なのに」と思った。
7:40 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいこと
がある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言っ
た。
7:41 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りてい
た。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。
7:42 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてや
った。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」
7:43 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。
イエスは、「そのとおりだ」と言われた。
7:44 そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。
わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、
この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。
7:45 あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って
来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。
7:46 あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を
塗ってくれた。
7:47 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示
した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
7:48 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
7:49 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考
え始めた。
7:50 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさ
い」と言われた。
***
名前がわかりませんが、罪深い女性と言われているこの人は、勇気をもって、
決断して食事をしているイエス様のところに近づき、足にキスをし、香油を
塗りました。足にキスをするという所作は、最高の感謝と謙遜の表現とされ
ています。困惑した主人ファリサイ派のシモンは、「こんな女に、こんなこ
とをさせて平気なんだろうか」とイエス様に疑念をいだきました。イエス様
は、たとえを用いて、神にその罪を赦された人の喜びを語り、客人であるイ
エス様の足を洗うこともしてくれなかったシモンに対して、この女性は足を
洗うばかりでなく香油を塗り、キスしてくれたことを高く評価しています。
多く赦されたことを感謝している人と、自分は赦される必要などないはずだ
と思っている人の行動と態度の違いが明らかにされています。
祝福がありますように

++

【癒すことば:箴言】

10:28 神に従う人は待ち望んで喜びを得る。神に逆らう者は期待しても裏切
られる。
10:29 主の道は、無垢な人の力/悪を行う者にとっては滅亡。
10:30 神に従う人はとこしえに揺らぐことなく/神に逆らう者は地に住まい
を得ない。
10:31 神に従う人の口は知恵を生み/暴言をはく舌は断たれる。
10:32 神に従う人の唇は好意に親しみ/神に逆らう者の口は暴言に親しむ。
***
「待ち望んで喜びを得る」ということばが心にストンと落ちてきたような感
じがしました。
イザヤ書には「主を待ち望む者は力を得」という言葉があります。
主の働き、主のタイミング、主の言葉を待ち望みつつ、その日、その日を丁
寧に生きることができれば良いですね。
祝福がありますように。



   関根一夫





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャンメール  投稿日:2012年 3月 5日(月)10時34分59秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.05
ルカによる福音書
◆やもめの息子を生き返らせる
7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大
勢の群衆も一緒であった。
7:12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死ん
で、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が
大勢そばに付き添っていた。
7:13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われ
た。
7:14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止ま
った。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。
7:15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母
親にお返しになった。
7:16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」
と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。
7:17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。
+++
ナインという町での出来事です。そこを通りかかった葬送の集団、一人息子
を失った母親の悲嘆、そしてその母親への「主」の深い同情と憐れみ。とて
も劇的な描写です。イエス様のことを「主は」と書いているのは福音書の中
ではルカだけですが、権威と力を持っている存在としての働きがなされよう
としています。棺に手を触れ、死んでいる若者に「あなたに言う、起きなさ
い」と声をかけると、そのとおりになりました。
この奇跡の背後にあるのは、イエス様の「主」としての権威と、「この母親
を見て、憐れに思い」という深い同情心です。主は、人の死と悲嘆に暮れる
遺族への深い同情心を持っておられるのだということの証となる物語です。
主は、あなたの悲しみ、寂しさ、不条理への憤り、それらすべてを「憐れみ
深く同情してくださっている」のです。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
◆愚かな女
9:13 愚かさという女がいる。騒々しい女だ。浅はかさともいう。何ひとつ知
らない。
9:14 自分の家の門口に座り込んだり/町の高い所に席を構えたりして
9:15 道行く人に呼びかける/自分の道をまっすぐ急ぐ人々に。
9:16 「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」意志の弱い者にはこう言う。
9:17 「盗んだ水は甘く/隠れて食べるパンはうまいものだ。」
9:18 そこに死霊がいることを知る者はない。彼女に招かれた者は深い陰府に
落ちる。
***
「愚かさ」「騒々しさ」「浅はかさ」「恥知らず」それらがもたらす大きな
ダメージに注意しなければなりません。
「愚かさという女がいる」とありますが、間違いなく、それと同じくらい「愚
かさという男もいる」のだろうと思います。ここでは男女の問題ではなく、
前の章でも、「知恵」が「彼女」と訳されていたので「愚かさ」が「女」と
訳されています。
「何も知らない」という言葉は「恥を知らない」とも訳すことが出来るよう
です。
いかにも箴言らしい表現です。
しかし、愚かさ、騒々しさ、浅はかさ、恥知らず、などの要素は常に身近に
あるように思います。
それを避けて通るには、本当に「自覚的に知恵を求める」意識が必要ですね。
祝福がありますように。



   関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャンメール  投稿日:2012年 3月 3日(土)14時58分37秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.03
ルカによる福音書
◆百人隊長の僕をいやす
7:1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファル
ナウムに入られた。
7:2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にか
かっていた。
7:3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにや
って、部下を助けに来てくださるように頼んだ。
7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そう
していただくのにふさわしい人です。
7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」
7:6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど
遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主
よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎え
できるような者ではありません。
7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思い
ました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやして
ください。
7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊が
おり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言え
ば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言
われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの
信仰を見たことがない。」
7:10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になって
いた。
***
「主よ、ご足労には及びません。…ひと言おっしゃってください。そし
て私のしもべを癒してください」という百人隊長の信仰をイエス様はと
ても高く評価なさいました。
それはまさに「権威」とは何なのかを理解している人が持っている確信
でした。
イエス様はすべての事柄について、どんな力も打ち破る力と権威を持っ
ているお方だと彼は信頼していたのです。この百人隊長は、その土地で
評判の高い人だったようですが、彼は自分のことについては謙遜に自分
の家に迎える資格などありませんとイエス様に伝えています。
謙遜にイエス様の権威を認め、信頼しているこの人の中に、私たちの「あ
り方」が教えられているような気がします。
祝福がありますように。
++


【癒す言葉:箴言】
◆格言集
9:7 不遜な者を諭しても侮られるだけだ。神に逆らう者を戒めても自分
が傷を負うだけだ。
9:8 不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。知恵ある人を叱れ、
彼はあなたを愛するであろう。
9:9 知恵ある人に与えれば、彼は知恵を増す。神に従う人に知恵を与え
れば、彼は説得力を増す。
9:10 主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め。
9:11 わたしによって、あなたの命の日々も/その年月も増す。
9:12 あなたに知恵があるなら、それはあなたのもの。不遜であるなら、
その咎は独りで負うのだ。
***
ここには、不遜な人と知恵ある人の二人が登場します。不遜な人を叱っ
ても逆切れされるだけだと作者は言います。この格言では、不遜な人に
は希望がないような感じです。
不遜とは、高慢で神様嫌いな態度が特徴です。もちろん、そうなったの
には理由があるはずですが、何かのきっかけで、主を畏れること、聖な
る方を知り、礼拝出来る日がくればと思いつつ、祈ることで応援できま
す。
同時に不遜とは知ったかぶりをしている人でもあります。知恵や知識を
得たいという願いや学ぶ意欲は常に持ちたいものですね。
祝福がありますように。



            関根一夫





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャンメール  投稿日:2012年 3月 2日(金)15時27分9秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.02
ルカによる福音書
◆家と土台
6:46 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを
行わないのか。
6:47 わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、ど
んな人に似ているかを示そう。
6:48 それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人
に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建
ててあったので、揺り動かすことができなかった。
6:49 しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に
似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひ
どかった。」
***
イエス様に向かって自分が困ったときには「主よ、主よ」と呼びかけな
がら、イエス様のリクエストには全く無関心で、応えようとしない人に
対する厳しい言葉が書かれています。
イエス様の言葉を聞いているのに、それを実行しようとしない人は、土
台なしで家を建てた人と似ているとイエス様は語りました。実行してい
る人は地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人のよう
だとも。外側は同じに見えても、土台が有るのとないのとでは大違いで
す。困難な状況が襲ってきた時の強さが違ってきます。ヨハネによる福
音書などを読むと、イエス様が私たちに実行するように命じていること
の中心は「御言葉に留まること」と「神の愛に留まる」「互いに愛し合
う」というようなことです。それらは、私たちの生活の土台となるもの
です。
聞くだけでも有益ではありますが、それらの教えが心の中に力となって
実行に移せますように。
祝福を心からお祈りします。

++

【癒す言葉:箴言】
◆知恵の勧め
9:1 知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。
9:2 獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え
9:3 はしためを町の高い所に遣わして/呼びかけさせた。
9:4 「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」意志の弱い者にはこう
言った。
9:5 「わたしのパンを食べ/わたしが調合した酒を飲むがよい
9:6 浅はかさを捨て、命を得るために/分別の道を進むために。」
***
7本の柱が何を意味しているのか不明ですが、かなり大きな家であること
は間違いありません。
そこで開かれる宴席に招かれたら、マナーが守られなければならないで
しょうし、ある程度きちんとした態度でいなければならないでしょう。
浅はかな人は、わきまえもなく、ひとりよがりな生き方をしている人の
ことだろうと思います。
知恵が、そういう人に向かって、浅はかさを捨て、同席してマナーを覚
え、知恵ある者として分別ある道に歩むようにと勧めています。
それは、私たちへの招きの声のように聞こえます。失礼、私への招きの
ように聞こえます。
祝福がありますように。


   関根一夫





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャンメール  投稿日:2012年 3月 1日(木)20時02分51秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.03.01
ルカによる福音書
◆実によって木を知る
6:43 「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。
6:44 木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れな
いし、野ばらからぶどうは集められない。
6:45 善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いも
のを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語る
のである。」
***
良い実によってその木がどういう木なのかわかると言われるとドキッとしま
す。また、心の倉に良いものがあれば良いものが出てくるし、悪いものしか
なければ、良いものは出てくるはずはないし、まさに、口から出る言葉がそ
れを表しているとイエス様は語っていますが、これも「うーん」と唸ってし
まいます。
自分の言葉や心を探ってみると、何だか良いものも悪いものもごちゃ混ぜに
なって出てくるような気分になります。心の倉に良いものを満たし、良いも
のを常に出せたらよいのでしょうが、心にふたつの倉があるような気分にな
ってしまうのです。
取り壊す必要があるのは、小さく粗末な良いものの入った倉ではなく、頑丈
な土台を持った悪いものを入れた倉だから始末が悪いのだなと感じます。「主
よ、憐れみたまえ」と繰り返しながら、解体作業をイエス様に頼まなければ
なりません。古い人アダムの体質はそう簡単に改善できそうにありません。
祝福がありますように。



**
【癒す言葉:箴言】
8:22 主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立
って。
8:23 永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。
8:24 わたしは生み出されていた/深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しない
とき。
8:25 山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが/わたしは生み出され
ていた。
8:26 大地も野も、地上の最初の塵も/まだ造られていなかった。
8:27 わたしはそこにいた/主が天をその位置に備え/深淵の面に輪を描いて
境界とされたとき
8:28 主が上から雲に力をもたせ/深淵の源に勢いを与えられたとき
8:29 この原始の海に境界を定め/水が岸を越えないようにし/大地の基を定
められたとき。
8:30 御もとにあって、わたしは巧みな者となり/日々、主を楽しませる者と
なって/絶えず主の御前で楽を奏し
8:31 主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し/人の子らと共に楽しむ。
***
知恵について語られている8章の後半に出てくるこれらの言葉は昔から「キリ
ストの先在」が意識されていると言われてきました。知恵について語られて
いるわけですから、知恵についての言及なのですが、確かにキリストについ
て考えるとぴったり来る部分があるように思います。パウロは「キリストこ
そ神の知恵」と語りました。
確かなことはわかりませんが、「永遠の昔」を思い浮かべてみること自体、
私たちに必要な心の体操なのかもしれません。目先のことだけでいっぱいに
なっているストレスから解放されるためにも。
祝福がありますように。



   関根一夫




 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャンメール  投稿日:2012年 2月29日(水)10時54分58秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.29
ルカによる福音書
◆人を裁くな
6:37 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人
を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められるこ
とがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
6:38 与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、
揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえ
る。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
6:39 イエスはまた、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をするこ
とができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。
6:40 弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を
積めば、その師のようになれる。
6:41 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中
の丸太に気づかないのか。
6:42 自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなた
の目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見
えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」
*****
「裁くな」「赦しなさい」「与えなさい」「十分修業せよ」「まず自分
から正しなさい」など、いわばイエス様による倫理規定のような教えが
並んでいます。
日常生活の中での生き方が示されています。しかし多くの場合、総論賛
成、各論反対という対応になってはいないでしょうか。それほど単純に、
この線で行こうと言えるわけではないのが、こういう倫理的行動規範で
す。良いことがわかっているのですが、難しさもわかります。真剣に「主
よ、助けてください」「主よ、憐れんでください」と祈りつつ、この線
にならう生き方を進めていきたいものです。
祝福がありますように。


++

【癒すことば:箴言】
◆知恵の勧め
8:1 知恵が呼びかけ/英知が声をあげているではないか。
8:2 高い所に登り、道のほとり、四つ角に立ち
8:3 城門の傍ら、町の入り口/城門の通路で呼ばわっている。
8:4 「人よ/あなたたちに向かってわたしは呼びかける。人の子らに向
かってわたしは声をあげる。
8:5 浅はかな者は熟慮することを覚え/愚か者は反省することを覚えよ。
8:6 聞け、わたしは指導者として語る。わたしは唇を開き、公平につい
て述べ
8:7 わたしの口はまことを唱える。わたしの唇は背信を忌むべきことと

8:8 わたしの口の言葉はすべて正しく/よこしまなことも曲がったこと
も含んでいない。
8:9 理解力のある人には/それがすべて正しいと分かる。知識に到達し
た人には/それがすべてまっすぐであると分かる。
8:10 銀よりもむしろ、わたしの諭しを受け入れ/精選された金よりも、
知識を受け入れよ。
8:11 知恵は真珠にまさり/どのような財宝も比べることはできない。
8:12 わたしは知恵。熟慮と共に住まい/知識と慎重さを備えている。
8:13 主を畏れることは、悪を憎むこと。傲慢、驕り、悪の道/暴言をは
く口を、わたしは憎む。
8:14 わたしは勧告し、成功させる。わたしは見分ける力であり、威力を
もつ。
8:15 わたしによって王は君臨し/支配者は正しい掟を定める。
8:16 君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆/わたしによって治める。
8:17 わたしを愛する人をわたしも愛し/わたしを捜し求める人はわたし
を見いだす。
8:18 わたしのもとには富と名誉があり/すぐれた財産と慈善もある。
8:19 わたしの与える実りは/どのような金、純金にもまさり/わたしの
もたらす収穫は/精選された銀にまさる。
***
「知恵が呼びかけ、英知が声をあげている」と書かれていることにとて
も驚かされます。
私たちが知恵を求めるというよりも、むしろ、知恵が私たちに向かって
声をあげているとすれば、知ってほしい、手に入れて欲しい、わかって
ほしいと呼びかけているのでしょうか。
たしかに、勉強すればするほど、知らないことの多さに気付かされます。
知ることの大切さを忘れてはならず、知ることへの意欲を失ってはなら
ないのだと思います。何歳になっても、教えてもらいたいという気持ち
を保持したいものです。
私の部屋にある本も「読んで欲しい」と呼びかけているような気持ちに
なります。
祝福がありますように。
少しずつ、それに答えなきゃなぁと思います。
祝福がありますように。



