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ポールマッカートニーと玉三郎

 投稿者:小島正子  投稿日:2017年 6月 1日(木)12時02分13秒
  5月の歌う会は五月晴れで少し冷たい風が吹いていました。
午前に時間変更になったにかかわらず満員でした。

光る緑とさわやかな風をたたえた「若葉」「みどりのそよ風」が踊るような転がる
ようなピアノに支えられて歌いました。
「五月の歌」は光あふれさわやかな風が吹くこの時に歌えて幸せを感じながら
歌いました。これがモーツアルトの最晩年の曲とは!

母の日にちなんだ3曲「やさしいおかあさま」は昭和15年の作で「あした」
は大正9年に作られました。きな臭くなった昭和15年作とまだ穏やかな
大正9年作ではまるで反対のように感じました。父親が無事で帰る日を待つ
「あした」。子育ての一番楽しかった幼児を寝かしつける時を思い出させる
「やさしい・・・」。

「かあさんの歌」は作者が冬に特に感謝をしたのではないかと想像されます。
放蕩と放浪の限りを尽くした作者に金品と励ましを送り続けた母親。子供の
人生は母親によって支えられるのを感じさせる先生の説明でした。
歌声喫茶や山で大声を張り上げて歌っていた時は想像もつかない成り立ち。

「鶴」を先生がソロで歌って下さいました。冷たい大地と残酷な兵隊の死を
想像します。そして転生して鶴になっていると。歌いながらソ連時代の映画
「鶴は翔んでいく」を思い出していました。恋人を戦争に取られて悲嘆に
くれるヒロイン。この歌の対極にあると、関係ないけれど感じました。

「南国土佐を後にして」は4月12日に亡くなったペギー葉山の追悼。
伸びやかな南国の風情をおおらかに歌い、彼女に歌わせたプロデューサーの
センスがすごいです。夫の根上淳を7年も看病しながら歌手活動をしていたと。
外国曲の紹介も「ドレミの歌」「サウンド・オブ・ミュージック」の他に
オーストラリアの羊の毛を刈る様子を歌った題名は忘れたのですが
“調子を揃えてクルックルッとたちまち羊は丸裸”と歌っています。


母の日と誕生日プレゼントを兼ねたお祝いを娘と孫娘がしてくれました。
ポール・マッカートニーのライブです。

東京ドームは満員で巨大な音量で圧倒し曲によって違うレーザー光線が行き交い
プロジェクションマッピングでイギリスの農家を映し同時通訳の字幕や以前より
大きくなったスクリーンでは観客の様子も映す。24年前とは比べられない豪華
さでした。自家用機での来日には機材も各方面の技術者も大勢乗せて来た感じ。

ポールも三台のギターをとっかえひっかえし、配置も大きさも違う2台のピアノ
を弾きお尻を振るという活躍ぶり。

斜め左に中学生くらいの男児が実に上手に踊っていましたが前半のヘビメタ風
の時だけで後は座ってしまい残念です。普段は競技をするアリーナ席の人達は
立ちっぱなしでした。後半のビートルズ時代のヒット曲では懐かしく2時間半を
耳栓をして聴きましたがお祭り騒ぎを十分に楽しめました。


坂東玉三郎と鼓童の『幽玄』は新聞広告で飛びついたのですが一日へて取ったら
後ろの席。電話も自動音声で受け取りのチケットはコンビニで印刷されてくる
超ハイテクでしたが手数料が1600円もかかりました。

渋谷のオーチャードホールの公演は前半の演目の「羽衣」ではあまり動きがなく
眠りました。以前に同じ友と同じ玉三郎を歌舞伎座で見た時メインの「天寿物語」
で彼女は眠り、後日“もったいないから眠っちゃだめよ”と言ったのに、です。

休憩後の「道成寺」では鐘の中から変身した玉三郎ではなく大蛇の作り物。
それがラジコンで動きくだを巻いて面白かったです。

「石橋」では獅になってたてがみを振りまわすのですが、やはり女形の方が似合
うと思いました。

鼓童の太鼓が編成も多様で見事でたえず動きがあり最初は20人近くが並んで叩き
またドラムのように組み合わせて何台もの太鼓を一人が叩き音色も多様でした。
力仕事なのにほっそりした女性が2人参加していました。

写真上はホテルの43階から見た東京ドームでごま粒のようなのが入場する人達。
中はそのホテルで祝ってくれた母の日のケーキ、下は『幽玄』のチラシ










 
 

