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日々の聖句
投稿者:ヨハネの洋チャン 投稿日:2012年 5月18日(金)11時53分4秒2012.05.18
ルカによる福音書
15:25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざ
わめきが聞こえてきた。
15:26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
15:27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたとい
うので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
15:28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さん
に仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、
わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありま
せんか。
15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食
いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
15:31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
わたしのものは全部お前のものだ。
15:32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていた
のに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
+++++
放蕩息子の後半の部分です。ここには財産を使い果たした弟への赦しと祝宴
をねたむ兄の姿が書かれています。もし、あなたがこのお兄さんの立場だっ
たら、どう感じますか?もし、この弟が大成功して有名になって帰ってきた
としたら、どうですか?
もし、成功して帰ってきた弟なら喜んで「歓迎」というのであれば、それは
「機能論的人間観」と呼ばれる考え方で応対していることになります。もち
ろん、それは悪いことではありません。でも判断基準が「できるから居ても
いいよ」という感覚です。「できるか、できないか」が分かれ道です。
ところがお父さんは、「死んでいたのに生き返った、いなくなっていたのに
見つかった」ということで喜んでいます。つまり、「居てくれる」こと自体
がお父さんの喜びなのです。お兄さんに対しても「お前はいつもわたしと一
緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と言って存在そのものを喜ん
でいるのです。それを私は「存在論的人間観」と呼んでいます。相手に対し
て、できるできないに関係なく「いてくれてありがとう」「いてくれて、う
れしいです」という発想です。これは当時の宗教社会には欠落していました。
そして、今のわたしたちの社会にも本当に深刻なほど欠落しているような気
がします。どこにいても「できるかな?居ても大丈夫かな?」とおどおどし
ながら生きているのは辛いことです。居場所がない感じだからです。イエス
様は父なる神様の私たちへのケアの心を教えています。そこには存在を喜ぶ
心があふれています。兄は、父のすぐ近くにいるのに、そういう見方が理解
できなかったようです。ひがみと自己主張、自己憐憫のかたまりになってし
まっているのです。第2の放蕩息子がここにいました。
祝福を心からお祈りします。
+++++++++++
【空の中の真実:コヘレトの言葉】
7:5 賢者の叱責を聞くのは/愚者の賛美を聞くのにまさる。
7:6 愚者の笑いは鍋の下にはぜる柴の音。これまた空しい。
7:7 賢者さえも、虐げられれば狂い/賄賂をもらえば理性を失う。
+++
誰でも褒められれば気持ちが良いものだと思いますが、コヘレトは明確に「賢
者の叱責を聞く」ことの大切さを訴えています。
賢者かどうかわからないとしても「叱責」は耐えながら聞いておく必要があ
りそうです。
「人は、そういうふうに見ているのだな」「自分の足りないところはここだ
な」という本当に大切な部分が確認できることが多いからです。賢者の叱責
はきちんと理由がわかり、感情だけで難癖をつけているのはないことがわか
ります。愚者の叱責とは、がみがみ言うだけで一貫性もなければ、根拠もあ
いまいです。
でも叱責される相手を選べませんから、どんな叱責であれ、回数が増すとと
ても辛くなります。言い訳のひとつも言いたくなります。叱責してくれる人
への「賄賂」の有用性も感じられる文章が続いていますね。
叱責より賛美のほうが嬉しいのが人情ですが、その際の注意事項として箴言
の言葉を贈ります。「 27:2 自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。
自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ。]
自画自賛をやめ、あまり評価されることばかりを考えないで、精一杯生きる
決意が必要です。
祝福がありますように。
関根一夫