         関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャンメール  投稿日:2012年 2月27日(月)11時18分47秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.27
ルカによる福音書
◆幸いと不幸
6:20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸
いである、/神の国はあなたがたのものである。
6:21 今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣い
ている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。
6:22 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、
汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
6:23 その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先
祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰
めを受けている。
6:25 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢え
るようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣
くようになる。
6:26 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先
祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
****
ここには「幸いな人」と、「不幸な人」という図式でまとめられているこの
説教は「平地での説教」と言われていて、マタイにある山上の説教と、ちょ
っと違っています。神を信頼して生きる人の祝福は、神を信頼せず世の中の
尺度で生きている人のものとは違うことが明確に語られています。
正しい生き方をしているために、貧しさや飢え、悲しさ、迫害などを経験し
ている人は、天に大きな報いが待っており、いつかきっと報われる日が来る
と教えられています。しかし、反面。今、神を神ともせずに物質的に富んで
おり、満腹しており、笑いと人からの高い評判があり、それだけを人生のす
べてと考えている人たちは不幸だと断定しています。それらのものが価値や
意味を失う日があるからです。
人がなんと言おうが、自分の人生を「神とのかかわり」を視野に入れて生き
ることの大切さが教えられているのです。この世の評価は変化します。耐え
る生き方は経験として有益です。物だけを求めても心は満たされることはあ
りません。現状がどうあれ、そこで静かに「神を思う」心がとても大切なの
だと思います。
祝福がありますように。

***

【癒すことば:箴言】
◆格言集
6:6 怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。
6:7 蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが
6:8 夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。
6:9 怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるの
か。
6:10 しばらく眠り、しばらくまどろみ/しばらく手をこまぬいて、また横に
なる。
6:11 貧乏は盗賊のように/欠乏は盾を持つ者のように襲う。
6:12 ならず者、悪を行う者、曲がったことを言い歩く者
6:13 目くばせし、足で合図し、指さす者
6:14 心に暴言を隠し、悪を耕し/絶えずいさかいを起こさせる者
6:15 このような者には、突然、災いが襲いかかり/たちまち痛手を負うが、
彼を癒す者はない。
6:16 主の憎まれるものが六つある。心からいとわれるものが七つある。
6:17 驕り高ぶる目、うそをつく舌/罪もない人の血を流す手
6:18 悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足
6:19 欺いて発言する者、うそをつく証人/兄弟の間にいさかいを起こさせる
者。
***
まるでイソップの物語のような面白さがある格言が並んでいます。怠け者、
粗暴な者への警告と主が憎まれるものがリストアップされています。何度か
本文を読んで反省し、決意を新たにして今週の活動を始めましょう。
祝福がありますように。





              関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月25日(土)13時00分25秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.25
ルカによる福音書
◆おびただしい病人をいやす
6:17 イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢
の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティル
スやシドンの海岸地方から、
6:18 イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。
汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。
6:19 群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、
すべての人の病気をいやしていたからである。
***
この箇所のあとに、ルカはマタイの中に書かれている「山上の説教」と似て
いる内容を書いています。ルカの場合、イエス様は山上ではなく、平地で語
っているのです。
イエス様のところに、いろいろな場所から人々が押し寄せてきています。教
えを聞こうとする人、病気を癒して欲しいとやってくる人、汚れた霊につか
れている人もいました。病気を持っている場合には、とにかく、イエス様に
触れようとして近づいてきました。実際の場面を想像すると、何か怖い感じ
さえしますね。
これだけの人が一気に一人の人をめがけて、押し寄せてくるわけですから。
そして、彼らは実際に癒されたのです。
今でも人々の心はイエス様に向かって助けを求めたいのかもしれません。
聖書の言葉を通してイエス様に出会えますように。
祝福がありますように。


***

【癒す言葉:箴言】

◆父の諭し
6:1 わが子よ、もし友人の保証人となって/他国の者に手を打って誓い
6:2 あなたの口の言葉によって罠に陥り/あなたの口の言葉によって罠にか
かったなら
6:3 わが子よ、そのときにはこうして自分を救え。命は友人の手中にあるの
だから/行って足を踏みならし、友人を責め立てよ。
6:4 あなたの目に眠りを与えず/まぶたにまどろむことを許すな。
6:5 狩人の罠を逃れるかもしかのように/鳥のように、自分を救い出せ。
****
友人の保証人になるということについての警告の言葉です。
それによって罠に陥るようなことがあったら、必死になって友人と談判し、
必死になって自分を救い出す手段を考えるようにというのです。
こういうことが起こって欲しくはないですが、保証人になって財産を失った
という情報を時々耳にします。
善意からの受諾だったのでしょうが、本当に難しい問題です。
良かれと思ったのに、仇になってしまう、そういう人生は辛いですね。
慎重にならなければいけないときが、ありますね。
祝福がありますように。



    関根一夫





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月24日(金)14時10分21秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.24
ルカによる福音書
◆十二人を選ぶ
6:12 そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。
6:13 朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付
けられた。
6:14 それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そ
して、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、
6:15 マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、
6:16 ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダであ
る。
***
12使徒と呼ばれる集団がイエス様によって、形成されました。彼らには二つ
の名前があり、それは彼らの使命でもありました。ひとつは「弟子」これは
「学び続ける者」という意味です。それと「使徒」これは「特別な使命のた
めに遣わされた者」という意味があります。彼ら12人は、ほかの弟子たちの
中から選ばれて、イエス様の教える福音を携え、それを伝えることのために
派遣されるべき人たちとされました。つまり、彼らは常にイエス様から学び
続ける人たちであり、また、派遣されて宣教者としての役目を果たすべき人
たちでした。
この図式は現在の教会の状況に重ねてみると、「弟子たち」が、いわばクリ
スチャンと呼ばれている信徒の方々で、「使徒」は役割的には、「牧師」「伝
道者」ということになるのかもしれません。
とすれば、クリスチャンは、弟子としてイエス様から学び続ける必要があり
ます。聖書を読んだり考えたり、教えられたり、生き方を考えたり、悩んだ
りすることは弟子にとって必須です。また、もし牧師が使徒的な意味を持っ
ているとすれば、「遣わされた者」としての自覚をもって、それぞれの遣わ
された場所で、その使命を果たさなければなりません。実はイエス様ご自身
が「神に遣わされた者」としてやってきてその生き方を示してくださいまし
た。それは貧しく苦難の道、十字架への道でした。「遣わされた者」は、喜
ばしい知らせを告知するのが役目ですが、その道は決して「楽」でも、「簡
単」でもなく、常に「自己犠牲的精神」と「キリストの心を深く知ること、
それを生きること」が求められています。
振り返って、私は、そんな生き方が出来ているとは思えず、失格者のような
気分になることがあります。それでも、神様の恵みを受けつつ、務めを全う
しようという心はまだ失せていないので、嬉しく感じています。私は「生き
ているときも死ぬときも、神の所有となった一人の男」として自分を考え、
役割を丁寧に果たしたいと願いつつ生きています。12人が使徒として選ばれ
たという場面なので、私のことは、どうでもよいのですが…。余計なことを
書きました。
祝福がありますように。

***

【癒す言葉:箴言】
◆父の諭し
5:1 わが子よ、わたしの知恵に耳を傾け/わたしの英知に耳を向けよ。
5:2 そうすれば、あなたは唇に慎みを守り/知識を保つことができる。
5:3 よその女の唇は蜜を滴らせ/その口は油よりも滑らかだ。
5:4 だがやがて、苦よもぎよりも苦くなり/両刃の剣のように鋭くなる。
5:5 彼女の足は死へ下って行き/一歩一歩と、陰府に達する。
5:6 人生の道のりを計ろうともせず/自分の道から外れても、知ることもな
い。
5:7 それゆえ、子らよ、わたしに聞き従え。わたしの口の言葉からそれては
ならない。
5:8 あなたの道を彼女から遠ざけよ。その門口に近寄るな。
5:9 あなたの栄えを他人に/長寿を残酷なものに渡してはならない。
5:10 よその者があなたの力に飽き足りることを許すな。異邦人の家を/あな
たが労した実りで満たしてはならない。

5:22 主に逆らう者は自分の悪の罠にかかり/自分の罪の綱が彼を捕える。
5:23 諭しを受け入れることもなく/重なる愚行に狂ったまま、死ぬであろう。
****
まずは、しっかり自分の父の言うことを聞き、その知恵をしっかり手に入れ
ることで人生を確立するようにと訴えています。異邦の民から自分たちを守
るためにも、ふらふらとそちらのとりこになってしまわないためにも、自分
たち固有の文化や知恵をしっかり守り、それを保持するようにという教えが
ここにはあります。どちらかといえば、とても民族主義的な、排他的とも感
じられる文章です。しかし、この精神があったからこそ、彼らは固有の文化
を形成し、団結力の強い集団として生き延びることができたのでしょうね。
祝福がありますように。



            関根一夫





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月23日(木)22時01分4秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.23
ルカによる福音書
◆手の萎えた人をいやす
6:6 また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに
一人の人がいて、その右手が萎えていた。
6:7 律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、
イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。
6:8 イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、「立って、真ん中に
出なさい」と言われた。その人は身を起こして立った。
6:9 そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で
許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅
ぼすことか。」
6:10 そして、彼ら一同を見回して、その人に、「手を伸ばしなさい」と言わ
れた。言われたようにすると、手は元どおりになった。
6:11 ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。
***
この記事も安息日の出来事です。安息日には禁止条項がたくさんありました。
旧約聖書に記されている「安息日を聖なる日とすること」という命令と、学
者たちが作り出した規定や掟に反論することもできず、伝統として重くのし
かかっていたのです。神様の心はどこにあるのか、考えたくても、それが許
されないのが安息日の規定でした。会堂で教えておられたイエス様は重大な
質問を投げかけました。
6:9 そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で
許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅
ぼすことか。」
そして、手の不自由な人を癒しました。そこにこそ、神様の心があるのだと、
この奇跡的な癒しを通してイエス様は教えたのです。
しかし、それは禁止条項のみにこだわって教えてきた律法学者にとっては、
屈辱的な出来事だったようです。彼らは怒り狂い、イエス様を何とかしよう
と話し合っています。つまり、どう殺そうかと相談しているのです。律法学
者たちの神様理解、律法理解と、イエス様のそれとが大きく違っていること
が明確になってきました。しかし、その違いは、伝統的なユダヤ教とイエス
様の教えの違いとも言えるものでした。
その違いは、もっと対立が深くなっていきます。
今日も、お元気にお過ごしください。

++
【癒す言葉:箴言】
◆父の諭し
3:21 わが子よ、力と慎重さを保って/見失うことのないようにせよ。
3:22 そうすれば、あなたは魂に命を得/首には優雅な飾りを得るであろう。
3:23 あなたは確かな道を行き/足はつまずくことがない。
3:24 横たわるとき、恐れることはなく/横たわれば、快い眠りが訪れる。
3:25 突然襲う恐怖、神に逆らう者を見舞う破滅に/おびえてはならない。
3:26 主があなたの傍らにいまし/足が罠にかからないように守ってくださる。
3:27 施すべき相手に善行を拒むな/あなたの手にその力があるなら。
3:28 出直してくれ、明日あげよう、と友に言うな/あなたが今持っているな
ら。
3:29 友に対して悪意を耕すな/彼は安心してあなたのもとに住んでいるのだ。
3:30 理由もなく他人と争うな/あなたに悪事をはたらいていないなら。
3:31 不法を行う者をうらやむな、その道を選ぶな。
3:32 主は曲がった者をいとい/まっすぐな人と交わってくださる。
3:33 主に逆らう者の家には主の呪いが/主に従う人の住みかには祝福がある。
3:34 主は不遜な者を嘲り/へりくだる人に恵みを賜る。
3:35 知恵ある人は名誉を嗣業として受け/愚か者は軽蔑を受ける。
***
こういう教訓を語れる父親は素晴らしいですよね。
私は父親の礼拝説教を聞いて育ちましたので、似たような内容をいつも話し
てもらっていたことになります。ただ、私の場合は、聞く側の私の中に、理
解不足や居眠りが多かったので、せっかくのメッセージが心に届く前に家を
離れてしまったような気がします。
しかし、それはそれとして、こういう文章を日々、自分の目で読むことがで
き、考えることができるのは幸いなことだと思います。心はいつも、ふらふ
らしているような気がするのですが、でも、こういう教訓を読むと、そうだ
よなぁと感じます。その「反応」が大事なのだろうなと思います。
「わかってるよ、こんなこと」と軽くあしらうことをせず、「いまさら、こ
んなことを言われても、もう遅いような気がする」と言わずに、初めて聞い
たような気持ちで心に言葉を置く作業がとても大事なのだと思います。今朝
の箴言の言葉をもう一度しっかり読み返して、今日をはじめたいと思います。
幸せな日になりますように。



     関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月22日(水)12時29分53秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.22
ルカによる福音書
◆安息日に麦の穂を摘む
6:1 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を
摘み、手でもんで食べた。
6:2 ファリサイ派のある人々が、「なぜ、安息日にしてはならないことを、
あなたたちはするのか」と言った。
6:3 イエスはお答えになった。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったと
きに何をしたか、読んだことがないのか。
6:4 神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパン
を取って食べ、供の者たちにも与えたではないか。」
6:5 そして、彼らに言われた。「人の子は安息日の主である。」
***
当時のイスラエルでは、安息日に関する様々な規定が一般社会の中に浸透し、
禁止条項が数多くありました。この箇所での問題は、ユダヤ教の39種類の安
息日の禁止労働の逸脱にあたると批判されているのです。つまり、「穂を摘
み、手で揉んで」という出来事が脱穀と理解され、批判されているのです。
しかし、イエス様はダビデ王の事例を取り上げ、神の心は「人を生かず」と
いうことに向けられていることを示しました。そして、「人の子は安息日の
主である」と宣言されました。
安息日に何をしてよいのか、その心を一番理解しており、そのOKを判定する
のは、「この私」なのだという宣言です。神から遣わされた御子としての宣
言です。
宗教指導者たちとの対立が明確になってきています。
今日も主の善き力に支えられて、すばらしい一日になりますように。


++
【癒す言葉:箴言】
◆知恵の勧め
3:13 いかに幸いなことか/知恵に到達した人、英知を獲得した人は。
3:14 知恵によって得るものは/銀によって得るものにまさり/彼女によって
収穫するものは金にまさる。
3:15 真珠よりも貴く/どのような財宝も比べることはできない。
3:16 右の手には長寿を/左の手には富と名誉を持っている。
3:17 彼女の道は喜ばしく/平和のうちにたどって行くことができる。
3:18 彼女をとらえる人には、命の木となり/保つ人は幸いを得る。
3:19 主の知恵によって地の基は据えられ/主の英知によって天は設けられた。
3:20 主の知識によって深淵は分かたれ/雲は滴って露を置く。
***
日本語的には「知恵」は「彼女」という訳よりも、「それ」だったり、「そ
れら」だったりすることのほうが多いように思いますが、新共同訳聖書は「彼
女」を採用しています。
それはそれとして、「知恵の重要性」「知恵の効用」が昔から語られている
のですね。
主を畏れることから始まり、知恵を得るための努力はやはり基本として重要
なものとして掲げられています。
箴言は「怠け者」には厳しいんですよね。そのうえ、知恵に到達するとか、
英知を獲得するとは凡人には無理な感じさえします。でも、だからこそ、聖
霊が様々な知恵を与えてくださるという慰めの言葉が新約聖書に出てくるの
かもしれません。
聖書を少しずつ読み続けるということで、得られる知恵もたくさんあるはず
なので、がっかりせずに継続するしかないですね。学生諸君はますます読書
に励んでください。そして、時間のある読者の皆さんも、ぜひ、読書など知
恵を吸収する時間を取ってくださいね。
祝福がありますように。