海よ教えてくれないか」

 投稿者:坂本 征男  投稿日:2017年 5月 1日(月)16時22分22秒
  長年探していた岸洋子の歌”海よ教えてくれないか”を3,4月歌って頂きありがとうございます。
これで毎年一回はリクエストに応えて頂いております。
また次の曲を探してお願いいたします。
 

南房総の旅

 投稿者:小島正子  投稿日:2017年 4月27日(木)05時45分32秒
  4月の歌う会は晴れて風が冷たくても会場は歌うほどに熱気で暖かくなりました。

「春の小川」の詩は昔のたゆとう春の穏やかさがうれしくしかも声が揃いました。
「鯉のぼり」は“リズムを刻んで歌って”と。曲の雰囲気に勇壮さに増しました。
「花の街」のピアノが美しくうっとり。でも歌わないで聞いていてくれた先生は
“低音が痩せている”と。
「鯉のぼり」ではアドバイスで変わったのにこれはなかなかむずかしい。

終盤にラテン系の明るい歌が4曲ありました。

ツバメの季節が来て「ラ・ゴロンドリーナ」にまた巡り合えました。
先生のソロ「シェルト・リンド」は南国ののびやかでロマンチックな雰囲気を
歌い、力強いピアノが支えています。
私達も歌いました。おなじみの“アーイ アイ アイ アイ”は特に大声で。

「ラ・クカラチャ」はアップテンポで楽しくみんなすんなり歌えました。
題名はスペイン語でゴキブリや南京虫を指すと言うと “シラミの歌はないので
すか?”と質問が来て“ノミの歌はありますけどシラミはありません”と。
なんだか体がかゆくなってきました。

最後「オーソレミオ」をイタリア語で歌い元気にフィナーレを迎えました。



中学時代の同窓生5人で戸塚駅から出発です。男性3人と女性2人で車1台。
なぜ千葉かというとそこに移住した男性の案内だからです。

アクアラインで足湯につかりました。大雨の前兆で鷹取山から見えた海ほたるに
いるのに鷹取山が見えません。あれがそうだと得意気に説明する場がなし。

新緑のグラディーションが美しい高速をドライブし白浜フラワーパークを経て
雨の降る前にホテルに着きました。ゴルフをする人を主に対象で20室程ですが
居室も含めとても広々としています。

翌朝は雨が上がって出発です。「月の砂漠記念館」へ行きました。
作詞者加藤まさをに関する展示が多数ありました。竹久夢二風の情緒豊かな
絵と小説も。

高台にあるドン・ロドリゴ上陸の地のモニュメントにも寄りました。

次に千葉に移住して農業をしている男性のお宅へ。
庭に小石で道を敷き詰め飛び石を配し、丸太を模したコンクリートで道と花壇や
畑の境を区切り、複雑で繊細な庭と畑を作っています。全部自分で作ったと。
意思と体力と根気と資金と時間がなくては出来ません。

掘った筍を煮て、新玉ねぎを抜き白菜の緑の葉をちぎってきてサラダに。
新鮮な野菜は力強くやわらかく甘くおいしく、私のように一週間分まとめ買い
して古い野菜ばかり食べている者には感激の味。
買った各種巻き寿司とスープを添えた庭のテーブルでのランチはステキでした。

羽田へ寄って横浜へ行く高速バスで帰路につきました。

写真は上がフラワーパークの温室。中が月の砂漠記念館の前の海岸の銅像。
下がドン・ロドリゴの碑のそばの銅像。1609年9月にフィリピン総監ドン・ロドリゴを
乗せた船が座礁して村人達が乗組員の317人を助け海女たちが素肌で暖めて蘇生させた。
その博愛を記念に建立されたと。







 

また軽井沢スキー

 投稿者:小島正子  投稿日:2017年 3月29日(水)10時02分36秒
  2か月ぶりの歌う会でした。もうじき4月というのに真冬の冷たい雨が降り、
いつも満員なのに今日はこの天候で参加を見合わせる人が何人かいました。
先生はいつものように元気で臨機応変でユーモアたっぷりでした。

3月だから春の名曲を美しいピアノに支えられてたくさん歌いました。「春の唄」
「早春賦」「花」や卒業シーズンにふさわしい「旅立ちの日に」。
うれしいことに私の大好きな「春の日の花と輝く」もありました。