            関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャンメール  投稿日:2012年 2月21日(火)16時08分45秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.21
ルカによる福音書
◆断食についての問答
5:33 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、
ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子た
ちは飲んだり食べたりしています。」
5:34 そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食
させることがあなたがたにできようか。
5:35 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食するこ
とになる。」
5:36 そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを
破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新し
い服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろ
う。
5:37 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんな
ことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
5:38 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
5:39 また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古
いものの方がよい』と言うのである。」
****
イエス様の弟子たちに対する接し方や指導法は他の宗教家のやり方とは違っ
ていました。他の人の弟子たちはよく断食をしていたのに、イエス様の弟子
たちは、本当によく食べたり、飲んだりしていたようです。イエス様は、そ
れについて、花婿が一緒にいるのに婚礼の客に断食などさせる人はいないと
説明しました。
さらに、イエス様は、「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。」
と語り、神からの新しいメッセージは、それまでの既成の方法ではなく、む
しろ新しい心と新しい方法によって受け止めなければ受け止めきれないのだ
と語りました。古い形態の宗教観や救いの概念ではイエス様がもたらそうと
している恵みの福音を把握することができないのです。
イエス様の福音は、これまで実行されたことがないほど重要な出来事をとお
してもたらされる恵みの福音なのです。それはまさに、新しいぶどう酒なの
です。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
◆父の諭し
3:1 わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。
3:2 そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し/平和が与えられるであろう。
3:3 慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。それらを首に結び/心
の中の板に書き記すがよい。
3:4 そうすれば、神と人の目に/好意を得、成功するであろう。
3:5 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
3:6 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をま
っすぐにしてくださる。
3:7 自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。
3:8 そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり/あなたの骨は潤されるであろ
う。
3:9 それぞれの収穫物の初物をささげ/豊かに持っている中からささげて主
を敬え。
3:10 そうすれば、主はあなたの倉に穀物を満たし/搾り場に新しい酒を溢れ
させてくださる。
3:11 わが子よ、主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな。
3:12 かわいい息子を懲らしめる父のように/主は愛する者を懲らしめられる。
***
愛と威厳に満ちた父の諭しは、何度も読んで心にしっかり納めるべき教訓に
あふれています。
「慈しみとまこと」「主への信頼」「主への献納物」「主からの戒めや懲ら
しめ」を大切なものとして生きるべきことが語られています。それは時代や
国境を越えて、伝えられるべき教訓なのだと思います。
今日、心を開いて、この教訓を読み、その線に沿って歩めるようにお祈りし
ましょう。
祝福がありますように。






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月20日(月)17時15分39秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.20
ルカによる福音書
◆レビを弟子にする
5:27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っている
のを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
5:28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
5:29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税
人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。
5:30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟
子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだ
り食べたりするのか。」
5:31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく
病人である。
5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改
めさせるためである。」
***
マタイによる福音書ではこの「レビ」という徴税人がマタイとなっています。
一般的には同一人物であろうとされていますが、ルカにはその説明はありま
せん。学ぶべきは、名前のことよりも、この徴税人のイエス様の呼びかけに
対する態度です。税金をローマ帝国や横暴な国家権力から請け負って徴収す
る仕事は、当時のユダヤの社会では軽蔑された職業でしたが、これは世襲制
だったようで自分で勝手に断ち切れるものではありませんでした。もしかす
ると、だからこそ、イエス様が呼びかけてくださったことが本当に嬉しかっ
たのかもしれません。誰からも相手にしてもらえなかった背景がありました
から。
そして、彼は自分の家で大宴会を催します。そういう様子を苦々しい思いで
見ていたのが、厳格でまじめなファリサイ派の人たちでした。イエス様の弟
子たちにクレームをつけています。イエス様は有名な言葉で反論しました。
「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改
めさせるためである。」
正しい人の側に自分を置くか、罪びとの側に自分を置くかによって、イエス
様との関わり方が変わってきます。聖書を読みながらいつの間にか、正しい
人の立場に立ってしまってはいませんか。
それって、ここに出てくる宗教指導者の立場と似ています。
ちょっとまずいかもしれませんね。
祝福がありますように。


+++

【癒す言葉:箴言】

◆父の諭し
2:1 わが子よ/わたしの言葉を受け入れ、戒めを大切にして
2:2 知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら
2:3 分別に呼びかけ、英知に向かって声をあげるなら
2:4 銀を求めるようにそれを尋ね/宝物を求めるようにそれを捜すなら
2:5 あなたは主を畏れることを悟り/神を知ることに到達するであろう。
2:6 知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える。
2:7 主は正しい人のために力を/完全な道を歩く人のために盾を備えて
2:8 裁きの道を守り/主の慈しみに生きる人の道を見守ってくださる。
2:9 また、あなたは悟るであろう/正義と裁きと公平はすべて幸いに導く、
と。
2:10 知恵があなたの心を訪れ、知識が魂の喜びとなり
2:11 慎重さがあなたを保ち、英知が守ってくれるので
2:12 あなたは悪い道から救い出され/暴言をはく者を免れることができる。
2:13 彼らはまっすぐな道を捨て去り、闇の道を歩き
2:14 悪を働くことを楽しみとし/悪と暴言に小躍りする者。
2:15 彼らの道筋は曲がり、通う道はくねっている。
2:16 また、よその女、滑らかに話す異邦の女をも/あなたは免れることがで
きる。
2:17 若き日の伴侶を捨て/自分の神との契約を忘れた女を。
2:18 彼女の家は死へ落ち込んで行き/その道は死霊の国へ向かっている。
2:19 彼女のもとに行く者はだれも戻って来ない。命の道に帰りつくことはで
きない。
2:20 こうして/あなたは善人の道を行き/神に従う人の道を守ることができ
よう。
2:21 正しい人は地に住まいを得/無垢な人はそこに永らえる。
2:22 神に逆らう者は地から断たれ/欺く者はそこから引き抜かれる。
****
この章には祝福と災いの両方が明記されています。私たちの前には二つの道
があり、祝福か災いかに分かれているような書かれ方です。実際は、よい道
と思われる中にも落とし穴があり、悪い道の中にもやがて救出の喜びを知る
きっかけがあったりするので、人生はそれほど単純なものではありません。
しかし、そんなことを言うのは、歳のすすんだへそ曲がりの親父の言うこと
で、この箇所での父親はしっかり原則論を叩き込もうとしています。まずは、
こういう原則を「確かにそうですね」といえる息子を育てることが大事なわ
けです。それができてこそ、家庭における平和が訪れるのかもしれません。
まずは、こういう原則をアーメンと言える心を神様からいただきましょう。
祝福がありますように。




   関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月18日(土)21時34分2秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.18
ルカによる福音書
◆中風の人をいやす
5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法
の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての
村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気を
いやしておられた。
5:18 すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中
に入れてイエスの前に置こうとした。
5:19 しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根
に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろ
した。
5:20 イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と
言われた。
5:21 ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。
「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦
すことができるだろうか。」
5:22 イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考え
ているのか。
5:23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、ど
ちらが易しいか。
5:24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、
中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りな
さい」と言われた。
5:25 その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛
美しながら家に帰って行った。
5:26 人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今
日、驚くべきことを見た」と言った。
***
「病気の癒し」が「罪の赦し」との関連で語られています。病気も罪も「重
荷」であり「意欲的に生きることを妨げる力」です。イエス様は、そのどち
らからも解放をもたらすお方として紹介されています。同時に、罪によって
もたらされた病気があるとすれば、「癒し」をもたらすことによって「赦し」
の宣言をしていることになります。病気が癒されたことで、心が軽くなり、
罪が赦されたのと同じ意識を経験しているのです。
癒しも赦しも、本来は「神のなさるわざ」であり「神の憐れみによってもた
らされる祝福」ですが、イエス様はそれをここで示し、ご自分が神から遣わ
された救い主であることを表明しています。
イエス様のもたらす癒しや奇跡は、決してイエス様ご自身を褒めさせるため
ではありませんでした。その病人も仲間も見物人も「神を賛美して」います。
まさに、これこそがイエス様の大きな使命のひとつでした。祝福があります
ように。

+++

【癒す言葉:箴言】
◆知恵の勧め
1:20 知恵は巷に呼ばわり/広場に声をあげる。
1:21 雑踏の街角で呼びかけ/城門の脇の通路で語りかける。
1:22 「いつまで/浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち/不遜な者は
不遜であることを好み/愚か者は知ることをいとうのか。
1:23 立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら/見よ、わたしの霊を
あなたたちに注ぎ/わたしの言葉を示そう。
1:24 しかし、わたしが呼びかけても拒み/手を伸べても意に介せず
1:25 わたしの勧めをことごとくなおざりにし/懲らしめを受け入れないなら
1:26 あなたたちが災いに遭うとき、わたしは笑い/恐怖に襲われるとき、嘲
笑うであろう。
1:27 恐怖が嵐のように襲い/災いがつむじ風のように起こり/苦難と苦悩が
あなたたちを襲うとき。」
1:28 そのときになって/彼らがわたしを呼んでもわたしは答えず/捜し求め
ても/わたしを見いだすことはできない。
1:29 彼らは知ることをいとい/主を畏れることを選ばず
1:30 わたしの勧めに従わず/懲らしめをすべてないがしろにした。
1:31 だから、自分たちの道が結んだ実を食べ/自分たちの意見に飽き足りる
がよい。
1:32 浅はかな者は座して死に至り/愚か者は無為の内に滅びる。
1:33 わたしに聞き従う人は確かな住まいを得/災難を恐れることなく平穏に
暮らす。
****
人生の中で、大事なことを「考えたり、実行したり、求めたり」すべきタイ
ミングがあるようです。箴言ではc「主を畏れることは知恵の初め」と語って
いますので、まずは、それをしっかり自分の心に育てる時間をとる必要があ
るわけです。そのチャンスは何度もあり、立ち返るチャンスも必ずあるので
すが、拒み続け、怠惰になって学ぶこともしないなら、やがて、災いがもた
らされることになり、何も手を打てないままになってしまうと警告していま
す。どんなことにも、ある種の準備が必要なのです。人生が旅だとすれば、
旅のための準備が必要なわけですね。神を畏れ、みことばを心に蓄え、思い
巡らすことは、大事な準備のひとつです。
祝福がありますように


   関根一夫





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月17日(金)21時56分59秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.17
ルカによる福音書
◆重い皮膚病を患っている人をいやす
5:12 イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人
がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清
くすることがおできになります」と願った。
5:13 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言わ
れると、たちまち重い皮膚病は去った。
5:14 イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、
行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に
証明しなさい。」
5:15 しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教え
を聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。
5:16 だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。
***
イエス様は病を癒すことを中心に活動しているのですが、この箇所では、そ
の効果について言いふらしてはいけないと言明しています。しかし、癒され
た人は、それを守れず、人がどんどん集まってきてしまうのです。実は、そ
うなってしまうと、イエス様が最終的になさろうとしていた出来事が妨げら
れてしまう可能性がありました。イエス様は単なる医者としてこの地上にこ
られたわけではありませんでした。癒しはイエス様の重要な働きのひとつで
あり、父なる神様の心でもあるのですが、それは、イエス様の最終的な使命
ではありませんでした。有名になり、人が集まることも大事なことではあり
ましたが、それがイエス様の目的ではありませんでした。ですから、まるで
無関心を装うようにイエス様は人里はなれたところで祈っているという姿が
印象的に書かれています。十字架こそ、イエス様の目指した道であり、そこ
では人に見捨てられることをイエス様は知っておられたのです。
癒しや奇跡を求める騒々しい追っかけ集団の存在と、十字架への道を備える
イエス様の孤独な祈り。
イエス様は、こびることをせず、しかし、恵みとまことを示しつつ、淡々と
自分の道を進みました。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
◆父の諭し
1:8 わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。
1:9 それらは頭に戴く優雅な冠/首にかける飾りとなる。
1:10 わが子よ/ならず者があなたを誘惑しても/くみしてはならない。
1:11 彼らはこう言うだろう。「一緒に来い。待ち伏せして、血を流してやろ
う。罪もない者をだれかれかまわず隠れて待ち
1:12 陰府のように、生きながらひと呑みにし/丸呑みにして、墓穴に沈めて
やろう。
1:13 金目の物は何ひとつ見落とさず/奪った物で家をいっぱいにしよう。
1:14 我々と運命を共にせよ。財布もひとつにしようではないか。」
1:15 わが子よ/彼らの道を共に歩いてはならない。その道に足を踏み入れる
な。
1:16 彼らの足は悪事に向かって走り/流血をたくらんで急ぐ。
1:17 翼あるものは見ている。網を仕掛けるのは徒労だ。
1:18 待ち伏せて流すのは自分の血。隠れて待っても、落とすのは自分の命。
1:19 これが不当な利益を求める者の末路。奪われるのは自分の命だ。
****
年代によって、また住んでいる社会によって、もしかすれば教育内容によっ
て、何を「素敵!」「かっこいい!」と思うのかずいぶん違います。箴言で
は、「ならず者」集団の乱暴な立ち居振る舞いを「かっこいい」と思うな!
と忠告しています。最終的には自分のいのちを粗末にするだけだと諭してい
ます。
それがわかるのに、ずいぶん時間がかかるんですよね。
「自分だけは彼らと同じ末路をたどることなど絶対にない」と若者の多くは
考えていますから。何の根拠もないのですが、一途にそれを信じているので
す。だれにでもそういう時期はあるのかもしれません。
若いうちから、箴言のこういう言葉を知っているのは幸いなことだと思いま
す。
祝福がありますように。
関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月16日(木)10時26分59秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.16
◆漁師を弟子にする
5:1 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、
群衆がその周りに押し寄せて来た。
5:2 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟か
ら上がって網を洗っていた。
5:3 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸か
ら少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に
教え始められた。
5:4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしな
さい」と言われた。
5:5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれま
せんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
5:6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網
が破れそうになった。
5:7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれる
ように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈
みそうになった。
5:8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、
わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
5:9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。
5:10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、
イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間
をとる漁師になる。」
5:11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
*****
ゲネサレト湖とは、ガリラヤ湖の別名です。漁を終えた舟を借りて、そこか
ら説教をし、それが終わったイエス様は、沖に漕ぎ出して漁をするようにと
お命じになりました。漁師シモンは、夜通し苦労したけれど何もとれなかっ
たのだから無理ですと反論しつつ、ま、あなたがおっしゃるならやってみま
しょうと網を降ろすとおびただしい魚がかかり、舟が沈みそうになるほどで
した。ペトロは驚き、イエス様の足元にひれ伏して、「私から離れてくださ
い。私は罪深いものなのです」と告白します。ペトロはイエス様の中に「神
的威厳」のようなものを感じたのでしょう。他の仲間も同様でした。すると
イエス様は彼らに「恐れることはない」と諭し、「今から後、あなたは人間
をとる漁師になる」と告げました。「人間をとる漁師」とは、神のために、
人々を集める役目を担う存在であり、終末論的な意味合いの深い役割として
理解されていたようです。
それは、神様のためにいなくなった羊を探したり、神様のために大量の魚を
献上するような意識と共通していたのかもしれません。彼らにとっては理解
可能で、やりがいを感じる仕事でした。さっさとイエス様についていってし
まいます。この決断の早さは、今の私たちには理解しにくいものですよね。
どういう話になっていくのでしょう。
お楽しみに。

***

【癒す言葉:箴言】
◆序
1:1 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
1:2 これは知恵と諭しをわきまえ/分別ある言葉を理解するため
1:3 諭しを受け入れて/正義と裁きと公平に目覚めるため。
1:4 未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与えるため。
1:5 これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え/聡明な人も指導力を増す
であろう。
1:6 また、格言、寓話/賢人らの言葉と謎を理解するため。
1:7 主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。
****
箴言の書かれた背景と意味が書かれています。これを読む事で「知恵と諭し
をわきまえ、分別ある言葉を理解し、説得力や指導力を増すため、そして賢
人たちの言葉を理解することができるためとあります。なんだかとても役に
立ちそうですね。ゆっくり読んでいきましょう。
そして、箴言の土台となっている宣言がこれです。
「1:7 主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」
知恵も諭しも侮る無知な人は、しかし、独善的に物事を断定し、単に思いつ
きで言いたい事を言うのが得意です。あ、これは私自身なのですが…。
しっかり、主を畏れるということを考えながら箴言を読んでいきたいと思い
ます。
祝福がありますように。



   関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月15日(水)23時27分39秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.14
ルカによる福音書
◆巡回して宣教する
4:42 朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜
し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しき
りに引き止めた。
4:43 しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせ
なければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」
4:44 そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。
****
イエス様の初期の宣教活動の中心はユダヤ教の会堂でした。つまりユダヤ教
の関係者たちはイエス様のことをユダヤ教の一派と考えていました。ある学
者によれば、そもそもイエス様はキリスト教を始めるつもりなどなかったの
ではないかという説もあるほどです。しかし、途中からユダヤ教指導者たち
からの迫害が厳しくなり、別行動せざるを得なくなっていきます。この箇所
では、ユダヤ教の会堂で説教できている様子が伺えます。そして、イエス様
の説教のメインテーマは「神の国の福音」でした。「神による支配を信じ、
その神に立ち返り、心から礼拝することを勧める説教です。それは今の私た
ちにも求められているイエス様の教えでもあります。
祝福がありますように。


***

【今日の詩編】
[ 150 ]
150:1 ハレルヤ。聖所で神を賛美せよ。大空の砦で神を賛美せよ。
150:2 力強い御業のゆえに神を賛美せよ。大きな御力のゆえに神を賛美せよ。
150:3 角笛を吹いて神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて神を賛美せよ。
150:4 太鼓に合わせて踊りながら神を賛美せよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて
神を賛美せよ。
150:5 シンバルを鳴らし神を賛美せよ。シンバルを響かせて神を賛美せよ。
150:6 息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。
***
賛美への勧めで詩編が終わります。私の友人が責任を持っている英語礼拝で
は、この詩編を毎週唱えています。そうすることで、何をしに集まっている
かを自覚し、同時に礼拝者としての自覚をしっかり心に持つことができるよ
うになるためです。
詩編の1編はみことばを思い巡らすことの大切さが語られていました。詩編の
最後は賛美で終わっています。み言葉を心に留め、賛美しながら生きること
の大切さが何千年もの間教えられているのです。それによって、どれだけの
効果があるのか、どれだけ人が変わるのか、わかりませんが、個人のレベル
においては、間違いなく何かが変わっていくように思います。心の軸ができ
るように思うからです。
これからも、ずっと御言葉を求めつつ、賛美をしながら生きる旅人として歩
みを継続していきましょう。
詩編が始まって、150日間、始まれば終わるものですね。
祝福がありますように。(詩編了)


    関根一夫




 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月14日(火)23時41分59秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.14
ルカによる福音書
◆多くの病人をいやす
4:38 イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅ
うとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。
4:39 イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐ
に起き上がって一同をもてなした。
4:40 日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人た
ちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやさ
れた。
4:41 悪霊もわめき立て、「お前は神の子だ」と言いながら、多くの人々から
出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかっ
た。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。
***
イエス様の中心的な活動は、病人を癒すことでした。シモンのしゅうとめの
高熱を癒し、大勢の人たちをひとりひとり癒している姿が描かれています。
病人の癒しは、「罪の赦し」や「イエス様の霊的な権威」と深いかかわりを
意識しながら書かれています。病気は、親や自分の罪と関連性があると言わ
れ、悪霊の力に負けてしまっていると考えられていた「病める人」への希望
の光が見えてきます。病気に苦しむひとりひとりに手を置いて癒しておられ
る姿は、神が個人個人を大切な存在として接していることを示しているよう
です。
祝福がありますように。

***

【今日の詩編】
*****
[ 149 ]
149:1 ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集
いで賛美の歌をうたえ。
149:2 イスラエルはその造り主によって喜び祝い/シオンの子らはその王に
よって喜び躍れ。
149:3 踊りをささげて御名を賛美し/太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。
149:4 主は御自分の民を喜び/貧しい人を救いの輝きで装われる。
149:5 主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み/伏していても喜びの
声をあげる。
149:6 口には神をあがめる歌があり/手には両刃の剣を持つ。
149:7 国々に報復し/諸国の民を懲らしめ
149:8 王たちを鎖につなぎ/君侯に鉄の枷をはめ
149:9 定められた裁きをする。これは、主の慈しみに生きる人の光栄。ハレ
ルヤ。
***
神が望まれる人の生き方は「主の慈しみに生きる人」という呼ばれ方がして
います。主の慈しみを知り、主の慈しみを自分生き方の土台に据え、慈しみ
の心を自分の中で育てながら生きる人のことです。
「神への賛美」は、神の慈しみを知れば知るほど、湧き上がってくるものな
のかもしれません。
祝福がありますように。



       関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月11日(土)20時53分37秒
返信・引用
  ***
今日の聖句
2012,02,11
ルカによる福音書
◆ナザレで受け入れられない
4:16 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に
入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
4:17 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある
個所が目に留まった。
4:18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるため
に、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、
/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧
迫されている人を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げるためである。」
4:20 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべて
の人の目がイエスに注がれていた。
4:21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたと
き、実現した」と話し始められた。
4:22 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「こ
の人はヨセフの子ではないか。」
4:23 イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治
せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと
聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」
4:24 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では
歓迎されないものだ。
4:25 確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その
地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、
4:26 エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプ
タのやもめのもとにだけ遣わされた。
4:27 また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患ってい
る人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」
4:28 これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、
4:29 総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖ま
で連れて行き、突き落とそうとした。
4:30 しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
****
イエス様の会堂における「宣教宣言」が表明されています。イエス様が何を
しようとしておられるのか、よくわかります。イザヤ書の預言の成就として
ご自分がそこに立っていること、主の恵みを告げ知らせるためにこそ、そこ
にいることを宣言しています。しかし、ナザレの人々はそれを信用しません
でした。「あの大工のせがれに何ができるものか」という意識があったので
す。彼らは自分たちの不信仰を指摘されると憤慨し、イエス様を殺そうとさ
えしています。
イエス様の活動は私たちが考えるほど、順調なものではありませんでした。
しかし、イエス様は「まっすぐ」に使命を果たすべく、進まれました。
祝福がありますように。

**

【今日の詩編】
[ 147 ]
147:1 ハレルヤ。わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく/神への賛
美はいかに美しく快いことか。
147:2 主はエルサレムを再建し/イスラエルの追いやられた人々を集めてく
ださる。
147:3 打ち砕かれた心の人々を癒し/その傷を包んでくださる。
147:4 主は星に数を定め/それぞれに呼び名をお与えになる。
147:5 わたしたちの主は大いなる方、御力は強く/英知の御業は数知れない。
147:6 主は貧しい人々を励まし/逆らう者を地に倒される。
147:7 感謝の献げ物をささげて主に歌え。竪琴に合わせてわたしたちの神に
ほめ歌をうたえ。
147:8 主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え/山々に草を芽生えさせら
れる。
147:9 獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば/食べ物をお与えになる。
147:10 主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく/人の足の速さを望まれるの
でもない。
147:11 主が望まれるのは主を畏れる人/主の慈しみを待ち望む人。
147:12 エルサレムよ、主をほめたたえよ/シオンよ、あなたの神を賛美せよ。
**
礼拝への勧め、賛美への奨励がここにあります。主が望まれるのは「主を畏
れる人」「主の慈しみを待ち望む人」とあります。これはいつの時代でも変
わらない神様の私たちへの期待です。
礼拝者をこそ、神は求めておられます。
明日の礼拝、楽しみですね。どこにいても、心を低くして、主を礼拝できる
と良いですね。どうぞ、こころいっぱい「God Bless You」を歌ってください。
祝福がありますように。



   関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月10日(金)12時48分7秒
返信・引用
  今日の聖句
2012,02,10
ルカによる福音書
◆ガリラヤで伝道を始める
4:14 イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地
方一帯に広まった。
4:15 イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
***
荒野での悪魔による試練のあと、イエス様は霊に満ち、ガリラヤに帰り、そ
こで評判の高い教師として注目を浴び始めました。
実は、イエス様の集団は、最初の頃は「ユダヤ教イエス派」とか「ユダヤ教
ナザレ派」と呼ばれていたようです。ここに出てくる諸会堂もキリスト教の
教会のことではなく、ユダヤ教の会堂のことです。実は、ファリサイ派の人
たちはこういう会堂で一般庶民に聖書を教える専門家でした。 そういう場面
にイエス様が割って入る形でイエス様の活動が始まります。なんとなくそれ
だけでも、対立の空気が生まれそうですね。
しかし、イエス様は「皆から尊敬を受けられた」と書かれています。ある地
域ではそうだったのですが、別の地域ではそうでもなかったようです。
イエス様の活動がいよいよ始まります。お楽しみに。
祝福がありますように。

**

【今日の詩編】
[ 146 ]
146:1 ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
146:2 命のある限り、わたしは主を賛美し/長らえる限り/わたしの神にほ
め歌をうたおう。
146:3 君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
146:4 霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思い
も滅びる。
146:5 いかに幸いなことか/ヤコブの神を助けと頼み/主なるその神を待ち
望む人
146:6 天地を造り/海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこし
えにまことを守られる主は
146:7 虐げられている人のために裁きをし/飢えている人にパンをお与えに
なる。主は捕われ人を解き放ち
146:8 主は見えない人の目を開き/主はうずくまっている人を起こされる。
主は従う人を愛し
146:9 主は寄留の民を守り/みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、
逆らう者の道をくつがえされる。
146:10 主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。
***
「人間には救う力はない」という宣言があり、その根拠として、神の霊によ
って生かされているに過ぎない人間のもろさを作者は語っています。どんな
人にも死は現実なのです。

146:4 霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思い
も滅びる。
146:5 いかに幸いなことか/ヤコブの神を助けと頼み/主なるその神を待ち
望む人

だからこそ、死を超えたところにおられる天の父を知ることが大切なことと
して教えられているのです。
いつの時代にも、変わることなく「いてくださる」お方だからです。新約聖
書では、もっとはっきりと、死の先にさえ、神が待っておられ、私たちを受
け入れてくださることが教えられています。
祝福がありますように。




            関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月 9日(木)23時01分46秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.09
ルカによる福音書
◆誘惑を受ける
4:1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、
荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
4:2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間
が終わると空腹を覚えられた。
4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるよ
うに命じたらどうだ。」
4:4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と
お答えになった。
4:5 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々
を見せた。
4:6 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。そ
れはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
4:7 だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
4:8 イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に
仕えよ』/と書いてある。」
4:9 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立
たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
4:10 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに
命じて、/あなたをしっかり守らせる。』
4:11 また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たち
は手であなたを支える。』」
4:12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われてい
る」とお答えになった。
4:13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
+++
この出来事は、人としての歩みを全うするために通過しなければなrない重
要なものでした。洗礼も罪ある人間と同じ立場に立つという出来事でしたが、
空腹感の中で誘惑を受けるという試練も人間として、また遣わされた救い主
として勝利しなければならない重要な出来事でした。悪魔は巧妙に言葉をか
け、罠を仕掛けました。しかし、イエス様は、それらの誘惑ひとつひとつに
聖書の言葉を引用しながら、勝利しています。聖書の言葉を心に蓄えること
ができると良いですね。それはきっと、判断の基準として、重要なものとな
り、私たちの心を守るための大事なみちしるべになることが多いはずです。
祝福がありますように。

****

【今日の詩編】

(アルファベットによる詩)
145:1 【賛美。ダビデの詩。】わたしの王、神よ、あなたをあがめ/世々限
りなく御名をたたえます。
145:2 絶えることなくあなたをたたえ/世々限りなく御名を賛美します。
145:3 大いなる主、限りなく賛美される主/大きな御業は究めることもでき
ません。
145:4 人々が、代々に御業をほめたたえ/力強い御業を告げ知らせますよう
に。
145:5 あなたの輝き、栄光と威光/驚くべき御業の数々をわたしは歌います。
145:6 人々が恐るべき御力について語りますように。大きな御業をわたしは
数え上げます。
145:7 人々が深い御恵みを語り継いで記念とし/救いの御業を喜び歌います
ように。
145:8 主は恵みに富み、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
145:9 主はすべてのものに恵みを与え/造られたすべてのものを憐れんでく
ださいます。
145:10 主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し/あなたの慈しみに生
きる人があなたをたたえ
145:11 あなたの主権の栄光を告げ/力強い御業について語りますように。

145:21 わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは/世々限りなく聖
なる御名をたたえます。
***
物事が順調な時、私たちは案外自分を誇り、自分の手柄を評価されたいと願
うことが多いように思います。そして逆境にあるときには、神に怒りをぶつ
け、不満をぶちまけることが多いように思います。
詩編の中では、いつでも賛美や感謝が書かれていますが、これは良いときも、
悪いときも、神への姿勢は変わらず、神は常に、礼拝されるべきお方として
自分の前に置かれているのです。
「神を礼拝する」こと以外、私たちは神に対してできることはないような気
がします。だからこそ、賛美を歌い、祈るのです。最近、賛美歌や聖歌のも
ともとの英語の原詩を読んで感動しています。17世紀頃の生徒の賛美には
真実味があふれています。多くの作家は貧しく、苦しい生活状況だったこと
が知られています。賛美を歌うこと、書く事、言葉にすること、あるいは賛
美歌を読むこと、こういう作業はとても大事な心の栄養分になります。
祝福がありますように。




   関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月 8日(水)11時06分17秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.08
ルカによる福音書
◆イエスの系図
3:23 イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨ
セフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、

3:34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
3:35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、
3:36 カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、
3:37 メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、
3:38 エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。
****
この系図はマタイにあるものとは、ちょっと違っています。それは意図する
ところが違うのでまとめ方が異なっているのです。
新共同訳聖書では「アダム。そして神に至る」となっていますが、新改訳聖
書では「このアダムは神の子である。」と訳されています。マタイによる福
音書の1章にある系図は、アブラハムから始まっています。そこでは、イエ
スがいわばイスラエルの選ばれた民、王家の人間としての系図になっている
のに対して、ここでは、イエスという存在が神からの特別な御子であること
を示しています。それは洗礼の時に聞こえた声の裏づけともなっています。
今の私たちには系図は、それほど身近なものではありませんが、昔はもっと
もっとどこから出てきた誰なのだということについて、厳しく系図を土台に
チェックされたのです。
実際のところ、こういう系図の信憑性について言えば、私たちにはわかりま
せん。ただ、書かれている言葉を「そこにあるもの」として受け取ることし
かできません。出来事を事実として鵜呑みにするというよりも、むしろ、書
かれたものの意図を汲んで、イエスが神の子であるということをしっかり伝
えたかったのだなということがわかれば、それで良いのだと思います。
祝福がありますように。

+++

【今日の詩編】
[ 144 ]
144:1 【ダビデの詩。】主をたたえよ、わたしの岩を/わたしの手に闘うす
べを/指に戦するすべを教えてくださる方を
144:2 わたしの支え、わたしの砦、砦の塔/わたしの逃れ場、わたしの盾、
避けどころ/諸国の民をわたしに服従させてくださる方を。
144:3 主よ、人間とは何ものなのでしょう/あなたがこれに親しまれるとは。
人の子とは何ものなのでしょう/あなたが思いやってくださるとは。
144:4 人間は息にも似たもの/彼の日々は消え去る影。

144:10 あなたは王たちを救い/僕ダビデを災いの剣から解き放ってください
ます。
144:11 わたしを解き放ち/異邦人の手から助け出してください。彼らの口は
むなしいことを語り/彼らの右の手は欺きを行う右の手です。
144:12 わたしたちの息子は皆/幼いときから大事に育てられた苗木。娘は皆、
宮殿の飾りにも似た/色とりどりの彫り物。
144:13 わたしたちの倉は/さまざまな穀物で満たされている。羊の群れは野
に、幾千幾万を数え
144:14 牛はすべて、肥えている。わたしたちの都の広場には/破れも捕囚も
叫び声もない。
144:15 いかに幸いなことか、このような民は。いかに幸いなことか/主を神
といただく民は。
********
作者にとって、神とは「わたしの支え、わたしの砦、砦の塔/わたしの逃れ
場、わたしの盾、避けどころ…」という存在として歌われています。
日々の生活の中で神こそ、わたしの支え、わたしの砦、砦の塔/わたしの逃
れ場、わたしの盾、避けどころと実感できたら良いですね。今日、神がまさ
に、そういう存在として心に近くいてくださいますように。
そして、私たちの心に安心で幸せな気持ちをもたらしてくださいますように。
心からお祈りします。