ウェルナーの「野なかの薔薇」は流れるようなメロディー。
終わったら“違う歌詞で昔習った”と参加者からの声。ふたつともどっちの
歌詞で歌っても二人の作曲家の曲でもぴったりの融通無碍。
違う歌詞でまた歌いました。

リクエスト曲の「海よおしえて」を先生がソロで歌ってくださいました。
深い絶望を歌っているのに合唱すれば絶望が吹き飛んでゆく勢いでした。

市制110周年記念として取り上げられた横須賀市歌。どこの市歌もそうですが
郷土愛を掻き立て奮起させる力をもっていると感じました。
小学生の時から刷り込まれて私は今でも横浜市歌を歌えます。
セレモニーの時の曲だからそう思えばいいのですが
森友学園の騒動を思い出させてもくれました。



2年振りに軽井沢へスキーに行って来ました。メンバーも同じ娘と孫娘と私。
3月中旬になったので泊ったロッジ周辺には雪がありません。
ゲレンデに人工雪を作る機械が並んでいます。
地下水を吸い上げて-3℃になったら運転させると。

15年の時と違って晴天に恵まれ噴煙を上げる浅間山や豪華な景色がありました。

スキーに行ってなにが非日常の贅沢だったかといえばふんだんの暖房でした。
ロッジは見かけは質素ですが、この暖かさは神の恵みかと思ってしまいます。
半日滑って快適なロッジでは孫娘は宿題をし、娘は本を読み、私も受けてる
講座の宿題をしてました。
暑がりの夫は暖房が嫌いで私は家では熊のように着込んで過ごしています。

もう一つの贅沢は敷地内を縦横に走る車でした。電話すればスキー場に温泉に
とロッジに迎えに来てくれます。道を歩いていても決してクラクションは鳴らさ
ず時速も20㎞以下。

三つめの贅沢はレストランでしょうか。広々とした空間に洗練されたサービス。
そのために値段も一流。だけど味は設備と人件費に取られた感じ。

スキーはといえば私は一度転び一人では起き上がれなくて以後やっこ凧。
両足を八の字に広げて滑っていました。
孫娘はスキースクールに入ったのに気に入らなかったといって私と同じ滑り。
でも翌日になるとスクールで習ったらしい滑りになりました。一晩寝るのが大事
というのが実感できました。

最近の二つ玉低気圧か寒気が押し寄せたので軽井沢でも積雪40㎝の報があり
ロッジも雪に囲まれスキー場も最適なコンディションになっていることでしょう。

写真は上は浅間山、中は泊ったロッジ、下は私が使ったロッジの寝室。

 

ボブ・ディラン

 投稿者:小島正子  投稿日:2017年 1月26日(木)05時42分0秒
  今年初めての歌う会の日は晴天で空っ風の日でした。

鶏年にちなんだかわいい童謡の2曲のうち「かごめかごめ」は三部合唱?
の趣があって楽しいです。

冬の名曲が並びます。美しい詩の「冬景色」、暖かい団らん風景の「冬の夜」。
石川さゆりの「津軽海峡冬景色」は重厚な美しいピアノに支えられてなじみの
曲に大合唱、挫折して故郷へ帰る歌なのになんだか元気が出てしまいました。
「北帰行」は歌声喫茶や山でよく歌いました。昔これも歌詞の意味も考えずに
大声で張り上げていたのでした。
「知床旅情」もその地を離れて行く歌。大ヒットする歌は歌詞と曲の力で人々
の心に印象を植え付けるのだと思いました。

「ドレミの歌」は映画「サウンド・オブ・ミュージック」を思い出します。
ジュリー・アンドリュースと子供達の場面、ミュージカル映画だから自然に歌に
入ってゆく。家庭教師と子供達が雄大なアルプスを背景に並木道や草原や庭園と
場面展開しながら踊り歌う。今回も先生の“さあみんなで・・・”と導入部から
始まり楽しかったです。

先生のソロ「津軽のふるさと」はしっとりとしてゆったりとしてすてきでした。


リクエストした「風に吹かれて」を取り上げていただきありがとうございます。
曲を作ったボブ・ディランは徹底的にマスコミから身を隠しノーベル賞の授賞式
も欠席しました。受賞そのものにも迷った様子ですね。授賞式で駐在大使が
代読したメッセージによると“ツアーの時に知って一瞬なんのことかと思った”と。