   関根一夫








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月 4日(土)20時08分57秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.04
ルカによる福音書
◆ナザレに帰る
2:39 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であ
るガリラヤのナザレに帰った。
2:40 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。
◆神殿での少年イエス
2:41 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
2:42 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
2:43 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残
っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
2:44 イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、
それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
2:45 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。
2:46 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いた
り質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
2:48 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれた
のです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
2:49 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わた
しが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのです
か。」
2:50 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
2:51 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお
暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
2:52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
****
イエス様の唯一の少年時代のエピソードです。12歳になったときのエルサレ
ム行きは、少年時代の最後の年ということになります。ユダヤでは男の子は
13歳で「律法の子」となり、シナゴーグの一員に加えられ、成人と見なされ
たからです。
そこでのイエス様の言動は、両輪には理解できないものでした。神殿の境内
で学者たちを相手に堂々と渡り合っているイエス様の姿が記録されています。
そして、その場所についてのイエス様の理解は「自分の父の家」という呼び
方をしています。
知恵に満ち、神の恵みの中に成長した幼子は、やがて、背丈も知恵も増し、
神と人とに愛される少年として成長していきます。ナザレで両親に従いなが
ら、生きたのです。
そして、これから約18年間、記録がありません。しかし、いよいよ公の生涯
が開始されます。
楽しみにしながら、読み続けていきましょう。
祝福がありますように。


+++++++


【今日の詩編】
[ 141 ]

141:1 【賛歌。ダビデの詩。】主よ、わたしはあなたを呼びます。速やかに
わたしに向かい/あなたを呼ぶ声に耳を傾けてください。
141:2 わたしの祈りを御前に立ち昇る香りとし/高く上げた手を/夕べの供
え物としてお受けください。
141:3 主よ、わたしの口に見張りを置き/唇の戸を守ってください。
141:4 わたしの心が悪に傾くのを許さないでください。悪を行う者らと共に
あなたに逆らって/悪事を重ねることのありませんように。彼らの与える好
餌にいざなわれませんように。
141:5 主に従う人がわたしを打ち/慈しみをもって戒めてくれますように。
わたしは油で頭を整えることもしません/彼らの悪のゆえに祈りをささげて
いる間は。
141:6 彼らの支配者がことごとく/岩の傍らに投げ落とされますように。彼
らはわたしの言葉を聞いて喜んだのです。

141:10 主に逆らう者が皆、主の網にかかり/わたしは免れることができます
ように。
********
礼拝の心で主の前に立ち、祈りをささげる時、速やかに答えてくださるよう
にと作者は訴えています。
そして、「わたしの口に見張りを置き、唇の戸を守ってください」と祈って
います。言葉はその人の心を表現します。そして、言葉は人の行動を後押し
し、心を罪に向かわせるのも言葉の力が大きいのです。
主に従う人が、明確に自分に忠告や警告を発し、慈しみをもって戒めてくれ
ますようにと他者からの助言や忠告を心に留める準備があることも表明して
います。
人からの助言や忠告は、言ってもらえるうちが華だと言われます。しかられ
たり注意されたりすることも、期待されていればことという面があるのかも
しれません。もちろん、パワハラとかいじめとかによるものもないわけでは
ありませんが、信頼できる人で、忠告をしてくれる人の存在をありがたいと
思える心は成長する心であり、大人への道を進めている心なのかもしれませ
ん。
よい友達が備えられますように。
祝福を心からお祈りします。



   関根一夫









 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月 3日(金)12時43分55秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.03
ルカによる福音書
◆神殿で献げられる
2:22-38
2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親
はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」
と書いてあるからである。
2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二
羽をいけにえとして献げるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で
信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっ
ていた。
2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを
聖霊から受けていた。
2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼
子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて
来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてく
ださいます。
2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」
+++++++++
律法に従って、彼らはエルサレムの神殿で清めの儀式を行い、幼子を主にさ
さげる儀式を通過しました。その際に彼らが献げたものが、山鳩か家鳩とい
うことになっていますが、それは彼らの貧しさを象徴しているとされていま
す。
というのも、旧約聖書レビ記の中にこういう記録があるからです。
12:6 男児もしくは女児を出産した産婦の清めの期間が完了したならば、産婦
は一歳の雄羊一匹を焼き尽くす献げ物とし、家鳩または山鳩一羽を贖罪の献
げ物として臨在の幕屋の入り口に携えて行き、祭司に渡す。

12:8 なお産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合は、二羽の山鳩または二羽
の家鳩を携えて行き、一羽を焼き尽くす献げ物とし、もう一羽を贖罪の献げ
物とする。祭司が産婦のために贖いの儀式を行うと、彼女は清められる。

イエス様の誕生の際に、飼い葉桶に寝かされたのは、彼らの貧しさによるも
のでもあったのでしょう。
しかし、神殿には、老人が彼らを待っていました。心からの賛美と共にイエ
ス様を歓迎しているシメオン、そしてアンナの姿が描かれています。彼らは
キリストをずっと待っていた信仰者であり、まさに、旧約からのキリスト待
望の期待が今ここで実現、完結したことを象徴しています。シメオンとは「主
は聞かれた」という意味のある名前です。こうして、新しい時代が到来した
わけです。
今日も心に恵みの主の到来を経験できますように。

+++++++


【今日の詩編】
[ 140 ]
140:1-14
140:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
140:2 主よ、さいなむ者からわたしを助け出し/不法の者から救い出してく
ださい。
140:3 彼らは心に悪事を謀り/絶え間なく戦いを挑んできます。
140:4 舌を蛇のように鋭くし/蝮の毒を唇に含んでいます。〔セラ
140:5 主よ、主に逆らう者の手からわたしを守り/不法の者から救い出して
ください/わたしの歩みを突き落とそうと謀っている者から。
140:6 傲慢な者がわたしに罠を仕掛け/綱や網を張りめぐらし/わたしの行
く道に落とし穴を掘っています。〔セラ
140:7 主にわたしは申します/「あなたはわたしの神」と。主よ、嘆き祈る
わたしの声に耳を傾けてください。
140:8 主よ、わたしの神よ、救いの力よ/わたしが武器を執る日/先頭に立
ってわたしを守ってください。
++
心の底から、苦難における助けを懇願している祈りがここにあります。
私たちが、主に向かって「助け出し、救い出し、耳を傾け、先頭に立って私
を守ってください」と真剣に祈ったのは、いつだったでしょう。また、どん
なときだったでしょう。便利な時代になり、物にあふれ、自力で何でもでき
るような気分になっていると、私たちはこういう詩編の言葉と縁遠くなって
しまっているような気分になることがあります。しかし、現実的には、やは
り私たちはもろく、主の助けと守りが必要な存在なのだと思います。事故や
災害や病気に遭ってからではなく、健康で豊かな状況の中でこそ、主の守り
と助けを求め、感謝しながら前向きに進んでいきたいものです。
恵みに慣れすぎて、高慢な恩知らずにはなりたくないですものね。
祝福がありますように。



   関根一夫





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月 2日(木)18時54分59秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.02
ルカによる福音書
◆羊飼いと天使
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしてい
た。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非
常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜び
を告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。こ
の方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つ
けるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人に
あれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘム
へ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し
合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳
飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれた
ことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしてい
た。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
2:21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これ
は、胎内に宿る前に天使から示された名である。
****
有名なクリスマスの場面です。天使と羊飼いという思いがけない組み合わせ
です。羊飼いは当時の社会ではほとんど尊敬に値しない職業でした。移動が
多く、評判も悪かったので、裁判の時には証人としての役目を認められない
ほどでした。でも、不思議なことに、救い主の誕生の知らせが一番最初に彼
らのところにもたらされました。羊飼いたちは世の冷たさを知っており、さ
びしい思いをしていたのかもしれません。
神の福音はそういう人のところにまず、届けられました。そして、キリスト
の誕生は「喜びの知らせ」として告知されました。羊飼いたちは単純にその
知らせを信頼し、喜んで出かけ、神を賛美しながら喜んで帰っていきました。
それらの羊飼いの心を躍らせるような出来事として、救い主の誕生が記録さ
れていることに、なんともいえない、恵みの大きさを感じます。
祝福がありますように。

+++++++++


【今日の詩編】
[ 139 ]
139:1 【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。】主よ、あなたはわたしを究
め/わたしを知っておられる。
139:2 座るのも立つのも知り/遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
139:3 歩くのも伏すのも見分け/わたしの道にことごとく通じておられる。
139:4 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/主よ、あなたはすべてを知
っておられる。
139:5 前からも後ろからもわたしを囲み/御手をわたしの上に置いていてく
ださる。
139:6 その驚くべき知識はわたしを超え/あまりにも高くて到達できない。
139:7 どこに行けば/あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれ
ば、御顔を避けることができよう。
139:8 天に登ろうとも、あなたはそこにいまし/陰府に身を横たえようとも
/見よ、あなたはそこにいます。
139:9 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
139:10 あなたはそこにもいまし/御手をもってわたしを導き/右の御手をも
ってわたしをとらえてくださる。
139:11 わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわ
たしを照らし出す。」
139:12 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち/闇も、
光も、変わるところがない。
139:13 あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくだ
さった。
139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/驚
くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか/わたし
の魂はよく知っている。
139:15 秘められたところでわたしは造られ/深い地の底で織りなされた。あ
なたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあ
なたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから。
139:17 あなたの御計らいは/わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いか
にそれは数多いことか。
139:18 数えようとしても、砂の粒より多く/その果てを極めたと思っても/
わたしはなお、あなたの中にいる。

139:23 神よ、わたしを究め/わたしの心を知ってください。
***
神に知られているという心強さ、神の知り方の深さ、緻密さ、神によって造
られたという不思議さを作者は歌っています。自分の背後に常に、このお方
を意識することができたら、人生をもう少し大切に生きられるような気がし
てなりません。
幸せな一日でありますように。





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 2月 1日(水)21時06分47秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.02.01
ルカによる福音書
◆イエスの誕生
2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅
令が出た。
2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住
民登録である。
2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザ
レから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの
泊まる場所がなかったからである。
++
おそらく人々はローマの支配にうんざりしており、住民登録のために故郷に
帰ることなど、憤りさえ感じていたのではないかと思います。社会状況は不
安定であり、住民感情は決して穏やかなものではありませんでした。そんな
わけで町はごったがえしており、臨月の女性には大変な旅行だったろうと思
います。
しかも、町は人でいっぱいで、宿屋に泊まることもできず、家畜のいる場所
で出産を迎えることになりました。約束の神の御子、救い主がお生まれにな
ったというのに、世の中は彼を歓迎するわけでもなく、出産の厳しい痛みに
悲鳴をあげてもヨセフはきっとうろたえるばかりだったろうと思います。助
けてくれる人もなく、家畜の糞のにおいのする場所でマリアは男の子を産み
ました。
たまたま、そういう場所だったのでしょうけれど、でも若いマリアとヨセフ
には高価な宿屋に泊まることのできる余裕などなかったと思います。貧しい
家庭の中に救い主はお生まれになりました。
私たちの救い主イエスキリストは、貧しく暮らす人々と貧しさによる厳しさ、
哀しさがわかる存在として誕生したのです。
祝福がありますように。
+++++++++


【今日の詩編】
[ 138 ]
138:1 【ダビデの詩。】わたしは心を尽くして感謝し/神の御前でほめ歌を
うたいます。
138:2 聖なる神殿に向かってひれ伏し/あなたの慈しみとまことのゆえに/
御名に感謝をささげます。その御名のすべてにまさって/あなたは仰せを大
いなるものとされました。
138:3 呼び求めるわたしに答え/あなたは魂に力を与え/解き放ってくださ
いました。
138:4 地上の王は皆、あなたに感謝をささげます。あなたの口から出る仰せ
を彼らは聞きました。
138:5 主の道について彼らは歌うでしょう/主の大いなる栄光を。
138:6 主は高くいましても/低くされている者を見ておられます。遠くにい
ましても/傲慢な者を知っておられます。
138:7 わたしが苦難の中を歩いているときにも/敵の怒りに遭っているとき
にも/わたしに命を得させてください。御手を遣わし、右の御手でお救いく
ださい。
138:8 主はわたしのために/すべてを成し遂げてくださいます。主よ、あな
たの慈しみが/とこしえにありますように。御手の業をどうか放さないでく
ださい。
****
なんと心が穏やかにされる詩編でしょう。
主はどんなときにも、私たちを知り、どんな状況にいるときも、支えの御手
を伸ばしてくださいます。
賛美と感謝と嘆願を心をこめてささげている作者の様子は、信仰者のあり方
としてとても大切な形だなぁと思います。
礼拝を喜び、礼拝者として、神に賛美と感謝と嘆願を届け、神からの支えの
約束を得て、一歩ずつ前に進んで行くのです。
「主は、わたしのためにすべてを成し遂げてくださいます」という言葉を読
んだとき、ヨハネによる福音書の中にあるキリストの言葉を思い出しました。
「17:3 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣
わしになったイエス・キリストを知ることです。
17:4 わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地
上であなたの栄光を現しました。」
神はキリストを通して、私たちのために、神との関係修復のための必要な出
来事をすべて成し遂げてくださいました。イエスキリストは、私たちの「救
いのためのすべてのわざ」を成し遂げてくださいました。
今日も心にしあわせがもたらされますように。



     関根一夫






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月31日(火)23時08分52秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.31
ルカによる福音書
◆ザカリアの預言
1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放
し、
1:69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。
1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。
1:71 それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。
1:72 主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。
1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、
1:74 敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、
1:75 生涯、主の御前に清く正しく。
1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、そ
の道を整え、
1:77 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。
1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所か
らあけぼのの光が我らを訪れ、
1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に
導く。」
1:80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ
野にいた。
****
ザカリアは聖霊に満たされ、心を動かされて神をほめたたえる歌を歌いまし
た。
その内容は、神が救い主をお遣わしになり、救いを提供してくださることへ
の確信に満ちた歌でした。
神が誠実にご自分の民との契約を守り、救い主の到来は、まさに昔からの約
束の実現であることが明確に述べられています。
そして、自分の息子ヨハネは、その救い主の到来の前に、道を整え、民の心
を整える役割を担っているのだと理解しています。ヨハネはやがて、ヨルダ
ン川沿いの地域で民に厳しい説教を語り、悔い改めの洗礼を授け、大活躍す
ることになります。
だんだんとイエスキリストの誕生への準備が進みます。
祝福がありますように。

++


【今日の詩編】
[ 137 ]
137:1 バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣い
た。
137:2 竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。
137:3 わたしたちを捕囚にした民が/歌をうたえと言うから/わたしたちを
嘲る民が、楽しもうとして/「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。
137:4 どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で。
137:5 エルサレムよ/もしも、わたしがあなたを忘れるなら/わたしの右手
はなえるがよい。
137:6 わたしの舌は上顎にはり付くがよい/もしも、あなたを思わぬときが
あるなら/もしも、エルサレムを/わたしの最大の喜びとしないなら。
137:7 主よ、覚えていてください/エドムの子らを/エルサレムのあの日を
/彼らがこう言ったのを/「裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。」
137:8 娘バビロンよ、破壊者よ/いかに幸いなことか/お前がわたしたちに
した仕打ちを/お前に仕返す者
137:9 お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。
***
この詩編は、バビロンの捕囚として故郷を離れ、連れて行かれた民の心の寂
しさと希望が告白されている内容になっています。
外国の地で奴隷のような生活を強いられ、「ほら。自分の国の神への賛美を
歌ってみろ」、と馬鹿にされ、悔し涙に暮れている姿が目に浮かぶようです。
神にささげる聖なる歌を余興で歌うことなどできるはずもないことを相手も
知っていながら、いじめるのです。
しかし、そういう状況の中でもこの作者は、私は神を覚えていて、神殿での
礼拝を楽しみにしていることを告白しています。それが最大の喜びだと感じ
ているのです。
礼拝への渇き、それは心に軸をもって生きる人にとって、とても大事な要素
なのだと思います。
心の軸がぶれないように、神を想い、礼拝を楽しみにする。神の前に出るこ
とで心を整えていただこうと心がける姿勢は本当に大切なことです。彼らは
バビロンの地に置かれていますから、エルサレムでの礼拝はできないわけで
すが、どこにいても、礼拝をささげるこころを忘れないこと、それが大切な
ものとして歌われているのです。私たちはどこにいても、礼拝者として置か
れているのです。
祝福がありますように。







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月30日(月)23時14分24秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.30
ルカによる福音書
◆洗礼者ヨハネの誕生
1:57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
1:58 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び
合った。
1:59 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカ
リアと名付けようとした。
1:60 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言
った。
1:61 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもい
ない」と言い、
1:62 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。
1:63 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、
人々は皆驚いた。
1:64 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。
1:65 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山
里中で話題になった。
1:66 聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になる
のだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
****
ヨハネの誕生についての記録が書かれています。当時の人たちの習慣が浮き
彫りにされています。
男の子が産まれると、8日目に割礼が施されました。これはアブラハムの時代
から継続されている儀式であり、清めの儀式であり、ユダヤ共同体への参加
儀礼でもありました。保健衛生上からの習慣でもあっただろうと言われてい
ます。そして命名ですが、親戚の人たちの意見を押し切って「ヨハネ」と名
づけられました。ヨハネという名前は「主は恵み深い」という意味がありま
す。ちなみにザカリアとはゼカリア(ヘブル名)のギリシャ語で「主は覚え
ていてくださる」という意味があります。
それまで口のきけなかったザカリアは、その子の名前を書いたときからしゃ
べれるようになり、神を賛美しています。
ヨハネの誕生と命名は、神のみわざとして周囲の人たちから注目を集めてい
たことがわかります。
考えてみれば、それぞれの人の誕生の背後には、役割の違いこそあれ、神様
の計画があるのです。
祝福がありますように。

++

【今日の詩編】
[ 136 ]
136:1 恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:2 神の中の神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:3 主の中の主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:4 ただひとり/驚くべき大きな御業を行う方に感謝せよ。慈しみはとこ
しえに。
136:5 英知をもって天を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:6 大地を水の上に広げた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:7 大きな光を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:8 昼をつかさどる太陽を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:9 夜をつかさどる月と星を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:10 エジプトの初子を討った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:11 イスラエルをそこから導き出した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:12 力強い手と腕を伸ばして導き出した方に感謝せよ。慈しみはとこしえ
に。
136:13 葦の海を二つに分けた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:14 イスラエルにその中を通らせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:15 ファラオとその軍勢を/葦の海に投げ込んだ方に感謝せよ。慈しみは
とこしえに。
136:16 イスラエルの民に荒れ野を行かせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえ
に。
136:17 強大な王たちを討った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:18 力ある王たちを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:19 アモリ人の王シホンを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:20 バシャンの王オグを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:21 彼らの土地を嗣業として与えた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:22 僕イスラエルの嗣業とした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:23 低くされたわたしたちを/御心に留めた方に感謝せよ。慈しみはとこ
しえに。
136:24 敵からわたしたちを奪い返した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:25 すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:26 天にいます神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
+++++++
創造主であり神への感謝と賛美、歴史を通してイスラエルを守られた神への
感謝と賛美、命あるものへの憐れみ深い神に感謝と賛美が呼びかけられてい
る詩編です。
私たちの神への感謝や賛美は、自分の利益に対する「ありがとう」ばかりで
なく、この世界全体に対する配慮への賛美、この世界が保持され、私たちが
生かされていることへの「ありがとう」でもあると良いですね。
その慈しみ深さを覚えて感謝する一日でありますように。
祝福を心からお祈りします。






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月29日(日)00時13分13秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.28
ルカによる福音書
◆マリアの賛歌
1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたた
えます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊
く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対
してとこしえに。」
1:56 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に
帰った。
****
イエス様の誕生を前に、何度か神への賛歌が出てきます。この箇所はマグニ
フィカットと呼ばれているマリアの賛歌です。
自分がまもなく救い主の母となるということの意味深さを理解したマリアが
心から神様に向かってほめ歌を歌っています。この詩の中には神様への感謝、
礼拝の心、そして主の勝利が告白されています。
喜びと聖霊に満たされて、マリアは「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの
霊は救い主である神を喜びたたえます。」と礼拝しています。
私たちの人生の中で、こういう言葉を神様に向けて発し、本当に心から礼拝
をささげたことがあるでしょうか?
ひとりで、静かに神様の前で、生かされていることを感謝するとき、覚えて
おきたい言葉のひとつです。
しかも、マリアは自分のことを「身分の低い、主のはしため」と呼んでいま
す。その姿勢もまた、礼拝におけるとても大切な意識なのだと思います。
明日の日曜日、「主が、私たち、取るに足りないしもべ、はしために、すば
らしいことをしてくださった」と一週間を振り返って告白できる礼拝になる
といいですね。
祝福がありますように。

+++

【今日の詩編】
135:1 ハレルヤ。賛美せよ、主の御名を/賛美せよ、主の僕らよ
135:2 主の家に/わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ。
135:3 主を賛美せよ、恵み深い主を。喜ばしい御名をほめ歌え。
135:4 主はヤコブを御自分のために選び/イスラエルを御自分の宝とされた。
135:5 わたしは確かに知った/主は大いなる方/わたしたちの主は、どの神
にもまさって大いなる方。
135:6 天において、地において/海とすべての深淵において/主は何事をも
御旨のままに行われる。

135:14 主は御自分の民の裁きを行い/僕らを力づけられる。
135:15 国々の偶像は金や銀にすぎず/人間の手が造ったもの。
135:16 口があっても話せず/目があっても見えない。
135:17 耳があっても聞こえず/鼻と口には息が通わない。
135:18 偶像を造り、それに依り頼む者は/皆、偶像と同じようになる。
135:19 イスラエルの家よ、主をたたえよ。アロンの家よ、主をたたえよ。
135:20 レビの家よ、主をたたえよ。主を畏れる人よ、主をたたえよ。
135:21 シオンから、主をたたえよ/エルサレムにいます主を。ハレルヤ。
+++
賛美への勧めが書かれています。
しかも、その中の一節に
「135:4 主はヤコブを御自分のために選び/イスラエルを御自分の宝とされ
た。」とあります。
私たちにとって神は宝物のようですが、神がイスラエルの民を宝とされたと
あるのです。
それは新約聖書によれば、キリストを信頼する人は「新しいイスラエル」と
呼ばれることを考えると
私たちは皆、神様にとって「宝」のような存在として尊ばれ、守られている
のだということになります。
嬉しいことです。
祝福がありますように。


         関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月27日(金)16時13分31秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.27
ルカによる福音書
◆マリア、エリサベトを訪ねる
1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エ
リサベトは聖霊に満たされて、
1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子
さまも祝福されています。
1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういう
わけでしょう。
1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどり
ました。
1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょ
う。」
***
このユダの町とは、伝承では現アイン・カリムという町です。ナザレから10
5㎞ほど南にあるとてもきれいな町です。私は聖地旅行には一度しか行ったこ
とがありませんが、とても平和を感じる町だったことが印象に残っています。
もう一度訪れてみたい町のひとつです。
さて、マリアは親戚にあたるエリザベトをその地に訪問し、挨拶すると、ま
ずお腹の赤ちゃんが踊ったとあります。この子は後にバプテスマのヨハネで
すが、すでに救い主の到来を喜んで、その役割を開始しているような感じで
す。エリザベトは聖霊に満たされ、祝福の歌を歌っています。二人の母親の
感動的な対面シーンです。
エリザベトの歌は、マリアへの祝福と、信仰者の幸せを表現した歌になって
います。
マリアが後に、「無原罪の聖母」として崇拝されるようになったのは、ここ
に出てくる「私の主のお母さま」という言葉を「神の母」と呼び始めたこと
から発展したものだと言われています。
思わず、そう呼びたくなるほど、純粋に、神の言葉を受け入れ、喜びにあふ
れて出産に備えるマリアの姿が描かれています。
そして、それは次の段落で頂点に達します。
今日も神様からの祝福が届きますように。

++

【今日の詩編】
134:1 【都に上る歌。】主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。夜ごと、主の
家にとどまる人々よ
134:2 聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ。
134:3 天地を造られた主が/シオンからあなたを祝福してくださるように。
++++
賛美の勧めです。新改訳聖書には詩編22編の中の言葉が「けれども、あなた
は聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」と訳されて
おり、礼拝と賛美が切り離せないものとして理解されています。
この詩の中には神殿への憧れというか、聖なる場所への畏敬の念があふれて
います。イスラムの皆さんが、メッカに向かって祈る姿とダブりますね。昔
は日本でも皇居については同じような意識があったと聞いています。
「聖所」を求める意識というのは人間の中に常に存在していたものなのかも
しれません。
新約聖書では、私たち自身が神の宮なのだと教えていますし、昔と同じよう
な神殿はありませんので、どこに向かってという場所を特定されてはいない
のですが、強いて言えば「あなたが礼拝の心を表明する場所」はどこでも、
聖なる場所なのだと思います。神が共にいてくださる日常の場、それこそが
聖なる場として認識されなければならないのだろうと思います。
祝福がありますように。








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月26日(木)21時41分9秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.26
ルカによる福音書
◆イエスの誕生が予告される
1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神か
ら遣わされた。
1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣
わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。
主があなたと共におられる。」
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え
込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神
から恵みをいただいた。
1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさ
い。
1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主
は、彼に父ダビデの王座をくださる。
1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえまし
ょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを
包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごも
っている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、こ
の身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
****
バプテスマのヨハネの誕生予告に続いて、マリアに対する告知がなされ
ます。バプテスマのヨハネとは親戚関係にあたリます。
マリアは驚き戸惑いながらも、最終的には御使に「わたしは主のはした
めです。お言葉どおり、この身になりますように」と答えています。こ
の姿勢は、「神の国を求める」という姿勢と重なっています。
そこでその子供の「名前」も、将来の立場も告知され、「おめでとう」
と言われているのですが、唐突感は否めませんね。
しかし、マタイによる福音書ではヨセフに対して夢の中で同じ内容の事
が告げられています。
ですから、ヨセフにもマリアにも告知があり、ふたりはこの困難な出来
事を悩みながらも乗り越えていきます。
こんなこと、「起こるはずはない」と考えて、聖書を読むのを止めてし
まおうかと思っている人がいるかも知れませんね。確かに、こういう物
語は書かれてはいても事実としての検証はできません。事実以外には興
味がないと考える場合、バカバカしく感じるかも知れません。でも、こ
ういう箇所を読む時、事実だったかどうかという見方を一旦脇に置いて、
「書かれている出来事を通して見えてくる真実」とは何かを探るという
読み方ができると、聖書を読む価値も出てくるように思いますが、いか
がでしょう。書かれている内容そのものを否定せずに読むためには、事
実を検証するということよりも、真実を探すという意識が大切なのかも
知れません。
信仰とは、事実として信じるということも含まれますが、もっと大事な
のは、自分にとっての真実として神と向き合うという事だと思います。
朝から、お説教じみた文章になってしまいました。
祝福がありますように。

**

【今日の詩編】
133:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】見よ、兄弟が共に座っている。な
んという恵み、なんという喜び。
133:2 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り/衣の襟に垂れるアロン
のひげに滴り
133:3 ヘルモンにおく露のように/シオンの山々に滴り落ちる。シオン
で、主は布告された/祝福と、とこしえの命を。
***
「兄弟」とは、信仰を同じくする人たちの集まりのことです。仲間が、
あるいは身内が仲良く集まれるという出来事は幸いなことです。
しかし、ここにある油が、かぐわしいものとは言え、頭に注がれ、ひげ
に、そして、衣に垂れていく様は、なんだかだらしがないなぁと感じて
しまいますよね。「何とかしなさいよ」とハンカチでも渡したくなりま
す。
でも、この祝福を意味する油が頭に、肩に、そして胸に垂れることは、
特別な意味がありました。
実は、祭司の胸には12部族の名前の書かれた胸当てがつけられていたの
です。
それは金、青、紫、緋のより糸と亜麻布で作られた一辺が約22センチの
方形の袋で、その表には、イスラエル12部族の名が彫られた12種の宝石
が、金の枠にはめ込まれて横4列につけられ、袋には、ウリムとトンミム
が入っていたのです。ですから、聖なる油が注がれて、胸にまで垂れて
いくということで、12部族が神によって祝福を受けるということの象徴
とされているのです。
背景がわからないと、だらしのない油垂れ流し事件ということになって
しまいますが、背景がわかると別の世界が見えてきますね。
祝福がありますように。


   関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月23日(月)14時35分47秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.23

マルコによる福音書
◆マグダラのマリアに現れる
16:9 〔イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリ
アに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い
出していただいた婦人である。
16:10 マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ
行って、このことを知らせた。
16:11 しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそ
のイエスを見たことを聞いても、信じなかった。
***
実は、この9節以降の文章にはカッコがつけられています。それは、ここ
から後の文章は後に付け加えられたものとされているからです。
8節の言葉の最後が
「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そ
して、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」となっ
ており、終わるにしてはあまりに唐突な感じですし、墓を出て逃げ去り、
誰にも何も言わなかった、恐ろしかったというのは、みっともないよう
な感じを持ったのかも知れません。、
そこで、ここから
◆マグダラのマリアに現れる
◆二人の弟子に現れる
◆弟子たちを派遣する
◆天に上げられる
というこれ以後の展開が書かれています。ここにある殆どの内容はヨハ
ネによる福音書やルカによる福音書、そして使徒言行録にある記事と一
致しています。
そして、さらに輪をかけたように〔婦人たちは、命じられたことをすべ
てペトロとその仲間たちに手短に伝えた。その後、イエス御自身も、東
から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのな
い福音を広められた。アーメン。〕という別のカッコ付きの文章で終わ
っています。ここまで、しっかり完成形になっていると、「うーん、ホ
ントかな」と唸ってしまいそうです。
でも、後の記録を収集して、やっぱりここまで書いておこうということ
になったのでしょうね。
とにかく、史実であるなしにかかわらず、キリストの行動や言葉として
の言葉が現代にまで伝えられていることは意義深く、いろいろなことを
想像したり、連想したりしながら、心を耕し、心を上に向けるためにも
っともっと読まれるべきものだと思います。
祝福がありますように。
関根一夫 (マルコ了)


++++

【今日の詩編】

130:1 【都に上る歌。】深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
130:2 主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を
傾けてください。
130:3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐え
えましょう。
130:4 しかし、赦しはあなたのもとにあり/人はあなたを畏れ敬うので
す。
130:5 わたしは主に望みをおき/わたしの魂は望みをおき/御言葉を待
ち望みます。
130:6 わたしの魂は主を待ち望みます/見張りが朝を待つにもまして/
見張りが朝を待つにもまして。
130:7 イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに/豊かな贖い
も主のもとに。
130:8 主は、イスラエルを/すべての罪から贖ってくださる。
++++
誰にでも悩みがあり、不安は有るものです。
それに対して、放置しておくと心がしおれ、咎めの意識が増大して、苦
しくなってきます。
作者の告白
130:4 しかし、赦しはあなたのもとにあり/人はあなたを畏れ敬うので
す。
130:5 わたしは主に望みをおき/わたしの魂は望みをおき/御言葉を待
ち望みます。
を素直に心に留めることができたら、どれほど心が軽くなり、気持ちが
上向きになることでしょう。
主は自ら犠牲を払って、私たちの罪を赦し、私たちを悩みの深い淵から
救い出してくださいます。
「罪を赦す」「咎めが取り除かれる」ためには、「言葉」が伝えられな
ければなりません。それがないと私たちの心は重いままであり、解放さ
れないのです。
十字架におけるイエス様の赦しの祈り、また、「完了した」という宣言
は、私たちの心を本当に安心させてくれる言葉です。
そういう言葉を思い出しながら、今日一日を過ごしたいと思います。
祝福がありますように。