ぶれなくて、ドキュメンタリー番組では隠し撮りの満席の3階席位から“ユダ!”
と叫び声が上がると冷静にメンバーに”いつもより大きく演奏しよう”と。
ユダとはキリストを売った人物。フォークからロックに転向したのを非難したの
でした。ファンとは不思議ですね。いやなら見に行かなければいいのに。

ニューヨークの同時多発テロの時に多くのアーティストが公演を自粛するなかで
公演を行い、途中スピーチで”ニューヨークは我らの音楽をはぐくんでくれた”と。
以上はファンの隠し撮り。そちらの方もすごいしそれを集めた力量にも息をのみます。
ノーベル賞を受賞するくらいだから膨大なメモが彼の資料館に残されていました。

ただ楽譜を探し歌詞を吟味してみんなで歌えるように手間ひまかけて下さった歌、
黒人霊歌の流れを汲んだ哀愁のあるメロディはみんなもすぐに歌えたし一度だけでは
もったいなく再度取り上げて下さるのを楽しみにしています。


写真上は汐入のホテルの19階のレストランから見た歩道橋。
中はその正月メニューで鯛と伊勢海老のブイヤベース。伊勢海老のダシもグット!

下は阿部倉のレストランのコース料理の前菜。どんな山の中かと思えば葉山と汐入を
結ぶ県道27号線の沿線のちょっと入った農家の納屋を改造した14人位で満席の店。
10人で貸切にしてくれて、聞いていたのは日本料理。でも西洋と入り混じっていました。
器上部の団子はあつあつのコロッケ。お刺身もカルパッチョになっていました。
スマートな30代とおぼしき男性2人が作ってサービスをしてくれました。


 

2017年 謹賀新年 ♪

 投稿者:柴田 直美  投稿日:2017年 1月 2日(月)02時17分56秒
  カラッとした天気のもと新年が明けました!
今年もよろしくお願いします。

昨年は、12月25日の「元気に歌う会」まで無事皆さんと歌いきりました。
今まで歌った歌、何と500曲を超えすごいです!!

小島さんの毎月のレポートは素晴らしくて頼りっきりですが、旅行記や
日々の思いを書き留めた文章と共に、今年もひき続きお願いいたします。

無理せずでも継続は力で、皆様と今年も又歌いたいと思います。

 歌のリーダー 柴田直美 ♪

 

クリスマスコンサート

 投稿者:小島正子  投稿日:2016年12月28日(水)11時20分32秒
  例年超満員のお客は今年も同じ。
幕開けは出演者全員の「サンタが街にやってくる」。

ピアニストが後に語ったのですが
ヴァイオリンとフルートとピアノと歌のカルテットはないので、
それぞれの楽器のソロを生かす編曲をしなければいけなかったと。
流麗なピアノを私達はただ聴いているだけなのにたいへんな手間を
かけてくれているのでした。

ピアノと歌のゴメスの「アヴェ・マリア」は20世紀の作曲家の作品で敬虔に
なる祈りというより親しみやすさがありました。

ヴァイオリンとピアノの「チャルダッシュ」は緩急自在の優れた技巧の演奏で
哀愁も感じたのですが私には土の香りしました。

ピアノとフルートの「ニュー・シネマ・パラダイス」は私も映画を見ました。
かわいい坊やが映写室にもぐり込むところだけを覚えています。
フルート演奏は進境著しいと思いました。

歌の先生は笑みを絶やさずざわつく会場もピアノやヴァイオリンやフルートにも
負けず歌いあげていました。

アンコールの「オー・ソレ・ミオ」も各楽器のソロがすてきでピアノが華やかに
フィナーレを飾ってくれました。

プレゼントの時間はふたりのサンタさんが番号を読み上げるのをみんな固唾を
のんで今か今かと首を長くして待ちます。手の込んだ手作り品ばかり。

第二部はみんなで歌うのですが出演した4人の素晴らしいドレス姿とピアノに
加えてヴァイオリンとフルートが伴奏してくれて豪華な合唱になりました。



12月の歌う会は晴天でちょうどクリスマスの日でいつもの盛況です。
歌もクリスマスにちなんだ「ジングルベル」「きよしこの夜」。

お話では歌は空中に満ちていてそれを自分に取り込むと。
モーツアルトは“天からメロディが降ってくる”らしく楽譜に書き直しが
ないと聞いたことがありました。
凡人はそうはいかなくて読めないオタマジャクシを追ってジタバタしています。

「喜びの歌」の前奏や間奏は「第九」の一部でシラーの詩と共に感動的でした。

ロシア民謡の「カチューシャ」のピアノは躍動感がありました。

「アヴェ・マリア」はシューベルト自ら作曲の伴奏が重厚ですてきです。
聞いている分にはなめらかですが歌うとなかなかむずかしいのでした。

「新雪」は若い頃に山のテントでよく歌いました。
“大地を踏んでがっちりと未来へ続く尾根伝い”
目標もそれに伴う努力もないのにこの歌詞に酔ってました。

クリスマスプレゼントとして「ホワイトクリスマス」を先生がソロで
ピアノもソロで演奏してくださいました。
歌は静かにクリスマスを祈る感じなのに対し、ピアノは都会のしゃれた雰囲気も
持っていました。

歌う会は“はじめは10人位参加してくれればよい”を想定していて今は約50人。
夫が福祉村の催し物への参加をテニスコートで強く勧められ私が参加しました。
勧めてくれた人がどなたか分かりませんがとても感謝しています。
盛況になったのと各方面からの厚いサポートも先生の人柄のたまものです。

写真上は青山の根津美術館で開催された円山応挙の展覧会のちらし。
ファッションブランドのしゃれた建物の並びを過ぎて美術館に入れば庭園は森と
滝と小川と池の別世界でした。ギンナンを拾い家で茶わん蒸しを作りました。

中はクリスマスコンサートのカードともらったプレゼントで、カードのサンタの
手が動き、根付けになった匂い袋はレース編みです。

下は友人のポルトガル土産の冷蔵庫のマグネット。



 

ふたたび山梨へ

 投稿者:小島正子  投稿日:2016年11月24日(木)05時27分25秒
  11月の歌う会は夏と冬が交互に来るような日々のうち夏のような日で
若者がTシャツ姿で歩いていました。
今回も秋の行事のせいか男性陣が少なかったのですが満員です。

秋深く郷愁を誘う曲がリストアップされています。
満開の紅葉のなかでの“もみじ”はうれしく歌え二部合唱も上出来!。
“旅愁”や“埴生の宿”のピアノがきれいでした。

先生がソロで歌ってくださった“ふるさとの”。
今は温暖化で荒れた秋しかないのに澄んで冷たい静かな
古き良き秋を感じさせてくれました。
ピアノもひとりで歌い句読点だけ一致して聞く方は深く味わえるのですが
歌う方はたいへんだと思った歌曲でした。

“小雨降るみち”はシャンソンのようにしっとりしているつもりが
力強い伴奏と大合唱で印象が一変しました。

ヴェルディー会心の出来で盗聴されないよう用心した“女心の歌”は
オペラ“リゴレット”初演後は街で鼻歌を歌う人が多くみられる程の
熱狂ぶりだったと。私は大昔に藤原義江が歌うのをラジオで聞きました。

熱狂ぶりをそのまま引き継いで11月の歌う会は終わりました。


中学の同窓生が偶然、移住と別荘が車で10分の距離にある男子2人がいます。
中学の同窓生に声をかけてくれて11月最後の暖かい2日間で行って来ました。
別荘のオーナーで車を出してくれたIさんと女3人で戸塚駅近くから出発です。
圏央道から中央高速に入ると青い山並みが見えて来ます。

勝沼のぶどうの丘公園で移住したMさん夫妻と待ち合わせました。
今は秋、果物立国でナシにりんごにカキにぶどうの栽培が盛ん。
紅葉には少し早いけれど少し山がカラフルになって来ました。
青い山波の向こうに南アルプスの甲斐駒・千丈岳・北岳が見えます。

M氏がガイド役で先ず東武鉄道など24社の社長を務めた
根津嘉一郎の実家が記念館になっている屋敷へ行きました。
広大な敷地にゆったりした間取りのたくさんの和室。
歴史を語る資料が並んでいます。
池と芝生を配した庭からは巨大な富士山が見え、茶室で男性の係員が
説明してくれました。茶道に造詣が深い主の伝統を引き継いでいて
お茶室も無料で貸し出し、弁当も座敷で食べてよい普通では考えられない寛大さ。
庭のザクロを同じ人が取ってくれて駐車場まで6人が歩きながら食べました。
今度東京青山にある根津美術館へ行ってみたい。