    関根一夫







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月21日(土)23時36分31秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.21
マルコによる福音書
◆復活する
16:1 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、
イエスに油を塗りに行くために香料を買った。
16:2 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。
16:3 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょう
か」と話し合っていた。
16:4 ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非
常に大きかったのである。
16:5 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えた
ので、婦人たちはひどく驚いた。
16:6 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナ
ザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。
御覧なさい。お納めした場所である。
16:7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたが
たより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかか
れる』と。」
16:8 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そし
て、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
****
復活の出来事が記録されています。墓の石というのは、墓の入り口にちょう
どふたをするような具合で封印されていた大きな平べったい岩があったので
す。横穴式の墓なので入り口にはそういう岩が必要でした。その岩をどうい
う風にどかそうか、悩んでいた女性たちでしたが、墓に着くとその石が転が
してあり、そこには白い長い衣を着た若者が座っていたのでびっくりします。
その若者はイエス様の復活を告げますが、それに加えて「さあ、行って、弟
子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ
行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」と語りま
す。
ガリラヤ、そこはイエス様と弟子たちが最初に出会った場所であり、まさに
活動の原点でした。そこに先に行っているというのは、積極的に「弟子との
再会と再出発」を期待し、準備している主イエスの意欲的な姿勢が浮き彫り
にされています。しかも、わざわざペトロの名前まで出していますので、3度
イエスなど知らないと裏切ってしまったペトロにとっての再出発の場にもな
ることが暗示されています。
復活、それは弟子たちにとっては、希望の再構成の基礎であり、再出発の時
でした。
復活の出来事が書かれているからこそ、死による喪失の悲しみを超えて「再
出発、再稼動」がきっと可能だと信じることができるように思います。
今日も幸せな心で過ごせますように。

+++

【今日の詩編】
第 129篇
129:1 【都に上る歌。】イスラエルは言うがよい。「わたしが若いときから
/彼らはわたしを苦しめ続けたが
129:2 わたしが若いときから/彼らはわたしを苦しめ続けたが/彼らはわた
しを圧倒できなかった。
129:3 耕す者はわたしの背を耕し/畝を長く作った。」
129:4 主は正しい。主に逆らう者の束縛を断ち切ってくださる。
129:5 シオンを憎む者よ、皆恥を受けて退け。
129:6 抜かれる前に枯れる屋根の草のようになれ。
129:7 刈り入れても手を満たすことはないように。穂を束ねてもふところを
満たすことはないように。
129:8 傍らを通る者が/「主はあなたがたを祝福される。わたしたちも主の
御名によって/あなたがたを祝福する」と言わないように。
++++
すごいですね、この詩編。シオンを憎むもの、神の民を憎むものへの圧倒的
な呪いの言葉が満ちています。 こんな祈りがあってよいのかと、悩んでしま
います。人間的に正直な気持ちになると、こういう祈りも出てくるでしょう。
本当に追い詰められた状況の中で出てくる人間的な応答なのかもしれません。
また、そういう辛い決断をしなければ生き延びることができないばかりか、
国や部族が根絶やしにされてしまう危険が常に存在していたので、しっかり
自分たちの場所の確保、収穫の確保のために反対者を社団する必要がありま
した。
しかし、それは人間の気持ちとしては正直であり、目には目、歯には歯とい
う発想からすれば正当ですが、イエス様が教える神の心とは違っているよう
に思います。イエス様は、
「 5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命
じられている。
5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈
りなさい。
5:45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽
を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
5:46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあ
ろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
5:47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことにな
ろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。(マタイ5章)と教
えました。ここで愛するとは好きになることではなく、存在を大事にすると
いうことに通じています。
今の時代は、昔と違って、共存しなければ、世界が危ないという状況です。
だからこそ、いろいろ考えや宗教が違う人とでも何とか同じ国の中で暮らせ
るように、共に生きるための努力と祈りが必要なのではないかと思うのです。
心から祝福を祈っています。






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月20日(金)11時27分19秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.20
マルコによる福音書
◆墓に葬られる
15:42 既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であっ
たので、
15:43 アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラト
のところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も
神の国を待ち望んでいたのである。
15:44 ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊
長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。
15:45 そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。
15:46 ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、
岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。
15:47 マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所
を見つめていた。
**
アリマタヤのヨセフという人がイエスの遺体を引き取ろうと総督ピラトのと
ころに行き談判して成功し、墓に納めることができました。当時、犯罪人と
して処刑された遺体は、墓に葬られることはなく、ごみ処理場のようなとこ
ろに打ち捨てられ焼かれたので遺族でさえそれを引き取ったり、埋葬したり
することは許されていなかったという記事をどこかで読んだことがあります。
ゲヘナの火というのは、それのことです。ですから、これは異例のことでし
た。身分が高いとはいえ、ヨセフという人には勇気がありました。実はヨハ
ネの福音書には、この人のほかに、ニコデモという人もそれに加わっていま
す。「あの夜イエスのところに行った人」です。そしてここでもふたりの女
性、ふたりのマリアが目撃者としての役割を果たしています。
これらの人々はイエスの生涯によって心動かされた人たちです。マリアは実
母ですから身内ですが、それにしても、しっかり受難の出来事を逃げ出さず
に一部始終見ています。新約聖書が書かれるためにも貴重な証人だったと思
います。
今日も幸せな心で過ごせますように。

+++

【今日の詩編】
第 128篇
128:1 【都に上る歌。】いかに幸いなことか/主を畏れ、主の道に歩む人よ。
128:2 あなたの手が労して得たものはすべて/あなたの食べ物となる。あな
たはいかに幸いなことか/いかに恵まれていることか。
128:3 妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子らは、
オリーブの若木。
128:4 見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。
128:5 シオンから/主があなたを祝福してくださるように。命のある限りエ
ルサレムの繁栄を見
128:6 多くの子や孫を見るように。イスラエルに平和。
***
当時の人たちが幸せを感じる家庭のシーンが書かれています。国家の繁栄の
基盤は家庭にあるというのが一般論としての正論でしょう。それはどの時代
にも変わりません。
しかし「イスラエルの繁栄」というのは、単に国家や家庭のことだけでなく、
新約聖書の発想では「教会」のことであり、「神を信頼する仲間たち」のこ
とです。
宗教改革者カルヴァンはその注解書の中で「信仰者は決して自分の個人的利
益のみを求めたり、あるいは己れの便益だけに耽溺することなく、かえって
その主要な願いは、神の教会の栄えるのを目にする事でなければならない」
と書きました。
神の教会が栄えるとは、教会への出席者の人数が多くなるということよりも、
むしろ、そこで兄弟姉妹と呼んでいる人との関わりが喜びとなり、互いに支
援的ネットワークとしての関係が深まることだと思います。その支援的ネッ
トワークが機能し、その中に置かれていることがわかるとき、人は安心して
礼拝者として生きられます。単に家庭、子供の存在だけが神の祝福という理
解ですと、独身者は祝福にあずかれないことになってしまいますものね。
私はこの詩を読みながら、この幸せの範疇にいる人は良いけれど、独身者や
健康上の理由で子供を生むことができない人、離婚などによって傷ついてい
る人を、主よ、どうぞ心に留めてくださいと祈りました。正論は、時にある
人たちを傷つけますね。しかし、神の恵みはどんな人にもいろいろな形で届
いています。どういう状況の人も、神の恵みを受け取り、感謝しながら、前
向きに生きられますように。
今日の一日、神様からの幸せな心が届きますように。








 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月19日(木)22時37分45秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.19
マルコによる福音書
◆イエスの死
15:33 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタ
ニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
という意味である。
15:35 そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを
呼んでいる」と言う者がいた。
15:36 ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待
て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエ
スに飲ませようとした。
15:37 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
15:38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
15:39 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエス
がこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」
と言った。
15:40 また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマ
リア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。
15:41 この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って
来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレ
ムへ上って来た婦人たちが大勢いた。
++
イエスは十字架の上で詩編22編の言葉を叫びます。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉で
す。
その詩編22編はまるでイエスの苦難のシナリオのような文章が記録されてい
ます。その最初の言葉がこの言葉です。しかし、最後の言葉は神をたたえる
表現で終わっています。
象徴的な描写がいくつかあります。ひとつは神殿の垂れ幕が真ん中から裂け
たこと。実は神殿の中には幕の仕切りがあり、そこから先は大祭司しか入っ
て行くことが許されていませんでした。しかし、イエスの贖いの死によって、
誰でも神の前に出ることが可能になったという意味がここにあります。十字
架によって、神との和解が成立し神と人とを隔てるものが取り除けられたの
です。
さらに、ローマの軍人である百人隊長は、「この人は神の子だった」と告白
し、この十字架の出来事が単なる犯罪人の処刑とは違っていることを認めて
います。イエスを神の子と呼ばずにはいられない、雄雄しい、役割を意識し
た死がそこにあったのです。
また、最後の最後までこの出来事から目をそらさず見守ったのは、女性たち
でした。マグダラのマリア、イエスの母であり、小ヤコブとヨセの母、これ
はイエスの母マリアのことです。そのほかの婦人たちがイエスの死の一部始
終を目撃しています。これらの人たちの証言がなければ福音書の一番大事な
部分が書けなかったことになります。
十字架、それは神が提供してくださった、愛と赦しによる和解の場であり、
私たち一人一人に届けられた心の癒しの場なのです。
幸せがあなたの心に届きますように。
+++++


【今日の詩編】
第 127篇
127:1 【都に上る歌。ソロモンの詩。】主御自身が建ててくださるのでなけ
れば/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなけ
れば/町を守る人が目覚めているのもむなしい。
127:2 朝早く起き、夜おそく休み/焦慮してパンを食べる人よ/それは、む
なしいことではないか/主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。
127:3 見よ、子らは主からいただく嗣業。胎の実りは報い。
127:4 若くて生んだ子らは、勇士の手の中の矢。
127:5 いかに幸いなことか/矢筒をこの矢で満たす人は。町の門で敵と論争
するときも/恥をこうむることはない。
****
生活のあらゆる場面の背後に主の助け、主の愛を意識し、それを丁寧に受け
取りながら生活できるとしたら、私たちの心はとても軽くなると思います。
私たちは気をつけないと「主のために生きよう」と気負いこんでしまって「主
とともに生きる」ことの大切さや楽しさを忘れてしまってはいないでしょう
か。
聖歌のひとつに「主が私の手をとってくださいます。どうして怖がったり逃
げたりするでしょう。やさしい主の手にすべてを任せて旅ができるとは何た
る恵みでしょう」というのがありますが、主に手を引かれつつ。主に知られ
ながら歩む人生は幸せを実感することの多い人生だと思います。
主が、幸せをもたらしてくださいますように。






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月18日(水)13時07分37秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.18
マルコによる福音書
◆十字架につけられる
15:21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、
田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担
がせた。
15:22 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場
所」――に連れて行った。
15:23 没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けになら
なかった。
15:24 それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合っ
た、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
15:25 イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
15:26 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
15:27 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十
字架につけた。
15:28 (†底本に節が欠落 異本訳)こうして、「その人は犯罪人の一人に
数えられた」という聖書の言葉が実現した。
15:29 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言っ
た。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、
15:30 十字架から降りて自分を救ってみろ。」
15:31 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わ
るイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。
15:32 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見
たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをのの
しった。
+++
十字架につけられたイエスに対するののしりの言葉が続きます。宗教家たち
も、兵士たちも、一般民衆も、そして十字架につけられている犯罪人たちか
らもののしられている姿が描かれています。旧約聖書イザヤ書53章の中に書
かれているしもべのように。そこにはこう書かれています。

53:3 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
53:4 彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであ
ったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は
苦しんでいるのだ、と。
53:5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕か
れたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/
わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやさ
れた。

十字架の苦難には意味がありました。そこには私たちへの癒し、赦しが、そ
して平和が約束されていました。それが心に届きますように。
今日も主があなたを幸せにしてくださいますように。

++

【今日の詩編】
126:1 【都に上る歌。】主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて/わ
たしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが/舌に喜びの歌が満ちるであ
ろう。そのときには、国々も言うであろう/「主はこの人々に、大きな業を
成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために/大きな業を成し遂げてください。わたし
たちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように/わたしたちの捕われ人を
連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜
びの歌をうたいながら帰ってくる。
++++
なんと希望に満ちた詩編でしょう。主が捕囚状態から解放をもたらし、帰国
することができる喜びが歌われています。
126:5 涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜
びの歌をうたいながら帰ってくる。
の箇所についての注解ですが、宗教改革の指導者であったカルヴァンは「飢
饉の時期に、哀れな農夫がすでに飢えを感じているのに、日常の食物を節約
し、来たるべき年の播種に備えねばならないのと似ている。…しかも刈り入
れを望みつつ…蒔くのである.現下の悲しみに歓喜が続くようになるために、
神の約束された結果を、生き生きと見据えることを学ぼうではないか」と書
いています。
種は蒔かれなければなりません。明日に生きる希望を持つためには、今、種
を蒔かなければなりません。昔の時代の貧しさとは異なり、原発事故による
汚染という出来事によって地は不毛となりつつあります。涙の種を背負いつ
つ、悲嘆しておられる近隣の農家の皆様に何らかの手立てが備えられ、種を
蒔くことができるようにと心からお祈りします。収穫の束を背負って、喜び
の歌を歌える日がきますようにと。
主よ、ひとりひとりを幸せにしてください。





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月17日(火)22時44分25秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.17
マルコによる福音書
◆兵士から侮辱される
15:16 兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。
15:17 そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
15:18 「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。
15:19 また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。
15:20 このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
*****
イエスに対する侮辱的な行為はこの箇所だけでなく、前の章にもありました。大祭司の官邸での人々によるもの、そしてまた、この後も続きます。十字架での苦難は肉体的な痛みのみならず精神的な屈辱、人に捨てられるという孤立無援状態の中に陥れられるというものでもありました。人の心の殺伐とした冷たさ、非情さがこれでもかといわんばかりに表現されています。
もちろん、人は冷たいばかりでなく、とても善良で暖かい心も持っているのですが。その反応が極端に揺れることがあるのです。もっとも大祭司官邸での侮辱行為は大祭司をはじめ、宗教指導者たちを喜ばせるためのものだったかもしれませんし、ピラトの官邸でのそれは群集への見せしめ的な意味があったのかもしれません。つまり当事者がどういう気持ちでそれをやっていたのかは、ここには書かれていないのでわからないのです。役目上、それに加担していたのかもしれません。あるいは欲求不満をぶつけていたのかもしれません。いずれにしても、感覚として無実とわかっている人、無抵抗な人に対する非情な行為だったことは間違いありません。人の心の中にあるものは、複雑です。
主は苦難を忍び、十字架に向かわれます。これらの屈辱行為は、あなたが今社会の中で経験しているものに似ているかもしれません、しかし、主はそれをわかってくださいます。ともに担ってくださいます。
祝福がありますように。

**

【今日の詩編】
第 125篇
125:1 【都に上る歌。】主に依り頼む人は、シオンの山。揺らぐことなく、とこしえに座る。
125:2 山々はエルサレムを囲み/主は御自分の民を囲んでいてくださる/今も、そしてとこしえに。
125:3 主に従う人に割り当てられた地に/主に逆らう者の笏が置かれることのないように。主に従う人が悪に手を伸ばすことのないように。
125:4 主よ、良い人、心のまっすぐな人を/幸せにしてください。
125:5 よこしまな自分の道にそれて行く者を/主よ、悪を行う者と共に追い払ってください。イスラエルの上に平和がありますように。
******
山をモチーフにして、信仰者の姿と神様の守りを表現しています。山を見てそういう風に感じられる感性っていいなぁと思います。
その泰然とした山の存在を信仰者の姿として見ることができるなら、そしてまたその山々を見て神の守りを意識できるなら、安心、安定、を日々感じながら生きられることになります。
しかし同時に作者は神に向かって具体的な助けを求めて祈っています。
「幸せにしてください」という祈りがとても新鮮に聞こえてきます。
そうなんです。「主よ、今日、私を守り、幸せにしてください」と祈れるのです。私たちを取り囲んで守り、祝福しようとしている神様に向かって、幸せを願うことができるのです。
「私を幸せにしてください」「あの人を幸せにしてください」「この子を幸せにしてください」と祈ったのはいつですか?初詣ばかりでなく、毎日祈ることができるのです。
主よ、私たちを幸せにしてください。アーメン。