次にMさん夫妻の住まいへ。標高600mで日当たりがよく多品種の野菜を育て
少し離れた川のそばを開拓して以前より畑が増えています。
土留めを施してある急傾斜地で手入れをしないと
対岸のジャングルのようになってしまうと。M氏の奮闘のたまものです。

日当たりのよい居間で奥様がお茶をたてて下さりしばしのお茶タイム。

その後ご夫妻と別れて別荘に着きました。ここも標高は600m以上。
古い農家を再生させていてます。掃除機をかけて食卓を拭いて温泉に出発。

ぷくぷく温泉、前回はほったらかし温泉でなぜかまともな名前が付いていない。
暖かい湯にひたりながら新日本三大夜景という甲府盆地の夜景の広がりと
シルエットになった富士山を堪能しました。
見上げれば星座の白鳥が羽を広げています。ハロウィンのおおきなカボチャが
湯に浮いていました。

食材を買う予定が“夕食の用意が出来たからそのまま帰宅するように”
とM氏から電話が入って別荘へ帰りました。
夫妻が用意して下さった十品近くのお料理とお酒で宴が始まりました。
炭火を起こした囲炉裏に移って話は続いた後にMさん達は帰宅ました。
11時に就寝でIさんは2階のプライベートゾーンへ。

翌朝一人が持ってきた新聞の切りぬきを元にハイキング道を検索しました。
武田の森、ここを提案してみましょう。

翌朝戸締りをして出発です。Mさん宅に食器や電気釜を返しに行き
一緒に出かけました。最初は武田神社です。

この地は武田信玄の存在が大きくお土産がその名も信玄餅。
広い境内はツアー客や七五三のお宮参りでにぎわって
若いママ達の付き添い着の着物姿が美しくまさに“おやごさん”です。

盆地で平地、柿の畑がたくさんあり全部渋柿で干柿にして出荷します。
昨年は天候不順で何億もの損害がでたと。

山道に入り武田の森を目指します。
山の上に大きな池があり更に登ったところに武田の森のサービスセンター。
青い山波の上に大きな富士山、さわやかな疎林が秋の暖かい陽を浴びています。
ベンチでの昼食はおいしく囲炉裏の残り火で焼いた焼き芋も加わりました。

「一番短いコースはどれですか?」で高齢者・幼児・車椅子利用者用の
40分くらいのコースに。
たくさんのドングリが落ち、青い空を彩る落葉樹の梢の道を歩きました。
なんてさわやかで静かなのでしょう!

平地に下りてMさん夫妻とお別れです。

混雑した高速道路を経て無事に戸塚に着きました。
解散してお土産にいただいた果物や野菜をかついで帰路へ。
受け身ではなく“得意?!”の家事もして体も動かせたすてきな旅。
今回は2人が体調不良で不参加で、いつ自分がとの年齢を自覚させられました。

後日、Mさん夫妻からは“その後にあっという間の紅葉が過ぎて冬になった”
と便りがありました。もう雪が降ったかもしれません。

写真上は根津記念館の庭園、中は武田神社の境内、下は武田神社の外の擁壁




 

ビートルズ

 投稿者:小島正子  投稿日:2016年10月25日(火)04時40分39秒
  10月の歌う会は秋にしては暖かく風が吹いて快適な日でした。
秋の行事が重なって男性陣が少ないけれど満員です。

童謡に続いて歌った炭坑節はくだけています。“もとの18に戻してください”
とは私ども夫婦が喧嘩した時のお互いの常套句です。
「里の秋」のピアノは風に舞い落ちてゆく葉のような哀愁がありました。
「おおきな栗の木の下で」は振り付けが付いて楽しく歌いました。

東京の名のついた歌特集。ピアノも「東京行進曲」では三味線風で
時代が下った「ウナセラディ東京」は華麗でした。
「東京節」では意味不明な歌詞を全員まじめに歌いなんだか愉快でした。

先生が先のソロで歌って下さった「アカシアの花」は
しっとりしてロマンチックで転調した時がステキでした。


渋谷へはもう3カ月以上行ってなく、
何回も映画を選び乗る電車を調べたけれど実行できませんでした。
今回はぜひ見たい2本ともドキュメンタリー映画で
「イングリット・バークマン」と「ビートルズ」でやっと敢行しました。