 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月16日(月)21時03分32秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.16
マルコによる福音書
◆死刑の判決を受ける
15:6 ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放し
ていた。
15:7 さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバ
という男がいた。
15:8 群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。
15:9 そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言っ
た。
15:10 祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かってい
たからである。
15:11 祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。
15:12 そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言
っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。
15:13 群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」
15:14 ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆
はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。
15:15 ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、
イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
****
「群集」によるプレッシャーが判決に絶大な影響をもたらしていることをマ
ルコは記録しています。群集心理の恐ろしさというか、その無責任な行動や
要求はいつの時代にも存在しています。彼らはつい一週間前にはイエスに向
かって大歓迎の声をあげた人たちであり、喜んでその教えを聞き、癒しを求
めた人たちだったはずです。しかし、その罪状の真偽を確認することもせず、
祭司長たちに扇動されヒステリックに「十字架につけろ」を繰り返し、それ
以外の結論はまったく受け付けない暴徒と化していきました。よく「国民に
信を問う」という言葉を耳にします。しかし、信を問うべき国民が、もしこ
の群集のような存在だとしたら、その多数意見は本当に「正義」「正論」と
言えるのでしょうか。
この章には、最初から死刑にする算段を仕組んでいる妬みの塊のような祭司
長たち、その扇動に乗っているだけの哀しいほど愚かな群集、そして、もう
ひとり、イエスは無実と知りながら、群集の機嫌を取ろうとして十字架刑を
言い渡してしまう無責任極まりない総督ピラトの姿が描かれています。
どの部類の人たちにも、自分と似ている面があるので、哀しくなってしまい
ます。歴史はこういう風に作られてきたんだろうなぁと思うと、なんだか胸
が痛みます。それが現実なんですけれど…。
祝福がありますように。

+++

【今日の詩編】
124:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】イスラエルよ、言え。「主がわたした
ちの味方でなかったなら
124:2 主がわたしたちの味方でなかったなら/わたしたちに逆らう者が立っ
たとき
124:3 そのとき、わたしたちは生きながら/敵意の炎に呑み込まれていたで
あろう。
124:4 そのとき、大水がわたしたちを押し流し/激流がわたしたちを越えて
行ったであろう。
124:5 そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう/驕り高ぶる大水が。」
124:6 主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。
124:7 仕掛けられた網から逃れる鳥のように/わたしたちの魂は逃れ出た。
網は破られ、わたしたちは逃れ出た。
124:8 わたしたちの助けは/天地を造られた主の御名にある。
****
主なる神によって守られ、味方をしてもらいながらここまで生きてこれたと
いう思いが歌われています。
恩知らずにならないようにという教訓を含んだ詩編です。しかし、こういう
詩が書かれるということは、神に味方になってもらい、神に守られて生きて
きたということを忘れてしまうことが多いということでもあるように思いま
す。神に守られたという出来事を語る場合にでも「神に守られた私」ばかり
を語ってしまい、「私を守ってくださった神」を語らないことがよくあるの
です。それは勝利者宣言であり、神を褒め称えるというより自己宣伝のよう
に聞こえます。この詩編を何度も読んで、「ほんとに、そうです」と告白で
きたらいいですね。祝福がありますように。






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月15日(日)00時35分52秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.14
マルコによる福音書
◆ピラトから尋問される
15:1 夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり
最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。
15:2 ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエ
スは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。
15:3 そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。
15:4 ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を
訴えているのに。」
15:5 しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思
議に思った。
****
前の章で、大祭司はイエス様に「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と
尋問しました。もし、そうであれば、神を冒涜していると彼らは考えていま
した。ねたみもあり、最初から死刑以外の結論は考えていなかったと思いま
す。しかし、当時、ユダヤでの宗教裁判だけで十字架刑を執行することは許
可されていなかったので、ローマからの執行官である総督ピラトのもとに送
られました。しかし、神への冒涜だからといってローマの法律では、死刑執
行の許可は出せないので、大祭司たちは、イエス様のことを「自分を王とし、
ローマに反抗している」と訴えたのです。そこでピラトは「お前がユダヤ人
の王なのか」と尋問します。
イエス様は、それには肯定的な答えをしていますが、あくまでも、それは「ピ
ラトが言っていること」だとして自らがどうしても申し出るべき主張ではな
いことを発言しています。ピラトはここで、すでに、この裁判の裏には宗教
指導者たちの、でっち上げや妬みがあることを悟っていたと思います。だか
らこそ、イエス様が反論や弁明をせずに黙っていることを不思議に思ったと
記録されているのです。
実は、イエス様の意図は別のところにありました。それは、ピラトや宗教指
導者に裁かれるための十字架ではなく、まさに、神によって裁かれ、打たれ
るための十字架、それは私そのものになって、あなたそのものになって苦し
みを通過する「あがない」のためでした。
祝福がありますように。

**

【今日の詩編】
123:1 【都に上る歌。】目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます/天にいま
す方よ。
123:2 御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ/はしためが女主人の手に目
を注ぐように/わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ/憐れみを
待ちます。
123:3 わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでくださ
い。わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。
123:4 平然と生きる者らの嘲笑に/傲然と生きる者らの侮りに/わたしたち
の魂はあまりにも飽かされています。
+++
平然と生きる者らの嘲笑と侮りに取り囲まれ、なんだか肩身の狭い思いを経
験しながら、日常を追い立てられているように生きている人たちの祈りがこ
こにあります。おそらく、マタイによる福音書の山上の説教における「心の
貧しい人、悲しんでいる人」とはこういう状況の人なのだと思います。
しかし、彼らは、「目を上げて、天の父に向かって憐れみを待ち」祈ってい
ます。それが奨励されているのです。心を高く上げ、心の目を天に向け、神
に祈ること、そこに逃れの場所があり、そこに希望の源があるのです。
祝福がありますように。






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月13日(金)14時46分48秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.13

マルコによる福音書
◆ペトロ、イエスを知らないと言う
14:66 ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、
14:67 ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。
「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」
14:68 しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、
わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ
出て行くと、鶏が鳴いた。
14:69 女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間
です」とまた言いだした。
14:70 ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々
がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だか
ら。」
14:71 すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っ
ているそんな人は知らない」と誓い始めた。
14:72 するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あな
たは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出
して、いきなり泣きだした。
****
同じ章のちょっと前の箇所に「 14:27 イエスは弟子たちに言われた。「あな
たがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散っ
てしまう』/と書いてあるからだ。
14:28 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
14:29 するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまず
きません」と言った。
14:30 イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、
鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
14:31 ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならな
くなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者
も同じように言った。
という記事がありました。ペトロの人生の中でもっとも屈辱的な夜だったに
違いありません。自分の師を裏切るなど彼は思ってもいなかったことでしょ
う。自分だけは絶対に大丈夫という自信もあったと思います。でも、あっと
いう間に3度もイエス様について「そんな人は知らない」と言い切ってしま
ったのです。
ペトロはしかし、それを悔やんで泣きました。その涙にはきっと、自分の弱
さを認め、駄目な自分ではあるけれど、イエス様への愛が失せているわけで
はないという思いを含んだ悔いの涙だったと思います。その心の痛み、苦し
みは、イエス様の十字架と復活と再会を通して癒される必要がありました。
それを通過しながら、ペトロはいわば成熟した人になっていきました。こう
いう出来事によってペトロは砕かれ、人の気持ちがわかる人になっていった
のだろうと思います。この失態は彼を謙遜にさせる大事な出来事になったよ
うです。
祝福がありますように。

++

【今日の詩編】
122:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】主の家に行こう、と人々が言ったとき
/わたしはうれしかった。
122:2 エルサレムよ、あなたの城門の中に/わたしたちの足は立っている。
122:3 エルサレム、都として建てられた町。そこに、すべては結び合い
122:4 そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。主の御名に感謝をさ
さげるのはイスラエルの定め。
122:5 そこにこそ、裁きの王座が/ダビデの家の王座が据えられている。
122:6 エルサレムの平和を求めよう。「あなたを愛する人々に平安があるよ
うに。
122:7 あなたの城壁のうちに平和があるように。あなたの城郭のうちに平安
があるように。」
122:8 わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。「あなたのうちに平和
があるように。」
122:9 わたしは願おう/わたしたちの神、主の家のために。「あなたに幸い
があるように。」
+++
礼拝への参加が嬉しいと感じたことはありますか?この作者は、まさに、そ
の喜びを語っています。そこにこそ、交わりがあり、平安と幸いを祈りあえ
る場があるからです。
私たちの教会では礼拝の最後に子供たちが前に出てきてGod Bless Youを賛美
したり、ウクレレを弾いたりしてくれています。私は、子供たち歌うGod Bl
ess Youを聞きながら心が温かくなるのを毎回感じます。
礼拝、それは平和、平安、祝福を祈りあえる場なのです。その中に置かれて
いることは、幸いなことだと思います。礼拝があなたにとって、そういう空
間でありますように。
祝福を心からお祈りしています。





 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月12日(木)23時13分47秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.12
マルコによる福音書
◆最高法院で裁判を受ける
14:53 人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、
律法学者たちが皆、集まって来た。
14:54 ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入っ
て、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。
14:55 祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって
不利な証言を求めたが、得られなかった。
14:56 多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言は食い違って
いたからである。
14:57 すると、数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をした。
14:58 「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、
三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わた
したちは聞きました。」
14:59 しかし、この場合も、彼らの証言は食い違った。
14:60 そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ね
た。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、
どうなのか。」
14:61 しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、
重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言っ
た。
14:62 イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の
神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」
14:63 大祭司は、衣を引き裂きながら言った。「これでもまだ証人が必
要だろうか。
14:64 諸君は冒涜の言葉を聞いた。どう考えるか。」一同は、死刑にす
べきだと決議した。
14:65 それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶし
で殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちは、イ
エスを平手で打った。
****
裁判での無言のイエス様の姿は、一見無力のような感じがしますが、最
も重要なことについては、はっきりひと言だけ答えています。「お前は
メシアなのか」という大祭司の質問に「そうです」ときっぱり答えてい
るのです。それを検証する姿勢をまったく見せずに大祭司は衣服を引き
裂き、死刑を求刑しています。自分を神と等しいものとしたというのが
その理由です。
そこには、最初から「メシア像」についての大きな理解のズレが有りま
した。政治的な解放者としてのメシア像しか頭になかった大祭司たちに
とって、田舎から出てきた、理想主義者のような説教者、癒し手の若者
など自分と対等とも考えていなかったと思います。
イエス様に対する嘲笑、侮辱の場面が書かれています。議論の余地をま
ったく残さない、この裁判には大いに問題がありました。しかし、イエ
ス様はそれをじーっと耐えながら、最終結審のところまで言葉少なに向
かって行きました。
こういう出来事の背後にある人の心の弱さ、キリストの使命感などを今
日も考えながら過ごしましょう。
祝福がありますように。

++

【今日の詩編】
121:1 【都に上る歌。】目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助
けはどこから来るのか。
121:2 わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。
121:3 どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まど
ろむことなく見守ってくださるように。
121:4 見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることも
ない。
121:5 主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく/夜、月もあなたを撃つこと
がない。
121:7 主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見
守ってくださるように。
121:8 あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。
***
この箇所を、私たちの教会の新年の礼拝での説教箇所として選ばせても
らいました。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/pastor_kazsek/view/20120101
この歌を歌いながらエルサレムに向かった礼拝者たちは、山々の泰然と
した姿に希望を感じただろうと思います。その雄大さの背後に創造主を
信じていたからです。
私たちにとっては、山々は困難の山という印象が強いように思います。
国家社会の中にある様々な山、それは経済ばかりでなく、特に、いのち
を脅かしている諸問題が誰にでもわかる形でこの国には存在しています。
私たちはそれを乗り越えるべく、最大限の努力が必要です。同時に、希
望を失わないためにも、こういう言葉とそこに含まれている不変の情報
をしっかり心に留めながら前向きに立ち向かい続ける必要があります。
見た目には孤立無援という感じでも、心には神の支援が永続的に提供さ
れているとわかると勇気が出てきます。
祝福がありますように。






 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 1月11日(水)11時07分16秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.01.11
マルコによる福音書
◆一人の若者、逃げる
14:51 一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。
人々が捕らえようとすると、
14:52 亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。
***
亜麻布をまとった若者がと唐突に登場し、亜麻布を捨てて逃げ去ってい
くという格好の悪い出来事が記録されています。
イエス様の死後、ヨセフは葬りのために亜麻布を買い求め、それで遺体
を包んで墓に納めています。
旧約聖書ではエジプトの王ファラオがヨセフを総理大臣に登用した時 「
印章のついた指輪を自分の指からはずしてヨセフの指にはめ、亜麻布の
衣服を着せ、金の首飾りをヨセフの首にかけた。」(創41:42)と書かれ
ています。亜麻布は特に祭司階級で愛用されていて、普通の着物とは区
別されていたようです。それは新約聖書にも反映されており、聖徒はき
よい麻布を着ることが許され「 わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄
光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、/花嫁は用意を整えた。花嫁
は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、/聖なる者たちの
正しい行いである。」(黙19:7-8)という表現さえ有るほどです。とする
と、この唐突極まりない独りの若者の登場は、清い心でイエス様につい
てきた弟子たちが、その良い行いを捨てて逃げてしまったという背信の
象徴的な記事と理解することができます。ユダの裏切り、そして弟子た
ちがこの場に及んでイエス様を見捨てて逃げてしまった出来事の総括の
ような記事です。
しかし、まさに、イエス様はそういう心を持っている私たちのためにこ
そ十字架に向かわれたのです。
祝福がありますように。

+++

【今日の詩編】
120:1 【都に上る歌。】苦難の中から主を呼ぶと/主はわたしに答えて
くださった。
120:2 「主よ、わたしの魂を助け出してください/偽って語る唇から、
欺いて語る舌から。」
120:3 主はお前に何を与え/お前に何を加えられるであろうか/欺いて
語る舌よ
120:4 勇士の放つ鋭い矢よ/えにしだの炭火を付けた矢よ。
120:5 わたしは不幸なことだ/メシェクに宿り、ケダルの天幕の傍らに
住むとは
120:6 平和を憎む者と共に/わたしの魂が久しくそこに住むとは。
120:7 平和をこそ、わたしは語るのに/彼らはただ、戦いを語る。
****
神様への嘆願の詩です。他者の非難、悪行雑言、言葉による交流の難し
さなどを念頭に、助けを求めています。
この詩の中に出てくる「メシェク」とはエゼキエル書に、その子孫につ
いての言及がありますが、奴隷と青銅の器具を輸出する者たちとして書
かれています。(エゼ27:13)。彼らはまたゴグを首長として北方から
脅かす好戦的な民として紹介されています。

「ケダルの天幕」ですが、ケダルは、アブラハムがサラの女奴隷ハガル
に産ませたイシュマエルの次男の名前です。(創25:13)。ケダルの子孫
はアラビヤの有力な部族となリました。ケダル人は荒野に住み、牧畜、
交易を営み、軍事(イザ21:16‐17)にもすぐれ繁栄した部族だったよ
うです。彼らが住んだ天幕は垂れ幕のある黒い天幕で(雅1:5)それは
ケダル人の特徴あるシンボルでした。雅歌では麗しい者として書かれて
いますが、この詩編では「黒い天幕」は、「悪」や「好戦的なイメージ」
を描いています。
いろいろ背景を調べると興味ふかいですね。
祝福がありますように。





 

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