映画「カサブランカ」や「誰がために鐘は鳴る」で有名な
イングリット・バークマンのドキュメント映画は、
4人のシニアにさしかかった子供達のインタビューがあり、
ヒマをみつけては子供に会いに来る仕事を持った優しい母親。
仕事への積極的な姿勢でスケールの大きな世界的な女優でした。

「ビートルズ」は初期の衝撃的なヒットの数々をパンチの利いたメロディに
乗せて数々のライブを行っている様子と録音風景が多数を占めています。

初期のは“あの娘はかわいい、口をきくきっかけはないか”
という感じの歌詞が多くそれに呼応すうようにどこのスタジアムでも
十代前半の女の子達が何人も気絶してガードマンに運ばれていました。

空港やライブ会場入り口に押し寄せる若いファンに、
あの頃は若者が時代を動かせていると感じさせてくれました。

カメラはボーカルのジョン・レノンではなく合いの手の
ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンに合わせています。
2人は頭を振って歌うし美形だからなのでしょう。でも焦点が合わない感じ。

優秀なマネージャーが制服を着せ、1曲終わるごとに深々とおじぎをさせて
礼儀正しい印象を作っていたのが新鮮です。

最後のビルの屋上でのライブはモノクロからカラーになり、
中年で凄みが加わり貫禄が出て昔のツアー中のホテルや
作曲している時の和気あいあいでかわいらしい雰囲気はありません。
最後まで名曲の「ヘイジュート」や「レッド・イット・ビー」は
なかったような気がします。

ボーナスのライブ映像を含めて2時間半。すっかり魅了されました。
日本に来た時のテレビ中継は、前座の尾藤イサオのグループが歌っている時は
歌が聞こえ司会者が“日本のグループにも声援を!”と叫んで、
いざビートルズが演奏しだしたら歓声でなにも聞こえないあきれた中継でした。

私は子育てが一段落した頃に聞き出しました。
後年、ポール・マッカートニーのライブにまだ独身だった娘と行きました。
電話にかじりついて1時間、やっと取れた席は東京ドームの楕円形の縦長の端、
ステージの反対側。本人は針の先にしか見えずモニター画面もマッチの太さ程。
音だけはイスが震える大音響で周りはみんな立ちあがり
私は耳栓をして座って聞きました。安くない一律料金。

新聞の投書欄に“招待券があったので夫と行った。
ビートルズであってもビートルズではない”と。
こんな特権階級がいるのと載せる新聞に余計に腹が立ちました。

映画に触発されて家にある3枚組CDで54曲全部を聞きました。
1枚目は初期の衝撃的なデビューの頃が勢いがある感じで
3枚目では人生を深く考察し希望を持たせる歌の数々で
騒がしいだけのロックではありません。
街中やテレビでビートルズが聞こえるとうれしくなります。

久しぶりの渋谷では生地屋に寄らなきゃ。
三角形の一辺だけを行こうとして30分も迷いました。
「急がば回れ」を聞かず「あわてる乞食は貰いが少ない」を地でいきました。

汗だくで着いた生地屋は巻いた生地が山積みで男性店員が引っ張り出します。
中年の店員“これは傷物で安いから1m単位でね”と勝手に切るので躊躇したら
“傷があったら端切れで出すからいいんだ”と怒られて点検した上ではい、
買わせていただきました。
その後は他の店員が親切に対応してくれ生地はどれも10㎝以上おまけ付き。
あぁ怖かった!あぁ面白かった!渋谷は大好きです。

写真上はビートルズの昔撮った映画のチラシ。中段はベルニ―公園の臨時の売店。
下は鎌倉建長寺で行われたチャリティーコンサート。
東日本大震災時に発足し毎年建長寺に福島の人達100人を毎年夏に
1週間泊める団体の主催です。中央が映画監督の故大島渚の妻で女優の小山明子、
彼女は絵本の読み聞かせとお話。両隣は筝曲の東儀秀樹の母親と姉による舞いと
笙と龍笛による演奏。笙は天上から注がれる光を表わし龍笛は地上の動きで
筝は地を様子を表していてると解説がありました。
「朧月夜」は淡い光が降り注ぐ田園風景が現れるような美しい演奏でした。
 

墓参り

 投稿者:小島正子  投稿日:2016年 9月29日(木)06時26分4秒
  9月の歌う会は梅雨のような日々が続いた後の1週間ぶりの晴天で
暑さが戻った日でした。満員はいつものとおり。

私はここ1ヵ月はひどい風邪を引いて薬が無くなると咳と喉の痛みがぶり返す
が終わったばかりだったので声が出ず最初は口パクでしたが
たちまち歌う楽しさとみんなのエネルギーに吸い込まれました。

7月7日に亡くなった永六輔の特集。
坂本九と組んで「見あげてごらん夜の星を」「ともだち」
「上を向いて歩こう」のように自分は小さな存在だけど
精一杯生きて行こうというけなげさの作詞。

着物や帯の種類から、デートの時に胸元のキラリと光るネックレスか雨粒にそそられて
抱きしめる情景、各地の温泉が出てくるのは旅している成果でしょうか、
赤ちゃんへの賛歌と今回取り上げた歌だけでも多様です。

テレビではいつも藍染のお坊さんが掃除の時に着る作務衣のような
凝った和服を着ていました。
インタビュー番組で「上を向いて歩こう」が世界的にヒットしたけど
「すきやき」という詩に変えられて作詞料が入らなかったと語っていました。

「いい湯だな」は合いの手を入れながらみんな弾むように楽しく歌い
「上を向いて歩こう」の男性陣の口笛が揃っていてきれいでした。

「枯葉」も岩谷時子の“夢に夢を重ねて・・・”の詩がすばらしいですね。
昔イブ・モンタンが大好きで
黒ずくめのシャツとズボンで「枯葉」を歌っているのにしびれました。

先生のソロは物語を語るよう。ピアノソロは枯葉が木枯らしにさまざまな形で遊ぶよう。
みんなで歌った時はなめらかとはいかず枯葉が時に水に張り付いたりして。

ケーブルテレビのカメラが入り記者らしき人もいました。
みんなのエネルギーを正確に伝えてくれるといいですね。


年中行事になっている娘と私の春秋の墓参り。
待ち合わせた駅に娘一人が来る予定が孫二人も来てくれました。

二人とも赤ん坊の時から一緒でしたがいつの間にか来なくなっていました。
小六の女児と中三の男子です。会えてうれしい。
2時間半の電車で朝食は車中でパン。
駅からは車で横横から高速に乗って横浜市内の市営霊場へ。

ここはお彼岸の時期は9時から道路が一通になりシニアの車は
管理事務所の駐車場を狙って早朝に来ます。
まだたこ焼きの屋台が車1台分の場所を塞ぐ前に。

公園の水道で2?ペットボトル2本に水を満たし持参の線香、
花は前日に買っていて経費節減。
私の両親が眠る墓を掃除して4人一斉にお祈りをしました。
孫二人も願い事かあっていつもより長い時間祈ります。

次に首都高に乗り都内に向かいました。昔の寺町です。
寺の境内にお墓があるのは便利です。が、相当の寄付が果されるようです。
お寺の玄関に入りお線香を買います。

その時に女主から親戚のどなたが来たと教えてくれます。
孫娘はここでお煎餅をもらったのを覚えています。
「もしくれなかったら足をジタバタさせて“煎餅欲しい”と叫ぶんだよ」と
欲張り婆さんは事前に入れ知恵をしましたが
私の背より高くなった孫達にお煎餅はありません。

私と兄を育ててくれた優しかった姉が眠る墓で
また4人同時に長い時間手を合わせました。

娘と出かけると一切の費用は出してくれるので
お昼はおごらせてくれと言ってあります。

追浜の回転寿司はまだ午前10時過ぎでお客は誰もいません。
娘が耳元で「好きに食べさせると1万円は超える」と囁きます。
でセットものをそれぞれが選びました。

幼児の頃は孫二人とも食が細く、
年に数回来る時に食べないことに私は閉口していました。
今は大好物をモリモリ頼もしく食べる、食べ盛りとはよくいったものです。

孫息子は「黄色いの、色も形も似ているから何だと思った」
ウニの軍艦巻きに二人で笑って、おいしく食べられたか聞くのを忘れました。

ケーキを買って家で食べて、くつろぐ間もなく帰った短い時間の楽しい墓参りでした。

孫達が幼い頃は前の日に車で来て
後部座席のベビーシートとチャイルドシートのわめき声を
バックミュージックとして聞きながらの墓参でした。
時はあっという間に過ぎて行きます。

写真は鎌倉英勝寺の彼岸花と海蔵寺の芙蓉。手入れの行き届いたお庭は気持ちが良いです。

 

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